小泉総理は運が強すぎる ▲118▲

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 ブッシュ大統領がイラク戦争終結を宣言した5月1日。
山崎・自民、冬柴・公明、二階・保守の3党幹事長はイラク南部のウンムカスルを訪問していた。
 病院のベッドでは、重傷の子供が苦しんでいた。
(太字)「麻酔薬がなく、手術ができない」(太字)と説明された。
車で移動すると、(太字)「水をちょうだい」(太字)と多数の子供たちが
はだしで追いかけてきた。イラクで何が必要とされているかは歴然としていた。
 翌日、私服姿の米軍幹部がカタールのホテルでひそかに3人と会談した。
 (太字)「空輸業務に期待する。日本が多数持つC130を、ぜひ投入してほしい」(太字)
 陸自による医療や給水、そして航空自衛隊の輸送による対米支援─
と支援策のメニューは出そろい始めた。山崎は「自衛隊のニーズは多い」と考えた。
 だが、政府は当時、陸自派遣に不可欠な新法制定に動く余裕はなかった。
国会では有事関連法案を審議中だったからだ。
 新法までの「つなぎ」として浮上したのが、現行法に基づく空輸支援だった。
 (太字)「C130の派遣を首脳会談で表明していいか」(太字)
 5月23日のテキサス州での日米首脳会談を前に、外務省が防衛庁にひそかに打診した。
 現行法の場合は、国際機関の要請が前提となる。
外務、防衛両省庁の担当課長は「積み荷」を探し、米国や、ヨルダンなど周辺国を回った。
辛うじて見つけたのが世界食料計画(WFP)の物資輸送だった。
 小泉首相は会談で、「人道物資の空輸のためC130を派遣する」と明言した。
5月30日、ロシア訪問中の小泉は、福田官房長官を通じて
イラク復興支援特別措置法案の準備を指示した。特措法案は既に前年末に骨格が固まっていた。
2週間後に国会に提出され、7月26日に成立した。
 法的根拠は整った。だが、陸自派遣の実現までにはまだ曲折が続いた。
 (敬称略。肩書は当時)