社民党は拉致疑惑を「最近になって考え出されたデッチあげ事件」と主張してきました。
http://nyt.trycomp.com/hokan/syamin07kitagawa.html 月刊社会民主7月号「食糧援助拒否する日本政府」
社会科学研究所日韓分析編集北川広和
日米首脳会談で食い違い
四月二五日、ワシントンで開かれた日米首脳会談において、クリントン大統領は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に食糧支援するよう橋本首相に協力を要請した。
これに対し橋本首相は、少女拉致疑惑事件などをあげて慎重な姿勢を示した。
会談後の共同記者会見で橋本首相は「人道的に食糧を必要とする北朝鮮の状況は分かっているが、人道的というなら北朝鮮にもやってもらいたいことがある」と拉致疑惑事件などをあげて人道支援を拒否した。
(中略)
根拠のない拉致疑惑事件
日本だけが取り残されているかにみえる。日本政府はなぜ北朝鮮への人道的な食糧支援を拒んでいるのか。その能力も隣人としての責務もあるのにかかわらず。
表向きの理由として挙げているのは、少女拉致疑惑事件である。一九七七年一一月に新潟県の自宅近くで行方不明となった一三歳の少女、横田めぐみさんが、
北朝鮮の工作員によって拉致されていた疑いがある、というのである。
しかしながら、拉致疑惑の根拠とされているのは、つい最近、韓国の国家安全企画部(安企部)によってもたらされた情報だけである。
つまり、日本政府は何一つ証拠を握っているわけではないのである。五月一日、警察庁の伊達警備局長は「これまでの捜査を総合的に判断した結果、拉致の疑いがある」とする公式見解を初めて明らかにした。
「拉致の疑いがある」との表現から、日本政府が何ら証拠をつかんでいないことがうかがえる。実際、日本政府は北朝鮮犯行説を裏づける具体的な証拠を示していない。
しかも、安企部が提供した情報には、不可解な点がある。
第一に、情報源とする北朝鮮の元工作員なるものの存在である。安明進という名の工作員について、北朝鮮はそんな人物はいないと否定しているし、安企部も写真の公表を避けている。
三月一三日付産経新聞の一面トップには、この元工作員のインタビュー記事が写真入りで大きく出ているが、なぜか顔は伏せたままである。
その産経新聞は、元工作員の亡命時期について「九三年九月四日」と本人がインタビューで語ったとしているが、二月三日付の同紙夕刊では「平成六年末」(九四年末)とある。
一年数カ月も食い違うのはどうしてなのか。
しかも、元工作員は自分が拉致したのではなく、スパイ学校の生徒だった当時、教官からかつて拉致したと聞いたとしているにすぎない。
元工作員が本当に存在するのかさえきわめてあやしいと言わざるをえない。
矛盾する証言内容
第二に、産経新聞に掲載された元工作員の証言内容に不自然な点がある。
(1)工作員の教官が生徒に拉致した際の様子を詳しく語ったとされているが、極秘事項を生徒にペラペラ話す教官がはたして存在するだろうか。
(2)拉致した理由について「迎えを待っている時に顔を見られたので、やむをえず誘した」としているが、少女が行方不明になった時間は
「午後六時三五分、すでに辺りは真っ暗」(二月三日付産経)だったのだから、顔を見られたというのはおかしい。
また、証言のなかには「船に乗せたら泣きっぱなしで、その時、初めて子どもだと分かった。北朝鮮ではなぜ子供を連れてきたのかとしかられた」とあるが、
これでは顔を見られたはずの工作員が少女の顔を見ていないことになり、褄が合わない。
そもそも家々の灯りがつき始めた夕方に、脱出を図る工作員がいるだろうか。少女が行方不明となった時間帯に工作員を登場させるには無理がある。
(3)工作員が北朝鮮で見たという日本人女性は「紺色のスーツ、白のブラウス姿、おかっぱ髪にふっくらとした顔つきだった」としている。
何人か見かけたという日本人女性のうち、この女性のことだけ工作員が教官に詳しく尋ね、その姿格好を克明に覚えていたのは不自然である。
しかも二〇年もたっているので、何の手がかりにもならないはずのことをなぜ証言しているのか。実はこの姿格好は、行方不明となった少女の捜索写真とよく似ている。
これで両手にバックを持っていたと証言したら、写真の説明文にすぎない。
日本人女性と少女とをオーバーラップさせようとする作為がうかがえる。そこから証言そのものが創作ではないかとの疑念が生じる。