■KSD疑獄で金丸信の使い走り小沢一郎の終焉

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1無党派さん
KSD大汚職は経世会の金と権力まみれ体質から受け継がれた保守政治の伝統である。

http://www.yomiuri.co.jp/yomidas/konojune/92/92n13.htm
http://www.asahi.com/0123/news/politics23007.html
小沢一郎が、権力を掌握し始めてからの、経世会主導の自民党内強権政
治は、今まさに、翼賛的といわれている事態と同じであるし、権力掌握
の過程で、取り入り、利用し、棄てていった人達(田中角栄、金丸信、
細川護煕、中村喜四郎、熊谷弘などなど)や、自らが信条とする”普通
の国”とは、本質的社会基盤が異なる公明党と手を組んだり、必要なと
きには、涙を見せたり、泣き落としたり、お酌、土下座など、彼がもっ
とも嫌う、日本的な行動様式を演じてまで、自らの意志を推進しようと
する行動様式は、まさしく、マキャベリスト。新・翼賛政治(自由からの逃避)より。

かって
立花隆は小沢の金権経世会的政治動向を評して「ちゃんちゃらおかしい」と切って捨てた。
 
2名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/23(火) 19:40
政治とは、そういうものだ。
政治家とは、悪に強くならねばならず、結果を出すためには笑って
人を斬る必要もある。
3>2、なるほど、一郎は人斬りか。:2001/01/23(火) 20:16
額賀福志郎経済財政担当相は23日午前、首相官邸で森喜朗首相に辞表を提出し、辞任した。秘書が財団法人「ケーエスデー中小企業経営者福祉事業団」(KSD)から1500万円の資金提供を受けた問題の責任を取った。後任には自民党河野グループの麻生太郎元経済企画庁長官(60)が就いた。額賀氏は辞任後、記者会見したが、(1)KSD側への資金返却の事実を示す物証はない(2)預かり金と考えて政治資金収支報告はしなかった――ことなどを明らかにした。
4無党派さん:2001/01/23(火) 20:18
>>1
でも、立花隆もサル学とかに肩入れしていてちゃんちゃらおかしいよ。
5>4:2001/01/23(火) 20:24
会長不在となった竹下派では後継を巡って、小渕恵三氏、羽田孜氏それぞれを推すグループが対立。12月18日、羽田氏や小沢一郎元幹事長ら衆参44人が独立して「羽田・小沢派」を結成。前身の田中派から数えると約20年、「経世会」として5年5か月にわたり、最強の軍団として党内を動かした竹下派は分裂した。
一方佐川問題に絡み、昭和62年の竹下元首相の党総裁就任の際、右翼の「ほめ殺し」対策に、暴力団が関与していた疑いが表面化。10月30日からの臨時国会は、竹下元首相には衆参両院で証人喚問、目の病気で入院した金丸氏には衆院の臨床尋問が行われた。

6>子分小沢は、、:2001/01/23(火) 20:27
高鳥委員長は、〈1〉昭和六十二年の自民党総裁選の際に、右翼団体の皇民党が行った「ほめ殺し」の街頭宣伝活動をやめさせるため、金丸信・前自民党副総裁が渡辺元社長を通じて暴力団の故石井進・稲川会前会長に仲介を依頼したとされるが、この事実を知っていたか〈2〉ほめ殺し中止の条件となったといわれる田中邸訪問の事情を説明してほしい――などとただした。

 竹下氏は、「皇民党の街宣活動中止のために私が石井氏に(仲介を)依頼したといわれているが、私は全く心当たりがない」と述べるとともに、渡辺元社長が石井氏に仲介を依頼したとされることも、「全く知らなかった」と証言した。
さらに竹下氏は、渡辺元社長が、ほめ殺し中止のために動いたことについては、「多くの善意の第三者の一人であると認識している」と強調。石井氏のほめ殺し中止工作は、「(昭和)六十三年十二月以降に承知した」と述べて、金丸氏が渡辺元社長、石井氏を都内の料理屋に招いて会食した前後であることを明らかにした。ただ、金丸氏からこの会食に誘われたことがあるか、という点については、「そのような事実はなかった」と否定した。


7小沢一郎の正体:2001/01/23(火) 20:29
本質的社会基盤が異なる公明党と手を組んだり、必要なと
きには、涙を見せたり、泣き落としたり、お酌、土下座など、彼がもっ
とも嫌う、日本的な行動様式を演じてまで、自らの意志を推進しようと
する行動様式
8>1:2001/01/23(火) 21:17
>KSD大汚職は経世会の金と権力まみれ体質から受け継がれた
 保守政治の伝統である。
その保守政治の伝統を頑なに守り続けているのが、日本の将来に
対する明確な処方箋など所詮ありはしまい旧経世会の残党でしかない
橋本龍太郎一派ではないのか。今回の汚職に同派のプリンスとやらの
額賀福志郎を、その罪状を知りつつも森内閣の延命を阻止するために
尖兵として送り込んだ橋本龍太郎の責任は決して軽いものでは
なかろうに。
>KSD疑獄で金丸信の使い走り小沢一郎の終焉
という意味不明の大政翼賛的な妄言を吐く戦後民主主義的なる愚民が
この掲示板に現れるのを見るとき、即製授与されたいびつな憲法を
即刻破棄しなければならないと思うのは決して危険思想ではない。
>かって 立花隆は小沢の金権経世会的政治動向を評して
>「ちゃんちゃらおかしい」と切って捨てた。
とやらの立花隆は、数々のスキャンダルでその名を天下に轟かせる
「上から読んでも下から読んでもオチミチオ♪」とかの越智道雄の、
しょせんは茶坊主でしかない。
兎に角、
「他のどの政党にもまして新しい日本を一新する資格のあるはずの
自由民主党は、いまだに政党としての明確な意思表示さえ出来ぬ、
男の姿をしながら、実は男としての能力を欠いた、
さながら去勢された宦官のような政党に成り果てています。」
9無党派さん:2001/01/23(火) 21:37
田崎史郎著「竹下派死闘の七十日」(文春文庫)おもろいよ

http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30747007
10森>亀井>小沢:2001/01/23(火) 23:17
自民党宮城県連が参院選に向けて作ったテレビCMに対し、自民党本部が23日、「ノー」を突き付けた。放映を前にマスコミなどで「首相批判のCM」と話題となったため、古賀誠幹事長は宮城県連に再考を促したが、県連も「自民党への厳しい視線を表現したもの」と説明、譲らなかった
118年も経ったのかあ、、:2001/01/23(火) 23:23
1992年(平成4年)

 5月22日  日本新党結成。代表に細川護煕
 8月27日  金丸自民党副総裁が東京佐川急便からの5億円献金を公表、副総裁の辞
        意を表明
10月14日  金丸、議員辞職、竹下派会長を辞任。会長ポストの争奪で派内の対立が
        激化
   28日  竹下派後継会長、小渕恵三に決定。小沢グループ「改革フォーラム21」
        旗揚げ
12月11日  宮沢内閣改造。旧竹下派勢力の相対的な後退
   18日  自民党竹下派「経世界」が小渕派と羽田派に分裂。羽田派「改革フォー
        ラム21」が発足
12>11、誰が残ってる?:2001/01/25(木) 00:09
小沢グループ「改革フォーラム21」
        
13ミニ北一輝:2001/01/25(木) 00:26
>>12
取りあえず平野貞夫。旗揚げ時のメンバーではないですけれどね。
14名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/25(木) 07:01
>>8
立花が越智の茶坊主?具体的に教えてくれ。
15>15:2001/01/25(木) 15:25
立花隆の「田中角栄研究」は、立花自身の創作にあらず。
企画・立案は、福田赳夫の女婿だった「上から読んでも下から読んでも」の
オチミチオが福田・三木両派の陰謀として行い、それを文筆家の立花に
ゴーストライターとして依頼したことは、永田町では公然のヒミツ♪
ちなみに、
この時期に角栄打倒を目指して青嵐会をやっていたのが慎太郎であるが、
彼はどうしたわけかオチミチオと仲が悪く、この四半世紀後の都知事選挙のときに、
慎太郎の四男(伸晃の弟)が元オウム信者であるとのデマのビラをミチオが
バラ撒き、自民党都連の事務局長が司法処分をミチオの代わりに受けたことは
有名。外形標準課税にイチャモンをつけた「馬鹿大臣」もミチオのこと♪
16>15、越智以下だな小沢は、:2001/01/25(木) 18:17
小沢自らが信条とする”普通 の国”とは、本質的社会基盤が異なる公明党と手を組んだり、必要なと
きには、涙を見せたり、泣き落としたり、お酌、土下座など、彼がもっ
とも嫌う、日本的な行動様式を演じてまで、自らの意志を推進しようと
する行動様式
17>16:2001/01/25(木) 23:06
小沢は、私情を殺してでも、みずからの信念を貫こうとする真のステーツマン。
オチミチオなどは足元にも及びません。
18名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/25(木) 23:46
慎太郎は役人嫌い、特に大蔵嫌いだからね。
19>17、どーこが?:2001/01/26(金) 00:55
>私情を殺してでも、みずからの信念
=本質的社会基盤が異なる公明党と手を組んだり

なんの信念もモラルも思想もないただの利権屋が小沢一郎。
20無党派さん
ぶー。