>>601 投票に行こう。
2ちゃんねるを守るために。
かつて、解同は、2ちゃんねるに対して、差別掲示板というレッテルを貼り、ひろゆきのところに押しかけた。
あめぞうのように、易々と、閉鎖に追い込めると高をくくっていたに違いない。
ところが、2ちゃんねるには、夜も昼も、夢の中まで、解同と闘い続けてきた野郎どもである。
後に、人権板の名無しさんとなる、解同の被害者たちだった。
あるものは、糾弾会によって、身も心もボロボロにされ、なにかしたくても、家族のため、子供のため、我慢するしかなかった。
また、あるものは、解放教育のため、友人が部落出身だと知ってしまった。
また、あるものは、自由に進学高校を選べなかった。
すべてが、解同とその取り巻きによって行われてきた現実である。
この解同被害者たちは、あめぞう閉鎖後は、2ちゃんねるに移動して、解同批判を継続した。
かくて、2ちゃんねるが、差別掲示板と誤解されるほどに、解同批判スレッドが、乱立する状況にいたった。
彼ら、解同批判者は、直接名指しで「解同」と書くことはなかった。
彼らは、解同を「えた・ひにん」と呼んだ。
これが、2ちゃんねるが見かけ上、差別掲示板になった真相であった。
>>603 これに対して、岡山の解同が行動をおこした。
これが、2ちゃんねる史に残るひろゆき解同面会騒動の幕開けであった。
2ちゃんねるでは、盛んにひろゆきにアドバイスするもの、ひろゆきと一緒に解同と会うというものなど、騒然となった。
かつての、あめぞう閉鎖の悪夢を、みんなよく知っていたからである。
ひろゆきに対し、一つの有効なアドバイスが提示された。
解同の天敵、日本共産党に駆け込めというものだった。
ゆろゆきは、男らしく、たった一人で解同と面会した。
その結果、差別スレッドをまとめて管理するというものに落ち着いた。
ここに、人権板は誕生した。
人権板で、同和問題の正体を知った名無しさんたちは、2ちゃんねる全体に散らばった。
今や、2ちゃんねる全体が、解同批判舎の巣窟となりはてた。
困り抜いた解同は、人権擁護法案を作り、2ちゃんねるごと、日本の言論抹殺に乗り出した。
2001年には、人権擁護法案反対スレッドは、人権板に立てられた、たった一つだった。
それが、2005年には、2ちゃんねるのあらゆる板にたてられ、反対集会まで開催されるまでになった。
解同ある限り、2ちゃんねるに平和はこない。
解同と戦えるのは、宮沢元首相が「天敵」と表現した日本共産党だけである。
この党の存在だけで、解同は2ちゃんねるに手出しできない。
日本共産党。
この党を増やそう。