「小沢一郎、放射能が怖くて逃げた」と夫人が暴露2

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1無党派さん

 「週刊文春 6月21日号- 便箋11枚の衝撃」 P26

    まだ強い余震がある中、お変わりございませんか  平成23年11月

この度の大震災ではさぞ御苦労があったと思います。ご家族ご親類はご無事でいらっしゃった
でしょうか。何のお手伝いもできず申し訳ありません。被害の余りの大きさに胸がつぶれる思い
です。長年お世話になった方々のご不幸を知り、何もできない自分を情けなく思っています。この
ような未曾有の大災害にあって、本来政治家が真っ先に立ち上がらなければならない筈ですが、
実は小沢は放射能が怖くて、秘書と一緒に逃げだしました。

岩手で長年お世話になった方々が一番苦しい時に見捨てて逃げだした小沢を見て、岩手や日本
の為になる人間ではないとわかり離婚いたしました。お礼の手紙にこのようなことを申し上げるの
は大変申し訳けなく、ショックを受けられると思いますが、いずれお話しなければと思っていました
ので、この手紙を差し上げました。お聞き苦しいと思いますが、今迄のことを申し上げます。

八年前、小沢の隠し子の存在が明らかになりました。●●●●●といい、もう二十才(注)をすぎ
ました。三年つきあった女性との間の子で、その人が別の人と結婚するから引きとれといわれた
そうです。それで、私との結婚前からつき合っていた★★★★という女性に、一生毎月金銭を払
う約束で養子にさせたということです。 注)21歳(男) 若いタレントに生ませた子

小沢が言うには、この★★★★という人と結婚するつもりだったが、水商売の女は選挙に向かな
いと反対され、誰れでもいいから金のある女と結婚することにしたところが、たまたま田中角栄先
生が紹介したから私と結婚したというのです。

そして「どうせ、お前も地位が欲しかっただけだろう」と言い、謝るどころか「お前に選挙を手伝って
もらった覚えはない。何もしていないのにうぬぼれるな」と言われました。あげく「★★★★とは別
れられないが、お前となら別れられるからいつでも離婚してやる」とまで言われました。

その言葉で30年間皆様に支えられて頑張ってきたという自負心が粉々になり、一時は自殺まで
考えました。息子達に支えられ何とか現在までやってきましたが、今でも、悔しさと空しさに心が
乱れることがあります。