糞ウヨ小泉信者は個人情報保護法成立工作員

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531無党派さん
 一枚の写真がある。浴衣姿の中年男たちが7人写っている。背後には植え込みがあり、旅館の庭で撮ったものだろうと推測できる。ありふれた記念写真である。
日米開戦まもなくの42年7月に撮影された。
 この写真に驚くべき想像力、いや妄想を働かせた人たちがいた。日本共産党再建準備会の現場写真だ、と。神奈川県の特別高等警察(特高)は写っていた者を次々と治安維持法違反容疑で逮捕し、
拷問の末、自分たちの妄想を現実に仕立てた。15日に再審が認められた横浜事件の一場面である。
 中央公論社など主に出版社が弾圧の対象になったこの事件をめぐっては、特高による拷問の記録も多く残っている。たとえばこうだ。「小林多喜二の二の舞いを覚悟しろ」。
まず拷問死した作家の名前を出す。「この聖戦下によくもやりやがったな」などとも。裸にして角材の上に正座をさせ、失神するまで暴行をする。あるいは逆さづりにして強打する。4人が獄死した。
 「思想犯は、そのころ人間ではなかった。非国民、不逞(ふてい)のやから、天皇へ弓を引く大逆の徒であった」。逮捕された一人で評論家の青地晨(あおちしん)さんが後に回顧している。
家族も疎開先で「非国民」の妻子だとわかって家主に追い出された。
 「非国民」を排除していった大日本帝国の行き着いた先を示す弾圧だが、戦時体制下の悲劇ともいえよう。「聖戦」の御旗の下、抑圧が激しさを増していく時期の事件だった。
 半世紀以上たってようやく再審である。事件の元被告は全員亡くなった。しかしその深い傷を忘れてはなるまい。

糞ウヨ厨房がネットでやってることそのものじゃん。