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続 小泉外交 16
文中タイトル(大文字)迷い払拭の脅迫メール
イラク復興支援特別措置法が成立した直後の2003年8月。
福田官房長官が防衛庁出身の大森敬治官房副長官補をしかりつけた。
(太字)「秋に選挙があるのに、指示なんてできるはずがない。
防衛庁の判断で内々にできることはいくらでもあるだろ」(太字)
防衛庁が「自衛隊のイラク派遣準備に入るには、
首相の正式の準備指示が必要だ」と求めたからだ。
福田は当時、
(太字)「自衛隊派遣を選挙の争点にしてはならない」(太字)
と考え、こんな政治日程を描いていた。
<9月の自民党総裁選で小泉首相の再選を果たす。
11月の衆院選で勝利し、年内に自衛隊を派遣する>
小泉も了承していた。小泉は、福田の手堅い判断と官僚操縦の手腕を買っていた。
9月に入った。陸上自衛隊の派遣先にサマワが浮上した。
福田は「小さな町での活動が評価されるかな」と思いつつ、
政府調査団派遣にゴーサインを出した。
米軍は冷ややかだった。
(太字)「日本の調査団は12回目だぞ。やる気があるのか」(太字)
(太字)「自衛隊は何人来るんだ。まさか調査団より少ないことはないだろうな」(太字)
不満を唱える米軍に、日本側は「これが最後だ」と頼み込んだ。
調査団はサマワのほかナシリヤなど5都市を訪れた。
サマワからは、市民が飲んでいた汚れた川の水のサンプルを持ち帰った。
10月15日、小泉に調査結果を報告した。
(太字)「治安が安定し、他国の軍が復興支援をしていないのはサマワだけです。
市民も歓迎してくれました」(太字)
小泉は黙ってうなずいた。