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転機は1年後に訪れた。
2002年11月中旬。防衛庁の河村延樹運用課長は、イージス艦派遣に消極的な公明党の冬柴幹事長に対し、
「海自の洋上給油は10時間にも及び、攻撃に弱い状態が続きます。
イージス艦による広範囲の警戒が必要なんです」と説得した。
さらに、”新たな論理”を持ち出した。
(太字)「冷房完備で、乗員の居住性が改善します。
現地は気温40度、甲板上は80度ですよ。これを見て下さい」(太字)
河村が見せた「切り札」は、甲板上で焼き上がった目玉焼きの写真だった。冬柴はあっけにとられた。
(太字)「なぜ早くそれを言わなかったんだ」(太字)
12月4日、政府はイージス艦の派遣を決定した。
支持者との関係で賛成しづらい公明党に配慮し、小泉が決断した体裁を取った。
4日後に来日したアーミテージ国務副長官は「首相の指導力を示す模範例だ」と絶賛した。
15年前の国務次官補時代、イージス艦の日本売却に尽力しただけに、感慨はひとしおだった。
イージス艦の派遣は、「目に見える対米支援」の象徴となった。
国内政治の思惑が絡んで、世論の耳目を集めたことが、実態以上に米国の評価を高めた形である。
(敬称略。肩書は当時)
このスレのROM暦は四ヶ月程度だったので、空気が読めずに失礼しました。
一応、私もこのスレの住人であるつもりなので、荒らすつもりはありません。
ウPの方は、とりあえず今手元にある中では一番古いものをしました。(3月25日)
これからも順次行っていくつもりですので、それを以って謝罪の証としたいと思います。
本当に申し訳ありませんでした。