こんばんは、
まずは、今年の年筮ネタ(今年の日本の卦)からいきます。
今年の年筮は、易経で非常に重大な意味を持つ卦ですので、国内外のいろいろな事象に
影響を与えます。
ですから、まずは年筮の解説から
さて、わが国の本年度の年筮は、
(天地否から推移した)澤雷随初爻(1爻)
です。
澤雷随という卦に、@天地否から推移した、かつ、A初爻(1爻)である、
という「重大な」特殊事情が加わった形です。
さらに、裏卦が「山風蠱」で、蟲が表にぞろぞろと出てきた時は
「澤雷随は山風蠱を破る」という関係にも注意が必要です。
なお、重大な卦ですので、解説はかなり長文になりますことをご了承ください。
2回に分けて投下します。
多分、今回は長文な上に、面白みのない話になると思います。
つづく
さて、もしも今年の年筮がただの澤雷随であるならば、説明は簡単です。
澤雷随は、「復活を前提とした(←ポイント)落ち目の時」によくあらわれる卦である
ことを念頭において
易経・爻辞(周公・作)は
「官かわるあり」
「貞にして吉」
「門を出でて交われば功あり」
と述べております。
意味は
「役人が変わる可能性がある」(自分が役人ならば、官職が変わる。失職する)
「その時は、正しい方につけば吉」(不正な方につけば凶事あり)
「自由業や浪人になって、広く世界と交われば功績をあげる」
※一行目・周公はこのように述べておりますが、経験則上、役人が変わることのほうが稀
※二行目・「正しい方につけば」とは、例えば選挙ならば「正しい方を勝たせれば」という
意味ではありません。たとえ少数派であったとしても、正しい方についた方が吉。
一行目は「政権交代」のことを述べておりますが、実は経験則上、この卦で交代する
ことの方が少ないです。
二行目は、いうまでもなく麻生さんと鳩山さんのどちらが正しいか?正しい方についた
方が吉、というわけです。年筮は12月の冬至まで有効ですので、それまでに態度を変えて
もOKですね(表面的に態度を変えただけではダメ)。ただ、もう態度を変えることも
できなくなった人(業界)も、いたような(特に外国から見て)。
三行目は、今回の選挙で浪人になったり、引退して自由になった「運の強い方」や
「禁酒な方」がいましたし、下野した自民党自体が「自由業」のようなもの?
つづく
という説明になります。
ですが、@天地否から推移した、かつ、A初爻(1爻)である、という特殊事情が
加わると、非常に重大な意味を持つようになります。
国内外の様々な事象に影響がでますね。
この点についての解説は、陰陽学に詳しい方や、儒教のテキストである四書五経に
詳しい方ならば楽に理解しやすいと思いますが、今日ではそのような方は少ないですので、
そのことを前提として簡略化して解説したいと思います。
※易経は、四書五経のうちの五経筆頭扱いですので、儒教のテキストでもあります。
中核部分を文王・周公が執筆しておりますので、当然のことです。
ですから、戦前までのわが国では、四書五経を習得した者は副業で易者をしていた者も
多かったようですよ。
幕末ですと、佐久間象山が有名ですね。いろいろな逸話が残っておりますし。
さて、解説は特殊事情→(その影響を受けた)卦の解説→裏卦との関係の順でします。
その方がわかりやすいと思いますので、
まず今回は特殊事情を解説いたします。
つづく
特殊事情@「天地否から推移した」ですので、「天地否」の卦から解説します。
天地否という卦の陰陽の象(かたち)は、「上に天、下に地」です。
当たり前ではないか、と思われますが、意味は
「天が上にいたまま地に下りてこない」=(一時的に)天に見捨てられた
という状態です。
天に唾する真似をして、天を怒らせて、「落ち目になったとき」によく出る卦です
また、「否」とは「口(正しい言葉・正しい情報)が不(塞がる)」という意味ですので、
正しい情報が全く流れなくなる、と言う意味もありますね。
ただ注意していただきたいことは、天地否は「一時的に」天に見捨てられた状態である
ということです。
まだ地の上に天がありますので、「完全に」見捨てられたわけではなく、
「処分は保留」されております。
その後、どうなっていくか(どう分岐するか)が重要です。
1、本当に天に見捨てられてしまうのか(例;天地否→風地観など)、
2、見捨てられるまでは行かないが、gdgdになるのか(例;天地否→澤水困など)
3、再び天の助力を得られるようになるのか(例;天地否→澤雷随「のみ」)
などなど様々に分岐します。
どう分岐するかは、その時その場にいた当事者しだいです。
福田さんがフラグを立てていただいたおかげで、3、のルートになったと。
※3のルートは極めて稀ですので、その意味でも福田さんには感謝しております
つづく
ただし、澤雷随になったとしても、一度見捨てられていることから、すぐ天の助力を
得られるわけではない点、注意。
様々な苦難に翻弄されることになります(次回)。
※澤雷随は、復活を前提としますが、「落ち目」の卦でありますし。
よって、天地否→澤雷随の変化は、
「処分保留」の落ち目→「復活前提」の落ち目
に変化したのであり、
天地否の状況下で起こりうる変化としては、最良のものと解釈しております。
易経も3、のルートを最上として扱っております。
易経はあまり卦の推移については記述していませんが、
澤雷随には
「随は、剛来りて柔に下る」(=天地否→澤雷随の変化・後述します)
「動きて説ぶは随なり」
「大いに亨り貞しくして咎なく、天下時に随う」
「時に随うの義、大いなるかな」
という記述があるくらいですので。
2行目以降は訳しませんが、「非常に良い」と評価している、ということは分かると
と思います。
※天とは、「時の経過に伴う変化(=天の運行)」である、ということを念頭において
読めば感じがつかめます。
※2行目以降は次回の解説で使用します
つづく
次に、天地否→澤雷随の変化について具体的にみてみましょう。
卦の陰陽の象(かたち)を比較してみれば、明らかなのですが、
天地否の上爻(6爻)「=天の最上部」から、初爻(1爻)「=地上」に陽爻が移動した
のが澤雷随であると分かります。
つまり、天の最上部から「何か」(後述)が、地上に下りてきた、という変化ですね。
※ 易経「随は、剛来りて柔に下る」(剛とは「天」、柔とは「地」のこと)。
そして、今年の年筮は初爻(1爻)ですので、それがちょうどわが国に居座っていると。
ここで注意していただきたいのは、天から下りてきた「何か」とは、
いわゆる「神様」とか「救世主」とかとは、全く違う概念です。
易経における「天」とは、「時の経過に伴う変化(天の運行)」のことでしたね。
そして、八百万の神も、救世主のような英雄であっても
「天の助力(=時の経過に伴う変化が自分に有利である)」なくして、
力を発揮することはできない、というのが易経の立場です。
ですから、天地否→澤雷随の変化とは、
現在のわが国は「落ち目」ではありますが、
しばらくすれば、天の運行(時の経過に伴う変化)がわが国に有利なものになり始める
ようになった、ということです。
※なお、天の運行が有利なものになり始めるのにどのくらいの期間がかかるかといいます
と、それは日本国・日本国民次第ですね(次回解説)
つづく
29 :
無党派さん:2009/09/04(金) 00:40:46 ID:GKYC9RhH
支援
そして、特殊事情@天地否→澤雷随の変化、かつ、A初爻(1爻)である、
という特殊事情の「重大性」とは、
「天」自らが、わが国(=初爻(1爻))に力を貸すように動いた
(=「天」自らが、上爻(6爻)から初爻(1爻)に下りてきた)
です。
要するに、天の運行ベクトルがわが国に有利なように変更された、
ということです
当然、わが国が有利なように変更されたならば、どこかの国は不利になったりしますね。
また、国内外の様々な事象に影響が出たりします。
なお、天の運行ベクトルが変更されたのは、福田さんがフラグを立てたからです。
地上の人間が天の運行ベクトルを変えることはめったにあることではありません。
※以前の投下した「坎為水」の解説参照
つづく
最後に、天から下りてきた「何か」について具体的に解説します。
イメージしやすいように、あえて擬人化?してみます。
まず、陰陽学(易経)における天の重要人物は2人
1、乾為天(竜神・天帝)・・・天の運行を司る総責任者。中華皇帝のエンブレムである。
2、震雷(震)・・・乾為天(竜神)の子供(後継者)。地震を起こす能力がある。
※下りてきたのは2、震雷(震)です。
2人とも天の運行を司りますが、属性に多少の違いがあります。
1、乾為天(竜神・天帝)は、条件さえ揃えば、誰でも味方につけることが可能です。
しかし、想像を絶する対価を要求されます(乾為天は神様ではないのですよ)。
(この辺は今回のネタとは関係ありませんので、省略します)
※もしも、この辺に関して考察してみたいならば、
想像を絶する対価が要求されるからこそ、儒教は王朝(中華帝国)には必ず寿命があり、
「易姓革命は不可避」である、と考えている、がヒント
2、震雷(震)は、対価を要求しませんが、誰でも味方につけられるわけではありません。
震雷(震)の行動原理は「好きか」「嫌いか」であり、好かれなければ味方になりませんね。
また異様に行動力があります。頭で考えるより行動するタイプです。
「萬物を動かすものは震より疾(はや)きものなし」(易経)
儒教では、震雷(震)は天の「後継者」ということで、乾為天の「長男」と位置づけて
おります。
ですが、行動原理に女性的なところが多いことから、
むしろ「異様に行動力のある元気な姫君」と、イメージした方が良いかも。
つづく
さて、中華帝国では乾為天(竜神・天帝)を重視します(中華皇帝の象徴ですし)。
一方、わが国では乾為天とは敬いつつも一定の距離をとり、震雷(震)の方を重視します。
理由は、震雷(震)がわが国に好意を持っているからですね。対価を要求されない方を
重視するのは当然です。易姓革命の危険もありませんし(地震の危険性は上がります)。
(天を怒らせない限り、対価なしで天が味方につくわけで、わが国が強運である理由の
一つですね)
なぜ好意を持っているかは、知らない方がいいです。
というわけで、わが国では震雷(震)をとても大切に扱っております。
例えば、「大正」という元号は、易経・地澤臨(「震雷」と関係ある卦)から
直接引用されております。
「明治」(離為火)の次が「大正」(地澤臨=「震雷」)であることは意味があるのですよ。
事情がありまして、説明はできませんが
(危険ですので、裏取り禁止)
そういえば、小泉さんとも関係がある円覚寺の
「電光陰裏斬春風」
は、易経の心得がある方ならば、この言葉が「震雷」を指すと分かると思います。
小泉さんは「震雷」に好かれそうなタイプですね。
なお、個人レベルで、「震雷」に好かれる、嫌われる、という基準ははっきりして
おります。
次にこれを解説してみましょう。
つづく
33 :
無党派さん:2009/09/04(金) 00:46:39 ID:GKYC9RhH
支援
易経に「幾を読む」という概念があります。
「幾」とは、卦にもあらわれない微かな兆候のことで、
特に「震雷」が関わる時は「空気が微かに震える」といわれます。
それを読み取るわけですので、
「幾を読む」とは「(文字通り)空気を読む」「先読みをする」という意味です。
易経はこの点について
「幾を知るは、其れ神か」
「君子は幾を見て作(た)ち、日を終うるを待たず」
と述べております。
意味は、
「幾を真に知る者は、竜神である」(=幾は、天(竜神)の御使いである)
「君子は、誰よりも早く翌日の幾を読み、その日のうちに対策を取り終える」
(=君子は天の動きに対応する=先読みして「対策を取れる←ポイント」)
ですね。
あえて、「幾」を擬人化?しますと、
「天(竜神)の御使いで、震雷の相棒」ということになりますか。
さて、「幾を読めて」(物事を先読みできる)、その「対策が取る←ポイント」ことは、
天の運行(時間の経過に伴う変化)に協力していることになります。
そのような方が天である「震雷」に好かれないはずはありません(=好かれる基準)。
※なお、このようなことができなくても嫌われることはありません。相手にされないだけ
です。
つづく
では、どういう者が嫌われるのか?といいますと、言うまでもなく、
「天の運行(時間の経過に伴う変化)」を阻害し、社会を停滞させようとする者ですね。
また、震雷は異様に行動力がありますので、口先だけで動かず、批判ばかりの者は
「好きではありません」し、自分は何もしないで他人を扇動して利益を得ようとする者も
「好きではありません」。
※「好きではない」は、嫌いまではいかない。無視する程度の扱い。
としますと、時代の変化(天の運行)を邪魔し、社会を停滞させようとする者で、
@口先だけで他人の批判ばかりしていたり、A自分は何もしないで他人を扇動して利益を
得ようとしていたら、
天である震雷から見れば、「大嫌い」レベルで「敵」認定されます。
あとは、日本国・日本国民次第ですが、
しばらくして、天の運行がわが国有利になり始める=震雷が力を振るい始める、ことに
なり始めたらどうなるでしょうね。
今回はこのあたりでおしまいです。
今回のネタは、あまり具体的でないネタで、興味が持てなかったかもしれません。
次回からは、具体的な話になってくると思います。
次回は早ければ週末にでも投下します。
お眼汚しをいたしました。
それでは消えます。