最終回 見果てぬ夢を追って
ハードと並行してCellで動作するソフト開発も順調に進んでいた。
シミュレータ第1版は01年末には完成。02年にはその上でLinuxの
ブートに成功。Cellの性能を引き出すには、プログラミングに新しい
発想が必要である。ハードの複雑さを隠蔽するために、
「ハイパーバイザ」と呼ぶ仮想化ソフトを作り出した。
03年半ばになると、技術者の忙しさは増していく。基本レイアウト
設計が終了し、バグ修正が始まったためだ。SPE8個にしたため、
レイアウトには余裕がないオフィスと家とを往復するだけの毎日が続く。
そして03年のクリスマスイブ。Cellの設計データがマスクメーカーに送られる。
04年4月のある日。IBMのEast Fishkill工場で製造された試作チップ
がSTIに到着する。出荷前のテスト結果で既に動作することは確信
しているが、目の前で動作を確かめたい。
ケースを開けるとBGAパッケージが現れる。誰とはなくため息が漏れる。
1階にあるラボには動作検証用のボードが主役の登場を待っていた。
更に続く・・・
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キタコレ!!(゚∀゚)
755 :
名無しさん必死だな:2005/07/29(金) 20:58:27 ID:NtrSLJvQ
キタキタキタキタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!!!!!!!!!!
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! 続きまだ?!ハァハァ
小出しにしないで一気に連貼りしろといったい何度言わせれば・・・
なんかいきなり2年くらい飛んでるね
「それじゃ、いこうか」
電源投入し、PLLの動作を確認。次にレジスタを操作して、チップ上の
SPE動作を動かす。
1GHz,1.2GHz,1.4GHz....担当者がダイヤルを回すと、クロック発生器の
数字が増えていく。ついに4GHzに到達。
誰からともなく拍手が。これで十分満足だ。今晩は終わりにしよう。
貴重なチップだ。ここで壊す訳には。誰もがそう思った。
ところが、IBMの開発責任者だったVice PresidentのChekib Akrout
は違った。
「よし、周波数をもっと上げよう。どこまで動くか挑戦だ」
4.2GHz、4.4GHz....「パチン」白煙が上がる。想定以上の大電流で
電圧レギュレータが壊れたのだ。
「もっと大容量の持ってこい」事もなげにChekibが言う。
結局5.6GHzまで動いた。予想を大幅に上回る成果だ。
試作チップの検証はその後も順調に続き、CPUコアを含むチップ全体も
4GHz以上での動作を確認、数日後にはLinuxのブートに成功。
更に続く・・・
キタ Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒(。A。)!!!
>>757 消えろ
5.6GHzキタ━━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━━━ !!!
>>757 全部出揃った頃に見計らってくればいいよ。
「よし、周波数をもっと上げよう。どこまで動くか挑戦だ」
4.2GHz、4.4GHz....「パチン」白煙が上がる。想定以上の大電流で
Cellがぶっ壊れたのだ。
「あ、死んだ・・」事もなげにChekibが言う。
なんつって
>>759 乙!
マイペースでやってくらさい。
いつもお疲れさまでつ
感謝!
5.6GHzてSPE単体の数値だったんか
ここまで見届ければ、後の開発は日本や米国の同僚に任せて
おけばいい。チームの任務は04年末に予定していた第2世代の試作
チップの設計。その目的は量産を想定してチップ面積と消費電力を
出来る限り削減する。検討に取り掛かったエンシニ゙アたちに寝耳に
水の事態が。
IBMのJimがCPUコアの変更を申し入れてきたのだった。
第1世代にはできるだけシンプルにするために1サイクルに1命令を
発行するスカラ型のコアを採用していた。
それを1サイクルに2命令を発行するスーパースカラ型のコアにしたいと
譲らない。これに激しく抵抗したのは東芝林とSCE大澤正紀。
2人は共にCPUコアを担当していた。第2世代ではどこを修正すれば
良いか手に取る様に分かっていた。ゴールはすぐそば。
今更別のコアに入れ替えるとは何事だ。
そこで久多良木に断られるのを承知で直談判を申し入れる。
更に続く・・・
(IBMひでーな・・・というか最初からそうする気だったのか?)
クタタンは了承するに 1cell
しなけりゃDD2が無いだろうがw
む・・ 知らない名前ばっか。
でも決定権はクターか。。
y=-(゚ω゚)・∵. ターン
クタタンは・・・天使か悪魔か・・・さてさて
IBM裏切りキタ━━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━( )━(。 )━(A。 )━(。A。)━━!!!
久多良木は拒まなかった。
「IBMの言い分には納得できません。何とか説得して下さい」
「君達の主張は理解できる。ただし、最後は総合的に判断
することになるよ」
自分も技術者だからこそ、痛いほど2人の気持ちが分かる。
久多良木もまた苦悩していた。
結局、IBM社の主張は通った。サーバ機などへのCellの利用を想定
していた同社にとって、高性能MPUの常識であるスーパスカラ構造
の採用は不可避だった。かくして04年春コアの設計が始まる。
林と大澤も一緒に。程なく、作業は暗礁に乗り上げる。
IBM社の基本設計に大きな見落としがあることに発覚したのだ。
急遽、対策会議が。
「誰か解決策を思い付いた人は?」
「あっ、あのう」
声の主は大澤だ。これまでスーパスカラに反対した分、気後れしていた
のは事実だ。それでも大澤は解決するアイデアがあった。
「よし、君のアイデアでいこう」
経験が少なくても実力があれば認められる。Cell開発チームの
一員である喜びを噛み締めていた。
更に続く・・・
クタタン・・・(´・ω・`)
IBMが提案して自爆して、それを解決したのが反対してた大澤とは、泣ける。
いきなり暗礁かよ
これでずいぶんクロックが落ちただろうね。
規模も大きく、複雑に。
PPEのスーパースケーラなんかより、
全体が4GHzで動いた方が速いに決まってるのに・・
サーバー向けに、ほどほどのクロックで動かすつもりだな
クタラギどうした?wwwww
ちょっとIBMが好きではなくなりかけた自分ガイル
ていうか日本人バンザイの流れにし過ぎ
05年2月7日。ISSCCの初日。CELLの記者発表が行われようと
していた。前方の席には鈴置、Jim、増渕が着席。
会場の最後列にはリーダー達の発表を暖かく見守るメンバーが3人いた。
中でも取り分け満足そうだったのは山崎だ。この時、第2世代の試作
チップは完成し、あとは量産に向けた最終調整をするだけだった。
彼らの満ち足りた表情はこの場限りである。Cellの量産、
PS3の発売まで気の抜けない。
久多良木を筆頭に鈴置、山崎らエンジニアたちは既に次を担うMPUに
夢を馳せているに違いない。それでも彼らには信念がある。
情熱さえ失わなければ、あらゆる困難は必ず乗り越えていけるはずと。
終わり