1 :
無党派さん :
2008/08/09(土) 18:12:32 ID:ntrzfnKP 福田康夫首相は8日、北京五輪開会式を前に、グルジアとロシアの紛争に言及した。 「まあ、頑張ってください。せいぜい頑張ってください」 「私はね、グルジア国民にロシア戦闘機をいくつ撃墜してくれなきゃ困るなんてこと言いません。余計なプレッシャーかけちゃいけないと 思って自制しているんです」 などと、しばらく鳴りを潜めていた軽口を連発させた。 とどめは「今年は、みんな旅行にも行かないで、家でテレビの前でいるのが一番。ガソリンが高いせいもちょっとあるんだけどね。オリンピックからテロ・戦争まで見られるからね、フフン」。 華やかな会場で心が緩んだのか、首相本人は終始笑顔だったが・・・・・・・
2 :
無党派さん :2008/08/09(土) 19:09:35 ID:KkFI5O5i
3 :
無党派さん :2008/08/09(土) 19:14:31 ID:Zb5bAiTX
だが「チンパン節」の描写が実に上手いなこの>1
4 :
無党派さん :2008/08/10(日) 10:09:22 ID:acLh86ir
せいぜい(能力が及ぶ限り精一杯)がんばってください ↑ 激励しているわけだが、何か問題があるのか? 英訳時も↓ せいぜいがんばる work as hard as possible [as hard as one can] せいぜい努力する make every (possible) effort to do 最善を尽くす do one's best to do. せいぜい+肯定な言葉=肯定的な意味 せいぜい+否定な言葉=否定的な意味 こんな基礎的な国語力もないなんて、本当に日本人なのか? 福田を非難してる奴は中卒DQN・同和・在日・チョンのいずれか。
5 :
無党派さん :2008/08/10(日) 10:23:02 ID:K5ukULsk
もう被害妄想の固まりだなや 懸命に幾ら頑張っても、評価はマイナス 自棄糞発言多いね
6 :
無党派さん :2008/08/10(日) 11:01:19 ID:oC5/XWy1
日本選手団が入場したときに立たなかったわけだからなあ。 行動が物語ってるよ。
7 :
無党派さん :2008/08/11(月) 01:01:56 ID:pEY5CuAm
福田ってvipper?
8 :
無党派さん :2008/08/11(月) 03:31:14 ID:iY+Xp0fI
フフン
9 :
無党派さん :2008/08/11(月) 12:08:46 ID:qaJSvrmS
10 :
無党派さん :2008/08/11(月) 12:29:23 ID:/ukQx35D
精々って見下した表現でもなんでもないんだけどな。 宿屋でも「売店を精々ご利用下さい」なんて書いてあるでしょ。 でも福田はで〜っ嫌い!
11 :
無党派さん :2008/08/11(月) 15:59:54 ID:iY+Xp0fI
頑張れグルジア。
12 :
無党派さん :2008/08/14(木) 18:13:32 ID:xLEs+sQe
アメリカ参戦だとよ
13 :
無党派さん :2008/08/14(木) 20:02:10 ID:pKZGsN9+
嫌な流れだな… バカス中国でバロスな五輪開催→同時にロシア戦争→アメリカ参戦… 世界大戦勃発か?
14 :
無党派さん :2008/08/15(金) 00:39:38 ID:ub+IvWNy
福田が言うと言葉に迫力がない 「副詞の使い方がおかしい」
15 :
月読 :2008/08/15(金) 15:32:58 ID:+Urqf6qk
16 :
無党派さん :2008/08/15(金) 15:36:23 ID:Ah0Cofq3
17 :
酒たまねぎや :2008/08/15(金) 15:39:39 ID:QS3XLBsW
我が国の統治が、他国と比べて醜かったのでしょうか。 インドネシアとオランダの事をくらべていただきたい。インドネシアに対 して、オランダはどのような政策をとってきたか。インドネシアが独立時 にオランダがとった事は何か。我が国が大東亜戦争時にインドネシアに対 してとった政策はオランダと比べて、醜いものであったか? アメリカ、イギリス、フランス、スペイン、オランダが他国に対してとった 植民地政策はどうであったか。支那はどうであったか。御存じでしょうか。 朝鮮を我が国が併合したが、その政策は、他国からそれほどいわれるほ ど醜いものであったか。我が国が、朝鮮半島においてどのよう な醜い 政策をとったといっているのでしょうか。具体的にお教え頂きたい。
18 :
酒たまねぎや :2008/08/15(金) 15:43:17 ID:QS3XLBsW
http://www.tamanegiya.com/johm.w.dower.html http://www.tamanegiya.com/aqmerika19.10.23.html 以下引用
「フィラデルフィア・レジャ」紙のルポ
「米軍部隊は無情で容赦なかった。男女を問わず、囚人・捕虜はもちろん、
明らかな反乱分子であれ容疑者であれ、一〇歳以上なら片端から殺しつくした」
「手をあげておとなしく降伏してきた捕虜たちは、暴徒であることを示す一片の証拠もないまま、
一時間後には橋の上の立たされ、次々と銃殺されて川面を流されていった。弾丸で蜂の巣にされた死体を、
川下にいるであろう連中への見せしめにするためだ」
「これは文明人相手の戦争ではない。相手は、力・暴虐・残忍しか通じない連中なのだ。われわれはだから、
通じるべき手段で実行しているのである」P一七二〜一七三より
ルソン島南部の指揮官ジェイムス・F・ベル准将
「二年間(一九〇一年五月までの)にルソン島住民の六分の一が殺されるか、またはテング熱で死んだ」P一七四
つまり、二年間に六一万六〇〇〇人が殺されている。
サマル島の第九歩兵師団・司令官ジェイコブ・スミス准将はゲリラ戦に壊滅させられたC中隊の報復として、
「捕虜はいらん。全部殺し、焼き尽くせ。殺せば殺すほど、焼けば焼くほど、私は満足だ」
一時的に指揮下にあっ海兵隊旅団長L・ウォーラー少佐が、「何歳が限度ですか」 と訊ねると、「一〇歳だ」と答えた。
略)
ウォーラーは全住民に海岸への移動を命じた。二日後、内陸にあるすべての村の組織的破壊と皆殺しが開始された。
家はもちろん、市場に出すための食糧や麻など一切焼き尽くされ、家畜のすべては殺され、舟の類も手当たり次第沈められた。
米軍の軍服なり装備なりの一片でも見つかった村は、それがC中隊の遺品とみなされ、女子供を含む全住民が皆殺しにされた。
P一七四〜一七五
(「殺される側の論理」本多勝一著 朝日新聞社 一九七八年刊)
引用終わり
19 :
酒たまねぎや :2008/08/15(金) 15:46:04 ID:QS3XLBsW
一八九八年の米西戦争も同じように、北米大陸の脇腹にあるスペイン領 キューバが米国の不安材料だった。「いつか敵対国の手にわたったら」という 危惧は、実際に六十年後、あのキューバ危機で現実のものになったが、米国は それを先読みして戦端を切った。ただ、自国の安全保障という直截な言い方はしなかった。 「植民地支配にあえぐ人々の自立のために」、米市民が立ち上がった、と。 このとき海軍次官だったのがセオドア・ルーズベルトだった。彼は友人の アルフレッド・マハンの言葉を入れ、太平洋戦略の基地としてスペイン領フィリピンの 奪取作戦も取り込んだ。そしてスペインに抵抗していたアギナルド将軍に、独立支援を餌にマニラ攻略の共同戦線を張った。 米上院へのレポートでは、サマール島で三十八人の米兵が殺された報復に、この島と レイテ島の住民二万余人が虐殺されるなど、二十万人が殺された。 この中には拷問死も多く、アギナルド・シンパとされた市民が逮捕され、「ウォーター・キュア(水療法)」 の拷問を受けたと報告書は伝える。これはあの魔女裁判と同じに数ガロンの水を飲ませ、 それでも白状しないと「膨れた腹の上に尋問の米兵が飛びおりる。彼らは口から数フィートの水を吹き上げ、 多くは内臓損傷で死んだ。」(同報告書) マニラ湾南のアギナルドの故郷バタンガスでは、住民を銃で殺害こそしなかったが、 すべての田畑や家屋を焼き払い、家畜を皆殺しした。食べるものを家も失った住民は、 飢餓地獄の中で死んでいった。その数は五万人ともいわれる。 「情報鎖国・日本 新聞の犯罪」高山正之著 廣済堂出版 p一七〇〜一七二
20 :
無党派さん :2008/09/03(水) 10:18:57 ID:xGXdsMSQ
国民を見捨て涙目でバックレる総理 ありがとうございました 本当にありがとうございました
21 :
無党派さん :2008/09/03(水) 10:20:02 ID:xGXdsMSQ
22 :
無党派さん :2008/09/03(水) 10:22:15 ID:41eGHir7
民主党の小沢は、代表在任中に辞めると言い出した 自殺未遂事件を起こした人だよねw 自民のお仲間はやることも一緒
テスト
24 :
天照大神 :
2008/09/17(水) 21:36:35 ID:LDq3JY+m サンドイッチマン