首狩りの盛んな地域と作法

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63名無しさん@お腹いっぱい。
台湾ブヌン族のマカボス(首狩り)

首を狩る理由は、「人の首を取らなければ偉くないから」。
多くの首を取った者は何処でも尊敬の的になる。
首狩りに逝く前日は団子を燻して黒くしたものを目指す方向の木の枝にかけ、
翌朝それが白くなっておれば首狩りは成功すると判断し、出発する。
取ってきた首は酒と豚肉をその口に含ませ、「また沢山首が狩れますように」と
祈る。
余所の部族は首狩りあとしばらくは同衾はタブーだったが、ブヌン族には
別にかまわなかったらしい。

64名無しさん@お腹いっぱい。:02/09/16 00:56 ID:ITynyWt0
人事部長も首狩り族。
65名無しさん@お腹いっぱい。:02/09/16 01:04 ID:VsIqXF4h
台湾ツォウ族のオゾム(首狩り)

首を狩る理由は
「豊作になるから」「首を狩ると村のものが健康でいられるから」
ほかの先住民族の首を狩るのは良いが、支那人の首は名誉ではない。

首狩りの前には集会所に泊まり、一晩火を絶やさずにおく。火を絶やすと
負ける。また、オアズムとキチキチという鳥で運勢を占う。これらの鳥が
右側でチイチイチイと鳴くと凶、敵にとっては吉。
敵を沢山殺しても全て首を狩る訳ではなく、大将格の四名だけが首を
取り、あとの死体はそのまま放置。首が重いようだったら後頭部を
割って脳味噌を取り捨て村に持ち帰る。
昔は、粟の収穫祭のあとは首狩りして首祭り(ミハグ)をした。
このとき豚を屠り、竹槍に刺して首に供える。そして新しい首と古い首に
「友達を連れてこい」と祈る。そして集会場を山芙蓉の繊維を赤く染めた
御幣で飾る。
66名無しさん@お腹いっぱい。:02/09/16 01:25 ID:VsIqXF4h
台湾パイワン族のパラオン(首狩り)

首狩りに逝く前は村じゅうに知らせ、天神イバハオに豚の骨を小刀で
削って食べさせる。
首狩りに行っている間、家人は断食して安全祈願する。
首を狩ってくると巫女が村外まで出迎え、悪霊払いの儀式をし、唾をはいて
霊を追い払う。それからあらためて村に入れ、村長の家の前庭に臼を
逆さに置き、首を洗わぬままで置いて酒をかけ、首を狩ったものが
その酒を飲む。死んだ者の霊との共食、こうすれば健康になれる。
しかし祈祷しなければ病気になる。たとえ首狩りの一行に死者がでても、
首さえ取れれば踊り歌う。首を取った者は五日間は労働、性交が禁じられる。
67vc:02/09/16 01:40 ID:ZuS2WekW
68名無しさん@お腹いっぱい。:02/09/17 00:35 ID:iLBTkzkT
台湾サイシャット族のマラクム(首狩り)

首狩りの時期は種蒔き前と収穫後。収穫、種蒔きの時期に首狩りすると不作になる。
出発前に村長が特別な火打ち石で火を起こし、その火を各自家に持ち帰って
弁当を作る。出発して途中一泊する時は、一行の隊長が荷物から神聖な匙を
取りだし、それに水を入れて各自指を浸して口に付けシーと言う。
途中鳥で運勢を占う。シルル鳥が右から左へ飛べば吉、逆では凶。
首を狩って帰ってくると村の入り口で鬨の声を挙げる。家に入れば首は汚れのない
女か老婆に渡す。そして土間に敷物を敷いて首を置く。寝るときは軒に吊しておく。
二晩は首祭りパスアラを行う。首を囲んで踊ってはその口に酒と豚肉を含ませる。
二日後は戸外の首棚に首を飾る。古い首は左側に、新しい首は右に並べる。
右は利き腕の方向だから。そしてあらためて首祭りをする。首狩り隊の者と家族が
全員正装して踊り歌う。「お前の仲間を連れてこい」と言いつつ酒と豚肉を供える。
首を取った者が弁当の残りを家族に与えると縁起がよい。
しかし首を取っていない者は弁当の残りを分けるのはタブー。
首を取った者は身を清めるが、銃を撃っただけの者はその必要はない。
性交に関するタブーはない。

他の部族に首を取られた者はサープイという首無しの妖怪になる。
首の切り口から火を吐くという。目がないのでウロウロするばかり。
火を投げつけると消える。

69名無しさん@お腹いっぱい。:02/09/17 01:04 ID:iLBTkzkT
台湾ピューマ族のマガヤウ(首狩り)

普通は粟の播種、収穫時に首狩りをした。首狩りから帰ってくればすぐに
それを村に入れず、三日から一週間村の入り口に置く。それから朝に
首を集会所に入れる。棟の上に台を作って首を供え、酒を首に含ませて
から一同で踊る。それから首取りの英雄と村長が首を禁断の場所
ハラハラダンに捨てる。帰ってくれば女も加わってさらに踊り歌う。
性交についてのタブーはない。
70名無しさん@お腹いっぱい。:02/09/17 23:42 ID:S+8vJZBq
台湾ルカイ族の首狩り

男達は首狩りの決意をすれば、家族に告げて弁当の粟餅を作らせ、集会場に
泊まり、夢占いで吉と判断されれば出発する。途中で一泊し、悪夢を見ても
引き返さない。そして途中で敵の霊を呼び、肉と餅を供える。肉は必ず途中の
猟で捕らえた動物を使う。村から肉や酒を持参するのはタブー。また、首狩りの
一行の家族は、他人に物を与えたり、土を掘るのはタブー。特に麻に触れるのは
良くない。首狩りの一団が足に絡まって転んで逃げられなくなるから。
首を取ったら近くの村であればそのまま、遠くの村であれば後頭部を割って
脳味噌を取り捨てて軽くして持ち帰る。味方に死者が出た場合、敵討ちで誤って
他人を殺した場合は村はずれの祈祷所ララオアに泊まり、事態が解決してから
村に入る。村に入れば集会場外の大石の上に首を置く。首狩りの英雄に恋人が
いる場合はその女が首の髪をとかして花で飾る。そして首に酒と肉を含ませる。
酒がない場合は粟を酒だと言って含ませた。翌日村長は首納めの場所
タオアララカに首を納めて前日と同じく肉と酒を含ませる。
首狩り団の隊長は甘酒を持って各家々を訪問し、屋内の獣骨を積んだ場所に
酒をたらして勝利を告げる。
その後五日間は集会場で男女が踊り歌う。前庭に火を焚き、かたわらに竹を立てて
ビンロウと葛の葉を吊し、その周囲を囲んで輪踊りする。

首狩りの英雄は十日間は性行為禁止なので、集会場で寝起きする。
71名無しさん@お腹いっぱい。:02/09/18 01:15 ID:V00nhCkR
日本だって戦国時代は倒した敵の首を持ち帰って手柄の証しとした訳だし。
そんな風習がない国から見れば日本人も首狩り族。
72名無しさん@お腹いっぱい。:02/09/18 01:29 ID:V00nhCkR
>>37
> 切腹では受刑者の首を刎ねてはいけません。首の皮一枚は残すものです。

そんなのは建前で、天下泰平の江戸時代、介錯人も緊張のあまりうまく
首を切り落とせず、焦りながら何度も首を切り付けて切腹者に過大な
苦痛を与えたらしいよ。
73名無しさん@お腹いっぱい。:02/09/18 01:43 ID:3MfYHOkO
ネットに流れてるチェチェンの首切り動画見たけど、あれ本物ですか?
74名無しさん@お腹いっぱい。:02/09/18 21:41 ID:aLUT2vCo
台湾アミ族のマガヤウ(首狩り)

リーラウ社では、首を取ると首入れパタタアンに預け、首狩りの英雄シタバダイは
その夜豚を屠り、肝臓を捧げて祈祷する。肉は親戚の数だけ切り分けて配る。
首は四、五日したら埋める。十日間続けて輪舞マリクダをして祝う。シタバダイは
一月の間は同衾、野菜食はタブー、破ると男は不幸になる。
花蓮のタウラン社では、首は禁断の森サシグダンで腐らせるが、その北の
タイヤル族タロコ蕃、モックワ蕃では釜で炊いて肉を剥ぎ、籾蔵の前に飾る。
首狩りは作物の豊凶と関連があるらしい。タウラン社では、敵に殺された村人は
豚や犬に化けて村を荒らすという。不作や流行病の時は古戦場で骨を拾う。
流行病の霊カワスは首のカワスを恐れるから。この骨は首を狩ったことのない
子供や若者に触らせ、女には絶対に触らせない。
抜仔社では、首を取って帰ると祭り屋で一同がマリクダを舞い、首棚ロコでも舞う。
村中が五日間舞い、その間は畑仕事もせず野菜も食べない。六日目に武器類を
祓い、残った弾丸を全て放つ。首狩りの英雄は次の豊年祭イリシンまで同衾、
野菜食は禁止。ただし芋は良い。妻と物の受け渡しもタブー。一度地面に置いて
取ってもらう。イリシン直後に首狩りすれば一年近くタブーが続くのである。
75名無しさん@お腹いっぱい。:02/09/18 21:47 ID:GQCj5xYa
刈り上げ
76肉じゃが:02/09/19 00:10 ID:mQLU4AXx
昭和40年代の前半、マガジンかサンデーで、南米の干し首の写真を見た記憶
があるなあ。当時はまだそんな風習があったのかも。そのころの少年誌は小
学生の読みもので、漫画以外の記事も結構あったよ。
77名無しさん@お腹いっぱい。:02/09/19 23:52 ID:wx1LHt2d
アミ族のマガヤウ続き

中部のキヴィ社では、首を取ると祭壇ハルングルングランに供え、直ちに
村人全員が集まって喜びの舞いをする。集会所アダロンで祭儀しないのは、
そこに女子も来るため。次に村長カキタアンの家の祠ロコに納め、祭司
シリシナイが口を使って皮を剥ぎ、脳味噌は全て吸い出す。そして首置き場
タタバランに祀る。敵の長や優れた戦士の首を取った場合は、蓬の芯を
首に巻き、耳も飾る。首には粟酒の粕を食べさせ、
「これは祭司の粟だ。早く食べなさい。汝の兄弟に笠を被せ、蓑を与えよ。
そしてまた首が取れるように、粟や稲が良く実るように、獲物が多いように、
万事上手く行くように。」
と、唱える。

加納々社では、首を取る前に鳥占いをする。鳶の一種アリリスが争うのを見れば
すぐに出かける。敵に間違いなく出会うと信じている。北のタイヤル族タロコ蕃
を目指して。
首を取って安全な場所まで逃げると、首に草で鉢巻きして飾り、酒を全体にかける。
村に着くと銃を撃って知らせる。村人は粟酒の筒を下げて迎え、集会場で
輪舞マリクダを舞い、祭壇タタバランでも舞う。首取りの英雄は口で皮を剥き、
祠ロコに納める。口で剥ぐ事が出来なければ、首狩りに行く資格はない。
脳味噌は取り出さない。再び村長カキタアンの家と集会場で舞う。
翌日は村の衆が川漁に行くが、村長と首狩りの英雄が行くのはタブー。
首狩りの英雄は次の豊年祭イリシンまで性交は禁止。イリシン直後に首狩りすれば、
1年近く同衾出来ないのである。
78名無しさん@お腹いっぱい。:02/09/20 09:01 ID:4/iRQ4kw
>>71
昭和十年代までやってたぞ。
大陸でな。
79名無しさん@お腹いっぱい。:02/09/20 09:12 ID:W+aKrgka
アメリカは今でも中東でやってるじゃん。
80名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/20 18:24 ID:GtKo/tTN
最近、グロ動画にはまっている鬼畜だけど、
傾向として日本刀みたいのでスパッと切るのは稀で、小さな
手刀でギコギコ切り落とすというのが一般的みたいだね。
最初は喉もとをグサリとかききり、動脈からはピュッピュッと脈にあわせて血が飛び散る。
その時点では、まだ意識があり、喉奥から悲痛な叫びが聞こえる。
背後からマウントスタイルで切ると、血で汚れることもなく奇麗に切れる。
どの時点まで意識があるのかは知れぬが、気道や血管、神経を切られても数秒間は
生きているみたいだ。
こういうものを見ると、人間も動物なんだな〜と思ってしまう。
死を確信したときの顔ってのは、見ててトラウマになるね。
81名無しさん@お腹いっぱい。:02/09/20 23:45 ID:4jQ2ziIR
台湾タイヤル族の首狩り

首狩りの理由は「喧嘩の仲裁」のため。猟の獲物を競っても勝負が付かない場合は
首狩りに出る。原因不明の事故、解決できない事件、男女間のトラブル、
その他どんな些細なことでも首狩りに出た。もし夫婦間の醜聞が伝わったなら、
妻は夫の側と同じ数の男を頼んで首狩り勝負させる。事件を起こした村の中では
首狩りせず、ほかの村に赴いて狩る。もし首の数が同じだったら、再度首狩りに行く。
首狩りに行くと決意したなら火を起こす。このとき、火打ち石を二打ち以内で
点火しなくてはならず、点火し損ねた場合は延期する。起こした火は村全体に
行き渡らせ、それまで焚いていた火は全て消す。この火で炊事したり煙草を吸うのは
タブー。出発前に粟餅の弁当を作る。野菜や肉も持参する。現地調達は良くない。
首狩り道中には呪具チネットを持参する。これは楠で作った匙で、首狩りの道中
外泊する場合はこれに水を溜めて一同で舐め、団結と神の加護を祈る。
チネットには敵の髪が結びつけてある。楠で作るのは、支那人が樟脳作りで暮らして
いるため、楠の呪具だと支那人の首が採れるからだという。チネットは各村に一つ
しか無く、いつもは村長の家の棟木に隠してある。収穫時にこれを持ち出すと、
作物が腐るという。そして鳥占いもするシシレク鳥が道の両側で一回二回鳴けば吉。
片側だけで二回鳴けば不吉だとして引き返す。

                        続く
82名無しさん@お腹いっぱい。:02/09/21 21:13 ID:oQAtJG5l
タイヤル族の首狩り続き

首を取って安全な場所までたどり着くと切り口から手を入れて脳味噌を取り捨て、
よく洗ってから頭髪を抜き、首狩りの英雄はそれを膝に巻く。呪具チネットの毛を
新しい物と換える。しかし味方に死者が出た場合は首を取っても膝に巻かないし、
チネットの毛も換えない。村に帰りつけば鬨の声をあげ、鉄砲の戦利品がある場合は
その数だけ発砲する。女達は新しい着物を持って出迎える。しかし死者が出た場合は
夜中にこっそりと帰り着く。被害者の家に村中出向いて慰める。妻は近親者は泣くが、
男達はどんなことがあっても泣かない。仇を取ってやるとなぐさめる。
首は村の子供達に背負わせる。しかし死者が出た場合は子供には触らせない。子供とその母は
臼の上に乗せられた首に酒と煙草を含ませる。そして男女共に屋内で手繋ぎ輪踊りする。
翌朝首棚を作る。柱を四本立て萱で屋根を葺き、棚を作って首を乗せる。そしてまた首に
粟餅、豚肉、酒を含ませ、お前の友を連れてこい、村が平穏であるように、と祈る。

ローベェ ママナシブトアン モハソ マオト トノフ ナ オンガイ カカヤガニ マオワス
(支那人の首の小父さん、猿の首よ 集まって唄おうじゃないか)
このように唄いつつ、踊る。村長は餅と肉を配り、特に首を取れなかった者が争って取る。
今度は取れるように、との意味で。首棚の左右にはバイトンと称して竹を立てる。
これに首狩りの英雄が今まで取った首の数だけ印を付ける。これは絶対に誤魔化してはいけない。
戦利品の銃もこの竹につける。そしてまた村おさが自ら肉と酒を捧げ、後でお下がりの酒を
村中に振る舞う。特に子供達に沢山呑ませる。

続く
83名無しさん@お腹いっぱい。:02/09/22 20:22 ID:x6bC8IGG
台湾タイヤル族の首狩り続き

首狩りの英雄は旗印ワヤヤをも作らなくてはならない。作らなければ神霊ウットフに
怠け者だと叱られる。六メートルくらいの竹を三本組み、それに旗印ワヤヤを
結びつける。今まで狩った首の数だけ茅でマークを作って結びつけ、竿の頭には
新しい着物を付ける。そしてそれを高い樹に結びつけるか、村で一番の高台に立てる。
立てる際には村中の者が集まって「ハッム・オアオ」と叫ぶ。ワヤヤは倒れるままに
放っておく、一ヶ月もすれば自然に倒れたという。ただ、首狩り隊の一行に死者が出た
場合は立てない。酒もあまり飲まない。
84名無しさん@お腹いっぱい。:02/09/23 23:03 ID:gtKJKoUT
かつて生蕃、高砂族と呼ばれた台湾先住民九部族のうち、
蘭嶼島のヤミ族のみが首狩りをしなかったという。
85名無しさん@お腹いっぱい。:02/09/25 05:52 ID:nH3GSI0x
上述の首狩りの記述はとても興味深いですね。ソースは何なんですか?
86名無しさん@お腹いっぱい。:02/09/25 22:54 ID:lqCPobFl
ソースは『古野清人著作集第一巻 高砂族の祭儀生活』昭和47年三一書房刊行です。
昭和十三年頃に行われた民族調査によります。

では最後に台湾アミ族タウラン社の首狩り祭り詳細。

首を取って帰ってもすぐに村には入らず、休息場所サスタタランに一度首を置いて
簡単に舞う。村からは見物人が集まってくる。首狩りの英雄は首を抱いてそこで
一晩眠る。首を他人に取られてしまうかもしれないから。
翌朝は首祭り第一日目パラナム。首取りの英雄の家族が首に飯を含ませ、次に
髪を抜き取る。髪は首取りの英雄所有となる。そして首を持って首祭り担当の家系
シコパガイの家に行き、シコパガイが出した朝飯を食う。そして首に飯を供えて祈る。
「汝の魂は我が家にあるが、汝の一族同胞を呼んできて我が友となすように。」
そしてさらに酒とビンロウを供え、祈り終えてから眉毛と頭髪を取って包み、
庭で踊り、首狩りの英雄はお払いする。何もしないと気が狂うという。

続く
87名無しさん@お腹いっぱい。:02/09/26 23:10 ID:YovZImXs
アミ族タウラン社の首狩り続き

首祭り二日目はミシギル
首に豚一頭、強飯、ビンロウ、祭器デワスに入れた酒を捧げ、首狩りの神
マタラウに祈る。
「このたび首を持って参りました。マタラウ様のお陰です。これからもこの人の
親戚がたくさん参りますように。」
祈り終えてから豚を屠る。普通は心臓を突いて殺すが、首祭りの際はシコパガイ
が特別な棍棒サパロで打ち殺す。そして解体して肉を煮て村人に振る舞う。
これは首狩りの英雄だけではなく、首狩り隊全員が豚を差し出す。従って
首狩り隊のメンバーが多ければ多いほど村人は御馳走に御馳走にありつく
わけである。それが済んでから首を割り竹の先に付け、首置き場サシギダンに
納める。首狩りの英雄シタバダイとシコパガイが
「ここに永くお住まい下さい。空腹の際は家に遠慮なく食べに来て下さい」と
祈る。
昭和十三年現在、このサシギダンは「田浦神社」になっていた。

続く。
8885:02/09/27 04:35 ID:+j3YsFpV
>86 ありがとうございます。今度、図書館で探してみよう。
89名無しさん@お腹いっぱい。:02/09/27 13:18 ID:1TBEIhZ6
アミ族タウラン社の首狩り祭り続き

三日目はミサオラ
首祭り担当シコパガイの家で一日村の衆が踊り唄う。収穫祭イリシンの時と同じく、
頭に羽冠をつけて正装して踊る。夕方になれば老人マトアサイは解散し、若者組
カッパーは首狩りの英雄シタバダイの出した豚の蹄を竹籠に入れて北に一キロの
バカキイアンまで爪を奪い合いつつ競走する。この爪を持っているとシタバダイと
同じように尊敬される。

四日目はミラオプ
若者組カッパーが鹿狩りに出かけ、豚肉の礼として鹿肉をシタバダイに捧げる。

五日目はマリアラツ
首狩り隊が川漁に出かけ、獲物を村に配る。これで首祭りは終了

タウラン社で最後に首狩りが行われたのは大正元年のこと。