【真性】電磁波悪用被害者の会、石橋輝勝【電波】

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801無党派さん
朝日新聞 1986年11月11日
外から日本を見ると… もう古い!精神病院:5

 患者の自由、守ることこそ 旧病院を開放、入院禁止の伊
        

 イタリアは大胆にも8年前から法律によって旧来の精神病院への入院を禁止
してしまった。改革の震源地北イタリアのトリエステをたずねた。

 かつての県立サンジョバンニ精神病院は、もうすっかり様変わりしていた。
広大な庭園風の敷地には、レンガや石で築いた旧病棟が十数棟残ってはいる。
しかし、かつての女性用不潔病棟は、いま幼稚園。観察病棟はスラブ系少数民
族の工業高校。ほかに市民のための貸しホール、トリエステ大学校舎、そして
精神衛生センター。いくつかは草ぼうぼうの廃虚に。

 元の入院者たちが住んでいる立派なアパートがあった。旧病院長の公邸だ。
元入院者はいま「オスピテ」と呼ばれている。「お客」という意味だ。本当は
町で暮らしてもらいたいが、何十年もの入院生活で浦島太郎みたいになってし
まった。身寄りもない。年もとりすぎた。体も弱った。もう町での自活は難し
い。そこで、昼間だけ看護婦のケアがついたアパートが提供された。でも、か
つてのように拘禁されているわけではない。気兼ねなく町を歩くことができる
。「お客」なのである。

 サンジョバンニ病院には、かつて1200人の入院者がいた。いまは200
人ほどのオスピテがいるだけだ。で、旧病院の入院者の大半と職員は、どこへ
いったのか。

802無党派さん:2005/05/13(金) 08:59:45 ID:P6qdIKJe
 人口28万人の町トリエステは7つの精神衛生区に分けられ、それぞれに精
神衛生センターができた。そこへ旧病院の職員を振り分けた。医師、看護者の
仕事は一変した。病院なら目の前にいる患者の症状の鎮圧だけ考えればよかっ
た。いまは、往診訪問が当たり前。それ以外に、家を見つけたり、職探しをし
たり。患者の生活そのものを支えるのが本業になった。医師は病院では「主人
」だった。いまは患者の「友人」だ。

改革の火付け役は、精神科医フランコ・バザッリア(80年他界)だった。
62年パドバ大学の助手からゴリツィア県立精神病院長に就任。閉鎖的で入院
者にはなんの希望もない病院で、彼からみればそこは「監獄」だった。まず開
放化することから始めた。しかし抵抗にあって院長職を追われ、トリエステの
県立サンジョバンニ院長として迎えられる。

 前の経験から、隔離収容になれきった精神病院は葬り去らなければだめだと
確信する。「自由こそ治療の道」をスローガンに、入院者を町へ返しはじめた
。就任8年目の78年には入院者ゼロ、オスピテ400。いま200を割ると
ころまできた。

 といっても入院病棟ゼロではない。センターと総合病院にあわせて150ベ
ッドを新設。入院期間は大変短い。数日が普通で長くても1、2カ月。つまり
極めて重い患者も町で生活してもらう。これがトリエステの流儀である。

 「『患者は危険である』という思い込みに基づいて造られた病院は廃止しな
ければならない。廃止にたどりつく第一歩は、医師、看護者の古い意識を変え
ること。私たちは患者の苦痛を治すのが仕事であって、監視とか管理は職務で
はないのですから。次に市民の間違ったイメージを改めてもらうこと。人々の
これまでの文化を変えることになるのだから、これはきわめて難しい。われわ
れの運動は終わりなき闘いです」