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ルメイ発案による夜間低空爆撃について補足しておこう。日本本土空襲の主力
となったB29は、日本軍の戦闘機が上昇できないほど高々度からの爆撃が可能
なように気密性能に優れ、対日戦専用に開発された大型爆撃機だった。当時の
日本の防空戦闘機は、高度1万mに上昇するのに1時間程度を要し、機関砲を一
撃すると反動で1000mも下降してしまったという。対空砲(高射砲)も主力は
有効射高が約7000mで、B29が高々度で侵入してきた場合は歯が立たなかった。
しかし、そんな高空からの投弾では目標に命中させることが難しい。さしもの
B29も当初は狙い通りの爆撃成果を得られなかった。そこで日本空襲のための
司令官として抜擢されたルメイが考えたのは「軍事目標に限定」というタブー
を破ることだった。「日本の軍需工場は町工場や一般民家に分散している」とい
う屁理屈を盾に、ルメイは夜間低空焼夷弾爆撃を命じた。危険はむろん高くな
るが、日本側に夜間戦闘機は数少なく、地上の防空体制も非力だと見切ってい
たのである。本土上空の制空権はもう既に米軍側の手にあった。ルメイらは焼
夷弾爆撃の効果を高めるため、あらかじめセットを組んで綿密な計画を立案した。
それは目標地域一帯を火でまず囲んでおいてから囲みの内部を密に焼くという
惨い計画だった。
1945.3.9、陸軍記念日を翌日に控えて眠りについていただろう人々は、警戒警報
の遅れから、逃げる間もなく344機のB29の大編隊の焼夷弾攻撃にさらされた。
襲来したB29は搭載機銃の大半を外してまで焼夷弾を満載していた。一帯が猛火
に包まれ、10万人もの人々が焼け死んでいたその最中に、ラジオはいつもの通り
「損害は軽微、敵機は撤退中」という虚偽の「情報」を流し続けていたという。
死者10万人以上とされるこの大きな悲劇は「原爆」被爆に比肩する「ジェノサイ
ド(大量虐殺)」という他はない。