岩田「大変な時代に任天堂の社長になってしまった」

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1名無しさん必死だな

【岩田氏】 私が任天堂の社長になったのは2002年で、
ゲームキューブが出た翌年。当事者になってみると、これはエライ時代に社長になってしまったと思いました。
'97年から結果的に2004年まで、日本のゲーム産業のソフトウェアの出荷額は下がり続けていたからです。
グラフを描くとぞっとするわけです。あと何年でビジネスが成立しなくなるんだと。
 その一方で、今までやって来た、“より豪華で複雑に”路線の結果、
ゲームソフト1本あたりの開発費は鰻登りになり、開発期間も長くなってしまいました。
今は50人のチームの1人として3年奉仕しないと、1本のゲームができない。

 その一方で、今までやって来た、“より豪華で複雑に”路線の結果、
ゲームソフト1本あたりの開発費は鰻登りになり、開発期間も長くなってしまいました。

 この先も同じ方向へただ進んで行くのでは非常に危険だなと感じました。
明らかにゲーム産業には、違う方向を目指す役割をするプレイヤーが必要だなと。
豪華で複雑から離れた方向へ向かう必要があると。http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2006/1206/kaigai324.htm?mode=pc