544 :
19:
中川一郎の寵愛を受ける宗男ではあったが、逆に中川夫人からは蛇蝎
の如く嫌われていた。
中川夫人は中川の青嵐会の盟友渡辺美智雄の言葉を借りると中川夫妻
は「美女と野獣」といわれ、ミス札幌の経歴があるほど美人であった。
一方で政治家の妻としては疑問符が付く人物で、普通中川クラスにな
ると選挙時は応援で飛び回るため選挙区は奥さんが仕切ることになる
がそういうことは一切やらず、選挙中は病気と称していつも入院して
いた。
545 :
19:2000/11/30(木) 00:23
さらに中川夫人は趣味が上流階級好みで貴族的であり、開拓農家あが
りの中川家を馬鹿にする発言を連発して中川一族からは嫌われていた。
当然、そういった趣味の持ち主が宗男とあうはずがない。
しかも金庫番である宗男は中川家の家計まで宗男は握っており、生活
費は宗男から(もともとは中川の金なのだが)夫人に手渡されていた。
これが中川夫人にとってかなり屈辱的なことであったらしい。
また中川の名を使い各地の公共事業を仕切り、口利き料をとる宗男を
快く思っていない者は、中川系の道議や中川後援会にも少なからずお
り彼らは夫人と組んで有力な反宗男勢力となっていった。
546 :
19:2000/11/30(木) 00:31
反宗男勢力は何とかして宗男を中川の金庫番から引きずりおそろう
と考えた。
そこで反宗男勢力が考えた手段とは宗男の参院選出馬。宗男をおだ
て参院選に出馬させ、いざ選挙になったら手を抜くという凄まじい
作戦だった。
仮に間違えて当選したとしても宗男を筆頭秘書の地位からは引きず
りおろすことは可能である。
もともと議員志向の強い宗男はこの話に積極的に乗った。宗男らし
くその話が出るや否や、公共事業で恩を売った土建屋を中心に自分
の後援会をつくりはじめた。
547 :
19:2000/11/30(木) 00:41
しかしこの話には中川一郎が猛反対した。
中川からみれば利権関係を全て任せきっている宗男に議員になられ
ては議員活動もままならなくなってしまう。
系列の参議院が一人増えるぐらいではとても割が合わなかった。
中川は懸命の説得をするが、宗男もなかなか納得しない。
周囲は「宗男の中川に対する生涯唯一の反乱」と呼んだ。
結局は中川の再三の説得と反宗男勢力の思惑に気づいたことも
あり宗男の参院選出馬は沙汰やみとなる。
中川の死の少し前のことである。
548 :
19:2000/11/30(木) 00:47
一方で中川夫妻の仲は冷え切っていた。
中川は家に帰らずなぜか宗男の家に入り浸っていることが多くなり
酒量も増えていった。
相変わらず選挙運動を何もしない夫人を「離婚しろ」とせまる中川
一族もいた。しかし田舎の保守政治家が選挙を考えれば「自分の家
くらい治める事のできない奴が…」といわれ不利になることは明ら
かである。
そしてそんな中、中川一郎の衝撃の死となった。
549 :
19:2000/11/30(木) 00:57
ここでは中川一郎の死因については置いておく。
どちらにしても中川の死後たがが外れ、宗男対反宗男勢力の抗争は激
しさを増した。抗争の理由は当然、後継者問題。
中川夫人は政治嫌いで子供も政治から遠ざけていたが、後継者には長
男の一郎を強く推した。
可愛い子供のためか宗男憎しのためか、一度もやらなかった街頭演説
を行い「私は秘書に2度いじめられました。主人を殺され、今度は息
子を殺されようとしています」と凄まじい演説をぶった。
宗男に立候補されては中川一郎の票が割れ不利になる上に、宗男憎し
の思いは強く、壮絶な宗男おろし工作を展開した。
550 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/30(木) 01:04
一郎と昭一が混同されてますね。
551 :
19:2000/11/30(木) 01:05
まずは中川夫人は文芸春秋に手記を掲載。「中川は宗男で悩んでい
た」と中川の自殺の原因は宗男であるという内容のものであった。
そして宗男おろしの工作にある大物を引っ張り出す。
その大物とはナベツネこと渡辺恒雄であった。
552 :
19:2000/11/30(木) 01:07
ごめんなさい549の長男の一郎は長男の昭一の間違いですね
553 :
19:2000/11/30(木) 01:58
ちょっと疲れているようです。
続きは後日にします。
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