小泉総理は運が強すぎる ▲122▲

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343不定期転載
続 小泉外交 18   4月7日 四面

文中タイトル(大文字)米軍再編ちぐはぐな日米

 在日米軍の再編問題は今でこそ、日米同盟の最重要課題と位置づけられている。
だが、当初の数か月は、日米双方が完全にボタンを掛け違い、迷走を重ねた。
 再編問題が初めて本格的に議論されたのは、2003年11月下旬、ハワイでの審議官級協議だった。
 ローレス米国防次官補代理らは、地図を使い、「陸軍第1軍団司令部のキャンプ座間移転」
「横田とグアムの空軍司令部の統合」案などを詳細に説明した。
しかし、外務省の長嶺安政北米局参事官の予想外の発言に出はなをくじかれた。
 (太字)「日米共通戦略目標の議論を含め、基地再編の話は一時、棚上げしたい」(太字)
日本側の消極姿勢に、白けた空気が漂った。
 長嶺は、戦略目標について「中国への言及は困る」と漏らした。
第1軍団司令部の移転にも、「日米安保条約の極東条項との関係で、安易には応じられない」
との立場だった。外務省の方針を忠実に反映していた。
 ただ、防衛庁は、戦略目標と基地再編の両方を前向きに動かそうとしていた。
外務省との足並みは最初から乱れていた。
 再編協議にはその後、さらにブレーキがかかった。
福田官房長官が(太字)「急ぐ必要はない」(太字)と外務、防衛両省庁に指示したのだ。
 福田にとっては当時、自衛隊のイラク派遣が最大の懸案だった。国民保護関連法案の審議や
「防衛計画の大綱」の見直しも控えていた。基地問題に取り組む余裕はなかった。
 2004年2月の協議で日本側は要請した。
 (太字)「提案の回答は、夏の参院選後まで待ってほしい。
      提案は『アイデア』との位置付けにしてもらいたい」(太字)
 米側は一応、了承した。