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無党派さん:
本来、アムネスティ条約で、戦犯裁判による受刑者は、講和条約発効後は全員開放
せねばならない。それが東京裁判以前の国際法であり、国際社会の慣習だった。
占領中行った裁判で有罪にした者の刑の執行を、あくまでも続行せよというのは、
単なる戦勝国の復讐にすぎないのだ。
この不当性を、昭和27年までの日本国民は認識していたから、戦犯の即時釈放を
求める4000万人の署名が集められ、「戦犯は日本国内では犯罪者ではない」という
国会決議が行われた。社会党も含む全会一致で、である。
その後、A級戦犯だった重光葵は釈放され、国連加盟の時には外務大臣になってい
た。同じくA級戦犯だった賀屋興宣も釈放され、池田内閣の時の法務大臣になった。
さらに昭和31年までに、東南アジア諸国に投獄されていたBC級戦犯も全員釈放
された。
繰り返すが日本国は東京「裁判」を受諾したのではない。戦勝国によって戦犯とさ
れた人々の刑の執行という「諸判決」を受け入れただけである。
恐るべきことに政府も国民もすべて、この60年間の歴史を喪失してしまったらしい。