国会電突院

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367【報告】
岡崎トミ子議員事務所に従軍慰安婦のことで電突しました。
まず「いわゆる」元慰安婦の朴玉蓮さんの基本情報をのせます。

ナヌムの家・日本軍「慰安婦」歴史館 ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/3716/index.html
  > 元日本軍「慰安婦」のハルモニたち
  > (ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/3716/nanum_10/nanum_11/nanum_40.html
  > 
  > 2001年1月現在 朴玉蓮ハルモニ(パク=オンリョン)83歳

在日韓国民主女性会HP  ttp://yeoseong.korea-htr.com/
  > ナムムの家 第69号 (2002/4) 「死んでも デモするぞ 死んでも!」   
  > (ttp://yeoseong.korea-htr.com/nanumu/n70.htm
  >
  > ・・・そこで出会った朴玉蓮(パク・オンニョン)ハルモニは、過ぎた10年の歳月をこのように語った。
  > パク・ハルモニは、生存している「慰安婦」ハルモニの中で最高齢である。
  >
  > はじめてハルモニに出会った時、たずねもしないのに、すぐに「私はラバウルにいたのよ」と、話をはじめた。
  > おそらく証言を聞きにきたものとみなしたとようだ。ハルモニは、22歳で無理やりに「慰安婦」として連れて
  > 行かれ、地獄のような4年を過ごした。
  > 「あの時、16歳から30歳まで、みんな連行され、ソウル駅で娘達がいらいらしていたが、泣き声がソウル駅から
  > 外に漏れ聞こえた。」 そのようにして連れて行かれたところが、南太平洋のラバウル。
  >
  > そのように苦労して、夢に見た故国に奇跡的に生きて帰り着いたのは1944年。

朴玉蓮氏に関する上記情報をまとめるとこうなります。
  生まれた年   1918年または1919年  (2001年で83歳から)
  ラバウル期間    1940年〜1944年    (1940年22歳で慰安婦・4年間慰安婦・1944年帰国から)

この情報と、日本軍が1942年にラバウルへ上陸した史実は矛盾します。
368【報告】:05/03/08 23:52:08 ID:kXhk70Hs
次に「いわゆる」元慰安婦のチョン・ソウンさんの基本情報を載せます。

中央日報  ttp://japanese.joins.com/
  > 全世界に従軍慰安婦の実像を暴露したチョン・ソウン氏死去
  > (ttp://japanese.joins.com/html/2004/0226/20040226185642400.html
  >
  > 13歳のとき、インドネシアに連れて行かされ、7年間にわたって日本軍の従軍慰安婦として
  > 生きなければならなかった「挺身隊おばあさん」チョン・ソウン氏が、26日未明、
  > 慶尚南道鎮海(キョンサンナムド・チンヘ)の自宅で老患で亡くなった。80歳。
  > 2004.02.26 18:56

チョン・ソウンさんに関する上記情報をまとめるとこうなります。
  生まれた年    1924年または1925年  (2004年で80歳から)
  インドネシア期間   1937年〜1943年    (1937年13歳で慰安婦・7年間慰安婦から)

この情報と、日本軍が1942年にインドネシアへ上陸した史実は矛盾します。

民主党が慰安婦に関する法案を作っているそうですし、この法案に岡崎議員も積極的に関与している
ようなので、事実確認のために電話しました。岡崎議員は不在で秘書さんに対応していただきました。
2月に電突してから時間がたっているので、報告内容はあくまで概要です。自分が質問したことはけ
っこう覚えているんですが、相手が何を言ったのかがよく思い出せません。
369【報告】:05/03/08 23:56:15 ID:kXhk70Hs
私   「(上記情報を伝えて)岡崎先生は慰安婦法案について積極的だそうですが、このような矛盾を
    どう捉えていますか?これら証言は理屈上、間違いか嘘のどちらかなんですが。」
秘書 「個別の慰安婦の方についてはよく知りません。」

私   「慰安婦法案に積極的な先生が個別事案についてよく知らない?」
秘書 「元慰安婦の方たちも過去の記憶をたどっているので不正確な部分もあります。空港で不法入国する
     人達も問い詰められて、うっかり間違いを証言することもあります。」

私   「この程度の年表の矛盾は子供でも発見できることです。この矛盾を放置するつもりですか?」
秘書  「ですから元慰安婦の方々の個別のことについては(どーのこーの)。」

私   「死亡記事が新聞に掲載されるほどの「大物」の証言の信憑性が問われているですが、
    それでも証言の矛盾はたいしたことがないとお考えですか?」
秘書 「(思い出せないOTL。)」

私  「彼女達の証言が間違いなら、彼女達を支援する支援者達や、彼女達を元慰安婦として記事にする新聞社は、
    この程度の矛盾にすら気が付かないウッカリ者ということになります。また、矛盾と分かって放置している
    なら、彼等は怠慢者か嘘つきです。」

    「つまり、こうした証言の矛盾と、それら矛盾に関する対応は、「いわゆる」元慰安婦・支援者・記者・
    法案作成に携わる議員等、いわゆる「元慰安婦」に関わるすべての人達の信憑性を問う事柄です。
    ふたたび伺いますが、慰安婦法案を積極的に推進されている先生は、彼等の言動についてどうお考えですか?」
秘書 「(思い出せないOTL。)」

 だいたいこんな感じで電話しました。愛想のいい秘書さんなんですが、回答内容がいまひとつだったという記憶
があります。相手の回答がうまく思い出せなくてすいません。ただ、政策課のような開き直りはしなかったと
断言できます。ここだけは間違いありません。

 それにしてもせっかく回答してくれたのに忘れてしまうのは、相手に対して失礼ですよね。今後はなるべく録音
するようにします。

しょぼい報告ですいません。