>>399 そもそものはじまりは1956年の日ソ共同宣言でした時の首相は鳩山一郎。ムネヲはまだ8歳ですので関われるはずがありません。国連加盟のためにサンフランシスコ条約に参加しなかった戦勝国、とりわけ常任理事国であるソ連との国交回復は日本にとって重要な外交上の問題でした
この会談で、領土について「二島なら返す」というソ連と「四島返還」を求める日本との溝が埋まらず、日ソ共同宣言で戦争状態は終結し国交が回復されたものの、平和条約締結には至りませんでしたこの共同声明の中で、平和条約締結後、二島を日本に引き渡すという声明が盛り込まれました。直後に日本は国連に加盟することが出来ました
その後の日ソ外交の中でこの共同宣言の中に盛り込まれた領土問題に関する記述は何度も反故にされたり復活したりしました返還する気など全くないソ連にとっては、領土問題など格好の外交カードの一つに過ぎなかったのです
しかし、プーチン大統領はなぜかこの日ソ共同宣言が有効であると言い出しました。しかし、これを二島先行返還と見る日本と、二島のみ返還と見る現ロシアの間で未だに対立しています
ムネヲの本当の意図はわからないことにしておきますが、四島一括返還のために時間を空費するよりも二島返還で早く手を打ちたいわけです。それなら早く済みそうですしね
ムネヲを売国奴と見なすか、現実主義者と見なすかは各自の判断にお任せします