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あの総選挙が終わったとき、小泉クンが非常に厳しい表情で、その結果を見守っていたのには
様々な理由が推測されたのだけれど、それら推測を通して共通していたのは小泉純一郎という
人間にとって、あの選挙結果はセカンドベストであったであろう、ということだったと思う。
ではベストとはなんだったのか?ということを、今年の夏の総選挙が終わってからずっと考えて
いたわけなのだけれど、我が国が無政府状態に陥ってから4ヶ月経ち、様々な状況の変化を見る
につけ、そこに底流として存在している共通の意識のようなものが見えてきているのではないかと
思うのだけれど。
それは何か、と問われれば、それは「英雄願望」という一言に尽きると思う。
そこにあるのは「誰かが、そのうちやってくれる」という依存でしかないわけで、それは先の大戦で
結局自分たちで始めたバカげた自殺自傷行為を、上御一身に全て背負わせることで口をぬぐった
あれの繰り返しでしかない。
あの総選挙に掲げられた数々の目標に共通していたのは、すべて「民で出来ることは民で」で
あったと思う。
つまり、あの総選挙の我々国民にとってのベストは、もはや一人の英雄ではなく我々国民全てが
自らという人格という最小の国家を治める事が出来るようになる結果が求められていたわけで。
小泉クンが考えた、あるいは誰が考えた、ということではなく、単純に「我が国は、もはや『誰か』
への依存では立ちゆかない」という至極当然の結論に至るのですな。
しかるに、結局、あの総選挙が終わった後も「xxさんなら」「xxなら」という英雄願望は発展解消
するどころか、むしろ以前よりも強烈に我々国民の意識に刷り込まれてしまった。
そこにマスゴミにつけこまれた結果が今夏の「自民党でなければ何でも良い」の結末であり
我々国民自らが『自らを改革』することを放棄し、ひいては自ら主権を放擲した結果の無政府状態
であるわけで。
つまり、そういう『英雄依存』を夢見ていられた我が国は終わった、状況は終わっているのに
我々国民は、まだ夢から覚めていない、だからこそ「終わった」というべきだろう、と思うのだな。