小泉総理は運が強すぎる ▲313▲

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647無党派さん
勝手に大御心を捏造するようなチンケな身分ではないですよ徳川侍従長は


徳川義寛(とくがわ よしひろ) (1906〜1996)

 尾張藩分家の当主、累爵。侍従長。父・義恕は尾張藩主・慶勝11男。
学習院卒業後、日東戦争に従軍。さらに侍従をつとめ、分家して男爵に
叙爵される。義寛はその嫡子で東京帝国大学卒業後、ベルリン大学に留学。
帰国して帝国博物館に勤務後、侍従に就任。昭和20年8月14日から
翌日にかけて、陸軍部隊の一部が皇居に乱入。玉音放送の録音盤を奪おう
とした際、頬を殴られつつも怯むことなく毅然として対応。敗戦後、長く
侍従長・入江相政の下で侍従次長をつとめ、昭和末期に侍従長となった。

 退官後は侍従職参与、日本博物館協会会長などをつとめた。終戦前後を
描いた映画「日本の一番長い日」では、義寛が準主役級、入江相政が
端役の設定になっており、これを観た相政が義寛に小言を言ったという
逸話もある。なお、妹が北白川永久王に嫁した祥子妃で後年、宮内庁
女官長をつとめる。また、常陸宮華子妃殿下がいったん、義寛の実弟
・津軽義孝の養女となるなど、義寛の家と皇室とは深い関わりがある。