小泉純一郎は運が強すぎる ▲508▲

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48 ◆Dt7kg.HARI
おー、まずは新スレ乙。

大勲位が総理だったときは、わりと英雄扱いっぽかった記憶があり、
銀髪紳士のときも英雄依存は色濃く出てた気がする。

「自分たちは群盲である」
「群盲であるから、悪いのは自分ではない」
「群盲であるから、道を間違うのは手を引くヤツの不手際である」

ほんで、今手を引く立場にある政権は、正しく手を引くつもりがそもそもなく、
めくらに向かってうまい話をささやく詐欺師であるわけなのだが、
ではめくらが突然目が見えるようになるのかと言われたら、たぶんやっぱならないと思うんだよね。

だから、今後も日本人の大多数は群盲だろ。それは変わらん。
明治時代、大正時代ときて、戦争に突入していくところまで群盲のままで、
戦争が終わったら終わったで、やっぱり「今の自分は本当の自分じゃない」という
裏付けのない期待にあぐらをかいた自分探しをしてきた世代の大多数は、
「正義の側に付く正義の味方でありたい」と依存相手を探し続けてきた。
学生運動なんかまさにそれだったしな。自分が何に依存してるのかわからんまま陶酔だけしてたという。

では、そういう体質は今後急に変わるものなのか?
または、今までずっと自立性が高かったのを隠していただけだった、ということがありうるか?
といわれたら、それはそれでないと思う。

結局のところ、ツールが進化しようが為政者の顔が変わろうが、それを支持する有権者というか、
それらに振る舞いを許す国民の「群れとしての本能」には、そう大して変化はないんじゃないかと。