こんばんは
しばらくの間、現在の国内外の状況について、私はネタを投下できませんので、
一見関係のないネタでも投下します。
今回は中国経由の小ネタです。
どこかの新聞社が、中国の朱元首相が、日本国民の震災の対応を
「処危不驚(危に処して驚かず)」
と絶賛したことについて記事にしておりました。
記事の中では触れてはいませんが、
「処危不驚」は、儒教的な言葉で、わが国の年筮である「震為雷」に対する易経の
考え方を示したものです。
そして、儒教では、四書五経(特に五経)に繋がる言葉を直接的・間接的(趣旨)に
引用することで、表面的な主張とは別に
@隠された主張を加える
A全く別の主張を入れる
ということがよくおこなわれてきました。
※@Aを理解するには、四書五経の理解(儒教的意味の教養人であること)が不可欠です。
つづく
儒教的な言葉である「処危不驚」も、震災後のタイミングで日本に対して使うことは
隠された意味を持ちます。
朱元首相がそれを意識して、この言葉を使ったかどうかはわかりかねますが、
「意識していた」と仮定して、「処危不驚」の隠された意味について解説してみようかと
思います。
※なお、一定以上の力量があれば大体同じ卦が出ますので、中国人が今年のわが国の
年筮「震為雷」を知っていたとしても、おかしいところはありません。
まず、「処危不驚」は、「震為雷」易経・卦辞(文王)の次の記述に繋がります。
「震百里を驚かすも、ひちょうを喪わず」
※「ひちょう」とは神器のこと。「神器を喪わず」というわけですから、
「権力を喪わない」ということです。
意味は
「震為雷の時、震雷(天)は百里四方を震撼させる大天災を引き起こすことがあるが、
その危機に際して、『驚愕して我を失う』ことがなく、現実的な対処(下る方向の努力)
を怠らなければ、権力は喪失しない(天命は尽きない=易姓革命は発生しない)」
です。
裏を返すと、
「震為雷の時に発生した大天災に際して、現実的な対処を怠る、もしくは、
現実的でない対処(上る方向の努力)をすると、権力は喪失する(天命は尽きる)」
ということになりますね。
つづく
つまり、「処危不驚」には、
震為雷の時(←重要)、「処危」で「不驚」ならば、権力を喪失しないが、
「不驚」でないならば、権力を喪失する
という意味が隠されている、ということになります。
さて、現在日本で権力を持っている者は、政権与党である民主党と、第4の権力である
マスメディアですが、
彼らが今回の大震災に際してどういう態度をとってきたか、については
今更書くまでもないでしょう。
としますと、朱元首相の「処危不驚」は、表向き北京政府に対して自国の教育の重要性を
主張しているようにもみえますが、
仮に、朱元首相が「処危不驚」の儒教的意味を意識して発言していたとしたら、
別のことも主張していることにもなります。
対日政策、特に民主党と日系メディアに対して、上記の理由から今後はつきあい方を
変更した方がよい、ということになりますか。
実際のところはどうなのでしょうね。
今回はこの辺で終わりです。
また何か小ネタを投下する予定です。
お目汚しいたしました。
それでは消えます。