仙台市内(旧宮城町・泉市・秋保町(現青葉区・泉区・太白区)の区域を含む)の住家の被害は全半壊が4385戸、
部分壊が8万6010戸に上る。
仙台市では電気、水道、固定電話は8日目までにほぼ復旧を見たもののガスの復旧率が99%を超えたのは
地震発生後27日目であった。
交通では、国鉄が全面運休となり運行再開に1週間程度かかっている。仙台市営バス・宮城交通バスは地震発生直後に
運行を再開していたが、停電により交通信号が機能しなくなったため、警察官による手信号が行われていたが、
夕方の帰宅ラッシュとも重なり交通渋滞が激しくなり、道路交通は深夜まで麻痺状態だった。
この地震では、ライフライン等が停止し都市生活が麻痺した。これは、50万人以上の大都市(当時旧仙台市は
人口およそ65万人)が経験した初めての都市型地震災害であるとも言われている。また、家屋倒壊被害が甚大であったために
1981年に改正建築基準法が施行され、この地震以降の建物は耐震強化などがなされた。
6月12日は宮城県では「県民防災の日」とされ、地震に備えた防災訓練がなされる。
なお、この地震の最大震度は仙台市などで観測した震度5である。 東京でも震度4を記録した。
宮城県沖地震 (1978年) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87_(1978%E5%B9%B4)