小泉総理は運が強すぎる ▲105▲

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続 小泉外交 2  3月11日 四面 3/4

 (見出し、中文字)米軍のシャワー
 イラク復興支援特別措置法成立の4日前の2003年7月22日。
古川貞二郎官房副長官が守屋武昌防衛庁防衛局長、
西田恒夫外務省総合外交政策局長らを首相官邸に呼んだ。混乱した議論の整理が目的だった。
 派遣地域などの結論は出なかったが、
(太字)「他国の軍隊、特に米軍に依存して陸自が出る形にはしない」(太字)ことは確認された。
出席者の一人は「陸自が働きやすいことが一番重要だ」と語った。
 小泉首相が「国力に応じた貢献」や日本の「主体性」を掲げたことが、陸自への大きな追い風となった。
外務省内にも、(太字)「陸自が米軍に給水し、米兵のシャワーが週2回から週3回に増えるだけでは寂しい。
イラク国民への支援を中心にした方がいい」(太字)と語る幹部がいた。
 しかし、米側は日本の方針に納得しなかった。
7月末の日米協議では、陸自派遣の遅さに対し、国防総省幹部が怒りを爆発させた。
(太字)「一体、何人死んだら日本は駄目なんだ。
     主要な戦闘は終わったが、イラクには全く危険のない地域なんてないんだ」(太字)
 日本側は(太字)「派遣の時期や活動内容は慎重に検討する」(太字)と繰り返すだけだった。