小泉総理は運が強すぎる ▲330▲

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104無党派さん
ヒロシマ・ナガサキに原爆を投下した直接の作戦責任者は鬼畜ルメイと呼ばれたカーチス・ルメス空軍大将。彼の計画なくして日本人の大虐殺はあり得ない。その鬼畜ルメイに、日本国政府は勲一等旭日大綬章を与えたのである。
鬼畜ルメイに勲一等旭日大綬章を与えよと推薦したのは、現内閣総理大臣小泉純一郎の父親、小泉純也防衛庁長官であった。

お盆も終わった。ルメイ発案による夜間低空爆撃について補足しておこう。日本本土空
襲の主力となったB29は、日本軍の戦闘機が上昇できないほど高々度からの爆撃が可能
なように気密性能に優れ、対日戦専用に開発された大型爆撃機だった。当時の日本の防
空戦闘機は、高度1万mに上昇するのに1時間程度を要し、機関砲を一撃すると反動で
1000mも下降してしまったという。対空砲(高射砲)も主力は有効射高が約7000mで、
B29が高々度で侵入してきた場合は歯が立たなかった。しかし、そんな高空からの投弾
では目標に命中させることが難しい。さしものB29も当初は狙い通りの爆撃成果を得ら
れなかった。そこで日本空襲のための司令官として抜擢されたルメイが考えたのは「軍
事目標に限定」というタブーを破ることだった。「日本の軍需工場は町工場や一般民家
に分散している」という屁理屈を盾に、ルメイは夜間低空焼夷弾爆撃を命じた。危険は
むろん高くなるが、日本側に夜間戦闘機は数少なく、地上の防空体制も非力だと見切っ
ていたのである。本土上空の制空権はもう既に米軍側の手にあった。ルメイらは焼夷弾
爆撃の効果を高めるため、あらかじめセットを組んで綿密な計画を立案した。それは目
標地域一帯を火でまず囲んでおいてから囲みの内部を密に焼くという惨い計画だった。
1945.3.9、陸軍記念日を翌日に控えて眠りについていただろう人々は、警戒警報の遅れ
から、逃げる間もなく344機のB29の大編隊の焼夷弾攻撃にさらされた。襲来したB29
は搭載機銃の大半を外してまで焼夷弾を満載していた。一帯が猛火に包まれ、10万人も
の人々が焼け死んでいたその最中に、ラジオはいつもの通り「損害は軽微、敵機は撤退
中」という虚偽の「情報」を流し続けていたという。死者10万人以上とされるこの大
きな悲劇は「原爆」被爆に比肩する「ジェノサイド(大量虐殺)」という他はない。