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不定期転載:
続 小泉外交 24 4月15日 四面
文中タイトル(大文字)「米国追随」から「主体性」へ
小泉首相が目指してきた日米関係は、一言で言えば、
「やるべきことはやる代わりに、言うべきことも言う」という関係だったのではなかろうか。
日本外交は今、北朝鮮、中国、ロシア、韓国などとの関係がそろって停滞する中、
良好な日米関係が”救い”となっている。
その関係を築けたのは、米同時テロやイラク戦争という米国にとって最も重要な局面で、
日本が同盟国として「やるべきことをやった」ことが大きい。
同時テロの直後に日本の対米支援が焦点となった際、
知日派のアーミテージ国務副長官とキャンベル前国防次官補代理(いずれも当時)が
日本側に語った助言には三つの共通点があった。「迅速に」「主体的に」「目に見える形で」だった。
この3項目は、湾岸戦争で日本が実行できず、国際社会から厳しく批判された点だった。
小泉政権はこの3項目を重視した。中でも、「主体的に」は、小泉外交のキーワードになった。
米側が求める「主体的」はもともと、
「米側が要求する前に、日本が能動的に動くべきだ」という趣旨だった。米国の外圧を受けて
日本が譲歩する、という昔ながらのパターンから脱却してほしいという意味である。
しかし、米側の意向を先取りするだけでは、本当の意味で「主体的」にはならない。
小泉政権はさらに、「米国追随ではなく、日本独自の判断で」という意味も込めた。
国内世論が真っ二つに割れた自衛隊のイラク派遣問題で、
首相が「復興支援の内容は日本が主体的に決める」と主張したのも、
米国に「言うべきことは言う」姿勢の表れだった。
首相はさらに、イラク戦争の開戦前、大統領に国際協調の重要性を力説した。
戦後は、国連の活用を何度も訴えた。どちらも、米国の路線とは隔たりがあった。
「首相があまりに同じ主張を繰り返すので、大統領が怒り出さないかと冷や冷やした」
と、外務省幹部が語るほどだった。
小泉外交の実態は、「米国の言いなり」との野党などの批判とはかなり違っていたといっていい。
だが、問題がなかったわけではない。