【W不倫】佐藤ゆかりのスキャンダル雑談2【アムウェイ推奨】

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917無党派さん
>>782
>特別企画・佐藤ゆかりの偉大なる遺伝子


>母みどりさんは大正9年生まれ
>大正9(1920)〜平成2(1990)

>佐藤ゆかり・1961年誕生・つまり、みどりさん41歳でゆかり出産。
>90年に亡くなったので享年70歳。
>学歴は昭和12年順心女子学園卒・大正生まれ女性としては高学歴です。

古矢さん、さすがに「ゆかりファンクラブ」の顧問を自称するだけのことはあります。
”将を射んと欲すればまず馬を射よ”といいますからね。顧問としては狙いはグーよw
よく”みどりさん”を調べてきたね。

私は順心女子学園卒ということは碑文谷の知人から聞いていました。
当時の学校名は「順心高等女学校」で、現在は「順心広尾学園」だ。
1918年創立で初代校長はあの有名な才女「下田歌子」だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%86%E5%BF%83%E5%A5%B3%E5%AD%90%E5%AD%A6%E5%9C%92

容姿と才能に恵まれ、「明治の紫式部」ともあだ名されるが、政府の高官との浮名も
絶えなかったそうだ。1893年(明治26年)、女子教育の視察のため2年間欧米へ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E7%94%B0%E6%AD%8C%E5%AD%90

初代校長下田歌子の方針で「順心高等女学校」は外国語教育に力を入れた。
そんなことで佐藤ゆかりの母”みどり”は英語を話せた。
慶応義塾大学経済学部卒の父”宏”も英語に堪能であった。
つまり、佐藤ゆかりは両親からあなたが言う「偉大なる遺伝子」を受け継いるわけだ。
918無党派さん:2009/09/29(火) 21:12:33 ID:iuIcNv7V

その語学力はアメリカに本部を置く地域社会への貢献と福祉活動を推進するNPO組織の
東京支部の会長を務め、米国本部での大会に出席したことでもわかります。
東京支部設立当時は戦後の代表的な女性リーダーであった神近市子、市川房枝が支部の
運営にあたったそうだ。

下田歌子は欧米の女子教育を視察して帰国後「帝国婦人協会」を設立。当時庶民の女性
があまりにも男性の言いなりにばかりなっていた姿に心を痛め、「日本が一流の大国と
成らん為には大衆女子教育こそ必要。」と女性に教養を授け、品性を磨かせ、自活の
チャンスを与えて女性の地位向上・生活改善をはかるべく奮闘した。

そんな女子の自立教育を「順心高等女学校」で受けた”みどり”は後年結婚してから
家庭教育でその教えを”ゆかり”に実践したのだ。
佐藤ゆかりはその厳しさに泣いたこともあるという。
919無党派さん:2009/09/29(火) 22:45:33 ID:iuIcNv7V

ちなみに佐藤みどりさんが通学した順心女子高等学校(現「広尾学園」)は
港区南麻布5-1-14にあり、東京メトロ日比谷線『広尾』駅より徒歩3分です。
外苑西通りに面していて、同じ通りに面して100m離れたところに大学が
あります。


聖心女子大学 渋谷区広尾4-3-1
東京メトロ日比谷線『広尾』駅より徒歩3分
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35.64791278&lon=139.73286083&v=2&sc=5?136,204
佐藤みどりさんは当時の都電だか市電で学校に通学したはずですが、聖心女子大学の前で
下車して学校まで歩いた。車両では女子大生と乗り合わせる。
このあたりは欧米の大使館が多い。

佐藤ゆかりは小学校を卒業すると学校案内書を見て、「不二聖心女子学院」への進学を
決めます。本人は6年制の寄宿舎生活にあこがれたらしい。
父親は進学校でない「不二聖心」への進学に猛反対する。
娘を一族に出身者が多い慶応義塾大学に入れたいからだ。

母親のみどりは、不二聖心が聖心女子大学の付属校であることが分かると、娘の側に立ち、
教育熱心な夫と対立する。デッドロックに乗り上げたが、時の氏神としてゆかりの
祖母が中に入り婿を説得して事なきを得たわけだ。

これも、みどりさんが母校以外で一番親しみを感じていた、聖心女子大学の付属校を
偶然に娘が進学先に選んだという事実に、自分のDNAが娘に受け継がれているみたいな
運命的なものを感じたのであろう。