小沢一郎というのは、『自民党より自民党的な政治家』ではないのか。たとえば、他ならぬこの小沢一郎と中西啓介の
与党時代に、少し前に問題とされた、防衛庁の水増し請求などが横行したのだ。93年5月、北朝鮮のノドン打ち上げで
小沢一郎が調子づき、同年8月、細川内閣も誕生させた。この時の小沢一郎の軌跡は、98年のテポドン騒ぎ後の
与党入りパターンと全く一緒であるが、小沢は「国民など一年経てばみんな忘れてしまう」という見解の持ち主なので
別に不思議なことではない。ともあれ、政権を掌握すると、ニ信組事件やオレンジ共済事件で小沢共々主役を演じた
中西啓介を防衛庁長官に抜擢する。また、防衛庁の天下りが多くいる会計検査院の院長には、大蔵省主計官補佐の
時代に防衛予算を決めていて、その後防衛庁の経理局長から防衛事務次官になった、小沢の息のかかった矢崎新二を
就かせる。このような配置で、水増し請求を横行させた。水増し請求事件発覚で事件のもみ消し処理をやって更送された
防衛事務次官の秋山昌広は元大蔵省主計局主計官であり、矢崎の後輩。また、膨大な関係資料を六本木の防衛庁の
焼却炉で焼却したり、シュレッダーで裁断したりして証拠隠滅を行った、奇しくも小渕内閣と同時昇進して調達実施本部の
副本部長となった石附弘は、元警視庁捜査二課長で汚職捜査の総指揮官を務めたあと長崎県警本部長となり、以下の
事がひきとなり、竹下内閣の時に小渕恵三官房長官の秘書官となった御仁である。「奇しくも」とか「以下の事」というのは、
小沢一郎が自民党の時代に国家公安委員会の委員長であった時に、金丸らはゼネコン汚職をやり放題にやっており、
石附は当時捜査二課長でそれを取り締まる職にあったというもの。つまりその悪の才 覚を買われたわけである。
そういえば、小沢一郎は、99年8月、国会で盗聴法などが審議されている最中に、読売新聞に「自由、連立離脱固める」
とか「連立離脱あすにも声明」などと書かせて対立騒ぎを装い、亡国法案が成立してしまうと何事もなかったようにもとに
おさまった。これなどは彼の自分の印象をうまく利用したものといえるだろうが、こんな茶番劇が何故いつまでも通用する
のだろうか。
http://www.asyura.com/sora/bd12/msg/583.html