小泉総理は運が強すぎる ▲125▲

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 ブッシュはそうした手法を取らなかった。
同盟国の自主性を尊重した方が効果的と判断したのだ。
 ベーカー駐日大使も同じ考えだった。
 01年7月の着任早々、「日本に不良債権問題の早期解決を主張せよ」
という公電を本国から何通も受け取った。
だが、(太字)「日本は自分のやり方で問題を処理する」(太字)と押し返した。
 「経済の政治問題化を避ける」という日米の暗黙の了解は、02年3月、米国が日本などの
鉄鋼製品を対象に発動した緊急輸入制限措置(セーフガード)の処理の際にも貫かれた。
 唯一の例外はBSE(牛海綿状脳症)問題だった。
 04年9月、ニューヨークで行われた日米首脳会談。小泉は、
米国産牛肉の輸入再開について(太字)「あくまで科学的に判断する問題だ」(太字)と主張した。
 しかし、ブッシュは、小泉が問題の早期解決に指導力を発揮するよう厳しい口調で迫った。
 (太字)「専門家が十分議論した。
      この問題が良好な日米関係に影を落としてはならない。これは政治問題だ」(太字)
 ブッシュがこう強調したのは、接戦が続く11月の大統領選を控え、
畜産業者や食肉加工業者の票が必要だったからだ。
 ブッシュは再選を果たした。
だが、BSE問題をめぐる日米摩擦は、改善されるどころか、一段と深刻化している。
 1月に発足した第2期ブッシュ政権では、対日外交の陣容ががらりと変わった。
3月に来日したライス国務長官は牛肉輸入の早期再開を求め、「80年代の貿易摩擦」にまで言及した。
第1期ブッシュ政権の「外圧の自粛」方針は今後も維持されるのか。答えはまだ見えない。
 (敬称略。肩書は当時)