小泉総理は運が強すぎる ▲122▲

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 参院選後の7月中旬、サンフランシスコで開かれた審議官級協議。
待たされた米側の期待は高かった。
 ところが、長嶺らは手ぶらだった。
政府内の調整がつかず、(太字)「議論を進めるな」(太字)と指示されていたのだ。
ローレスらは(太字)「失望した」(太字)と強い不快感を表明した。
 米側は、米軍普天間飛行場の代替施設の工法にも、異論を唱えた。
 (太字)「日本の技術者の努力は分かるが、これは不可能だ」(太字)
 米ゼネコン大手ベクテルの社員だった。
この種の政府間協議への民間人の出席は異例だ。
「代替施設の完成は9年半後」という日本側の説明に対し、米側は(太字)「蜃気楼だな」(太字)
と皮肉った。近づけば遠ざかり、結局、到達できない目標という意味だった。
 協議の前後、様々な未確定の基地再編案が日本で次々に報道された。
移転先とされた自治体から一斉に反対論が噴き出した。政府は一段と身動きが取れなくなった。
 8月27日、訪米した海老原紳外務省北米局長と飯原一樹防衛庁防衛局長は
(太字)「時期尚早だ。あと1、2年は待ってほしい」(太字)と再編問題の白紙化を求めた。
 ついに、ローレスらの堪忍袋の緒が切れた。
 (太字)「こんな重要な問題を引き延ばすのか」(太字)
 この間、米側も一枚岩だったわけではない。
ローレスら国防総省幹部が議論を主導し、国務省や国家安全保障会議(NSC)を
排除しようとした。複数の外務省幹部は、「国防総省と米軍の説明が食い違うなど、
米側提案の熟度は低かった」とも指摘した。
 「逃げ」に終始した日本側。強気一辺倒で現実的なアプローチを取らなかった米側。
再編協議は抜本的な立て直しが必要となった。
 (敬称略。肩書は当時)