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189無党派さん
■日本列島はすでに戦場である! 脱出策は「つくる平和」へ転換を 
世界平和学の先駆的業績として知られるガルトゥング教授著『構造的暴力と平和』に学びながら、平和とは何かを考える。 
同教授の平和論の特質は、構造のなかに組み込まれている「構造的暴力」という新しい概念をつくったことで、これによって平和概念を拡大させた。
つまり平和とは単に戦争がない状態(=消極的平和)であるだけでなく、構造的暴力がない状態、
すなわち内外の政治、経済、社会構造に起因する貧困、飢餓、病気、抑圧、疎外、差別などがない状態(=積極的平和)をも意味していることを明らかにした。<>
この再定義に従えば、もちろん非戦(戦争という究極の国家的暴力がない状態)は平和にとって基本的に重要だが、それだけを指しているのではない。 
人間性や生の営みの否定ないしは破壊が日常的に存続している状態、
例えば自殺、交通事故死、凶悪犯罪、人権侵害、不平等、差別、格差、失業、貧困、病気、飢餓―などが存在する限り平和とは縁遠い。<>
▽日本列島は多様な暴力に満ちて、すでに「戦場」である 
…多発する凶悪犯罪(秋葉原での17人の無差別殺傷事件など)、年間3万人を超える自殺、
年間5000人以上の交通事故死(多いときは年間1万7000人の死者を出した。
累計の犠牲者数は50万人を超えているのではないか。まさに交通戦争死といえる)、生活習慣病など病気の増加、
300万人前後の失業と雇用不安、企業倒産の増加、貧富の格差拡大、人権抑圧などまさに構造的暴力は後を絶たない。 
これでも日本は平和といえるのかという疑問符を投げかけるほかないではないか。 
 東京新聞社説の「人間を雇用調整の部品や在庫調整の商品並みに扱ったのでは資本主義の敗北で、未来があるとも思えない」という指摘は、
昨今の市場原理主義の負の側面、つまり企業レベルの構造的暴力をついている。 
 軍事力を行使して戦死者を出す修羅場のみが戦場ではない。
多様な暴力によっていのち、安心、平穏、平和が破壊されている日本列島上の地獄のような現実も、戦場と呼ぶ以外に何と呼べばいいのか。
これがガルトゥング教授に学ぶべき今日的な平和観とそれに基づく診断である。
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200808151850095