山岡賢次(金賢二)の胡散臭い「経歴」

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1山岡荘八
山岡賢次の本名は「金賢二」、通称は「金子賢二」であったが、後、「藤野賢次」と改姓改名し、後、さらに
「山岡賢次」と改姓改名した。以下、紛らわしいので「賢次」と称する。この人物の経歴は、実に胡散臭い。

「山岡賢次」のオフィシャルHPには、「山岡けんじと父、荘八」というページがある:
http://www.yamaokakenji.gr.jp/web/profile/yamaokasouhachi.html
その中で、賢次は、「父」山岡荘八(本名:藤野庄蔵)の小説『徳川家康』を顕彰(:自慢)している。
文中、山岡荘八を「義父」と自ら呼称しているとおり、賢次にとって荘八は「親父」ではない。

のみならず、本名:「金賢二」の名が表すとおり、賢次はれっきとした在日朝鮮人(もと朝鮮総連系)でもある。

賢次が外国人参政権実現に熱意を燃やし、また外国人参政権実現に熱心な小沢一郎に忠誠を尽くす理由も、ここに在る。

賢次が在日朝鮮人であることを、ここであげつらうつもりはない。それは、人道に反する。

しかし、私が「胡散臭い」と言わねばならぬ理由は、何処の馬の骨とも知れぬ賢次が、
「名家の嫡子」を装うために、必死にその出自を粉飾してきた点に在る。

第一に、賢次は「山岡家」(実は、ペンネーム「山岡荘八」で小説を書いた作家・
藤野庄蔵の藤野家)の「養子」と称しているが、事実ではない。

賢次は、山岡荘八(=藤野庄蔵)の「後妻」の「連れ子」であった秀江に取り入り、
彼女と結婚しただけである。したがって賢次の妻・秀江も、厳密には、もともと
「山岡家」=藤野家と、縁もゆかりも無い。

1978年、山岡荘八(=藤野庄蔵)が逝去するや、賢次は妻の母と山岡荘八との関係を
たどって、「山岡家」=藤野家の「養子」を装い、かつ家庭裁判所の認定を得て、
「山岡家」=藤野家の家督を乗っ取った。金賢二が「山岡家」=藤野家の「養子」の
地位を得た後は、彼は姓も名も変えて、「藤野賢次」を名乗るようになった。 

賢次は、1980年代初頭、政治家になる野心を燃やしはじめたが、このころ(年月未詳)、
再度、家庭裁判所の認定を経て、「藤野賢次」から「山岡賢次」に改姓した。
それは『徳川家康』・『坂本竜馬』等の歴史小説を書いた小説家のペンネーム「山岡荘八」の
知名度にあやかろうとしたのみならず、名家の一族を装うのに都合が良いと考えたからに、
違いない。それにしても、正当な理由なくして改姓したことが、「民法」(第791条)や「戸籍法」に
抵触するのではないか、甚だ疑わしい。

ともあれ、かくして、「山岡荘八の子にして政治家の山岡賢次センセイ」がでっちあげられたわけである。
度重なる姓と名の変更という胡散臭い経歴を経たのち、政治家となった「山岡賢次」は、
「政治資金規正法違反疑惑」・「マルチ商法推進」等、胡散臭い行為を重ねて、今や、小沢一郎の
腰巾着になっているわけである。

何処の馬の骨とも知れぬ出自の人物が、名家に憧れ、それにあやかろうとする根性は、惨めであり、
かつ哀れでもある。かような胡散臭い人物の過去を穿鑿するのは、悪趣味の嫌いはあるが、
こと政治家という「公人」である以上、世の中を騙す粉飾を許すことはできまい。いわんや、
彼の「在日外国人参政権実現」への入れ込みのルーツが那辺に在るのかという一点だけは、
明らかにしておかなければなるまい。

http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/553.html
http://sites.google.com/site/tetsuroweb/home/aratamete/minshutou/giin/yamaoka-kenji