小泉総理は運が強すぎる ▲105▲

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続 小泉外交 1  3/5 3月10日 四面

文中タイトル(特大文字) 国際協調説く親友役
文中タイトル(大文字) イラク問題「3原則」提案 米も耳傾ける姿勢

 (見出し、中文字) 国際社会対イラク
 2002年8月27、28の両日、東京・麻生台の外務省飯倉公館で第1回の日米戦略対話が開かれた。
 竹内行夫外務次官はアーミテージ国務副長官に対し、イラク問題について「3原則」を提起した。
 (太字)一、まず外交的な解決を目指し、全力を尽くすことを忘れてはならない。(太字)
 (太字)一、「米国対イラク」でなく、「国際社会対イラク」の構図にする。(太字)
大量破壊兵器開発の問題を国連安全保障理事会に付託し、国際社会と連携すべきだ。
 一、仮に米国がイラクを攻撃してフセイン政権が崩壊した場合、中東が不安定化しかねない。
(太字)穏健で民主的な国家を作る「ザ・デイ・アフター」(戦後)の青写真を考えるべきだ。(太字)
 米国にとって、耳障りな注文とも受け取れる内容だった。
しかし、知日派の代表格であるアーミテージは、むしろ歓迎した。
 (太字)「日本のメッセージはよく分かった。
      まさに我々も国際社会との協調に努力しているところだ」(太字)
 アーミテージら国務省幹部は当時、イラク問題で国連安保理決議の採択を目指していた。
単独攻撃も排除しない構えの国防総省とは、激しい路線闘争をしていた。
アーミテージは会談後、直ちに竹内の発言内容をホワイトハウスに伝えた。
同盟国の助言として、ブッシュ大統領を説得する材料に活用するためだ。
 この時、ブッシュは国務省に軍配を上げた。当時は、国際協調路線を取ることを決断したのだ。