1 :
無党派さん:
投票に関するよくある勘違い
その1「投票は義務だ」
義務ではなく権利である。少なくとも日本は義務投票制ではない
その2「投票に行かない者は政治に口を出す権利はない」
権利を行使するしないは権利者の自由であり、行使しなかったからといって政治に口を出してはいけないことにはならない。
政治に口を出す権利がないと言えるのは寧ろ納税義務を果たさない者の方であるがそれでも尚、表現の自由である
その3「棄権は有権者の意思表示にならない」
次のような考えで棄権することも立派な意思表示である。「応援したい候補者がいないので投票しない」「他の有権者の判断・選択に任せる」
「己の一票で当落結果を左右する確率は殆ど0なので合理的に考えて行かない」「投票よりも寄付・献金や労力・ボランティアで応援したい」「政治に興味がない」
その4「一票を投じる行為には価値(意味)がある」
どの候補に一票を足し引きしても、当落結果には殆どのケースで変化をもたらさない。変わり得るのは同点や一点差の場合のみで確率的に極めて稀。つまり一票があってもなくても同じである。
意味があるとすれば投票者が政治に参加した自己満足を得られる程度でしかないのが実態であり、一票の価値とはそういうものである
その5「投票率が下がることは悪いことだ」
国民の生活満足度が低く政情不安な国家ほど投票率は高くなる。国政に対する国民の満足度が上がれば投票率は下がる。つまり投票率は幸福度に反比例するバロメータであり、下がれば下がるほど喜ばしいことである。
下がって悪いのは、行政上のミスや制度上の未整備によって投票意思はあるのに投票を行えないケースである
その6「悪政が蔓延るのは投票率が低いからだ」
投票率ではなく民度が低いからである。良くも悪くも民主政治は民度を反映する。実際には民度が高くなればなるほど、投票率は低くなる
2 :
無党派さん:2009/07/30(木) 15:54:24 ID:H6rDa2mu
その7「投票率はいろんな手段を駆使してなるべく上げるべきだ」
投票率は結果であって目的ではない。数字を上げることを目的に投票行為が簡便化されると、それほど関心や情熱が無い者も簡単に投票出来るようになり、全体として質が落ちる可能性がある。また安易な多様化は不正を誘発し兼ねず、結果を目的化することは本末転倒
その8「投票率が下がると組織票が強くなり政治が悪くなる」
制度上、当然多数派組織に属さない者の意見が通りにくくなるが、それを以て必ず悪くなるとは限らない。「自分の意見が通れば政治が良くなり通らなければ悪くなる」という独善的発想しかできない者の票が強くなれば、それがどんな組織であっても政治は悪化する
その9「組織票は悪である」
彼らは悪ではなく、単に不幸なのである。組織に与しない(特に無党派層の)人々にとって、組織票は得体の知れない頑固で厄介な固定票に見えるだろう。が徒党を組む人々は自分たちの置かれている立場境遇環境に不平不満があるからこそ、寄り集まるのである。
彼らが不幸である証拠に組織票の多くは宗教が基盤。元より幸福な人は宗教に依存しない不幸な人々の要望する政策が実現され彼らの欲求が満たされれば、彼らは幸福になり組織は自然と衰退する。近年無党派層が増えていることは、その表れでもある
その10「組織票は自分たちのエゴしか考えない」
勿論その傾向はあるが、それは彼らがそれだけ不幸だからである。不幸な者ほど自己中になり自己愛が強くなる。
だが不幸な人が幸福追求の手段を政治に求めるのは当然の権利であり自由。彼らの生活満足度を向上させれば、エゴを軸に投票する人は必然的に減る。
彼らのエゴに対して己のエゴで対抗するなら、彼らはいつまで経っても自らのエゴを満たせず、存在し続けることになる
その11「政治は国民の唯一の幸福追求の手段である」
政治のみに依存する一部の国民以外にとっては、唯一ではない
その12「投票権を行使しないと、選挙に掛かる費用が無駄になる」
確かにコスト上は無駄が発生するが、結果的には同じくらい死票や無効票も無駄である。それを理由に更にほぼ自己満足でしかない行為を重ねるのも輪を掛けて意味がない。投票に行く時間と労力を生産活動に充てれば決して無駄にはならない
3 :
無党派さん:2009/07/30(木) 15:58:04 ID:H6rDa2mu
その13「誰でも平等に一票を持っていることはいいことだ」
良いことかどうかは民度による。政治的知識がある人も無い人も同じ一票、真面目な人も不真面目な人も等しく一票、利己的な人も利他的な人も同様に一票、とかく猫も杓子も一票という現行制度は、見方によっては「悪平等の最たるもの」である。
民度の低い国で無理に普通選挙制を導入すれば、一時的にせよ衆愚政治に成り下がるのは必然。普通選挙が始まって未だ1世紀に満たない日本で本当の民主主義が根付くのはこれからである