米大陸一番乗りは縄文人とアイヌ

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1インディアン

 【ワシントン30日時事】米大陸に初めて入ったのは、日本の縄文時代人とアイヌ民族だったとみられる―。ミシガン大学など米中合同の研究者チームがこのほど、人間の頭がい骨の形状を分析した結果、こんな結論に達し、31日発行の全米科学アカデミー紀要に発表した。
http://www.jiji.com/cgi-bin/contents.cgi?content=2001073110066&genre=real&spgenre=soc
2沖縄人:2001/07/31(火) 17:43
うーんグレイト。
3名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/31(火) 17:49
なんつーか、政治的なものに使われそうだ…

アメリカの先住民はアイヌ人→アイヌは白人(無理矢理)→アメリカ大陸に最初に来たのは白人

白人は昔からアイヌを白人と見なしたい願望があるから。
4ちゃうわい:2001/07/31(火) 18:31
えっとコーカソイドが「小進化」してモンゴロイドになったわけで、
その進化究極形態がネオモンゴロイド。
多分スンダランドから北上した進化途中の「バタ臭い」ネオモンゴロイドのうち、
日本列島にわたったのが縄文人。その子孫がアイヌ。
また日本にこずいてついたベーリング海わたって米大陸いったのが、上記アイヌ系。
またシベリアにとどまって寒冷地適応小進化し、さらにナンかして日本列島きたのが弥生人。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/31(火) 20:30
アボリジニはコーカソイドより後?
かなり土人っぽいんだけど
6名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/31(火) 21:52
>>4
それはそうなんだけど、むこうの民放番組(学者ではない)では今だにアイヌ=白人ととれるような番組を平気でたれながしている。
7名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/31(火) 22:19
そもそもアイヌは欧米では知られてるの?
日本人は米国のインディアンは知ってるけど
8名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/01(水) 04:27
昔古田武彦が似たような主張をしてた気がする。
9ななし:2001/08/01(水) 04:29
10ななし:2001/08/01(水) 04:31
アメリカの祖先は日本から渡ってきた縄文人?

2001.08. 1
Web posted at: 3:23 AM JST (1823 GMT)

ワシントン(AP) 先史時代、アメリカ大陸に渡ってきた最初の人間が、縄文時代に日本に住み、後にアイヌ人となった先史民族ではないかという説が浮上した。米ミシガン大学人類学博物館が中心となり、世界中から集めた古代人の頭蓋骨約1万個の分析・比較研究結果が31日発表された。

研究の指揮を取ったC.ローリング・ブレース氏によると、コンピューターを使い、骨の構造など詳細な分析を実施した結果、米国の先住民の骨の特徴が、縄文時代に日本に住んでいた民族のものと非常に似通っているが分かったという。また、これらの特徴が現在も、アメリカン・インディアンのブラックフット族、スー族、チェロキー族にみられるという。

現在ベーリング海峡に隔てられているアジアと北米大陸だが、当時は、アラスカとシベリアは陸続きであったという説もある。そのため、ブレース氏は、縄文時代の民族が陸づたいにアラスカへ渡り、その後、北南米大陸に移住していったとみる。「米大陸に移住してきた縄文人は、現在の日本人とは違う。アジアから日本に渡ってきた民族だろう」とする。また、これら縄文人がアジアの影響以外に、ヨーロッパの特徴も兼ね備えていたことも指摘した。

頭蓋骨の特徴のほか、縄文人が有していたとみられるボートを作る技術も、縄文人が米国の先住民となったことを確証づける決め手となっているという。ブレース氏は「農耕技術が誕生する数千年前の時代、人々は狩猟に頼る生活を送っていた。新たな獲物を探して西部に移住するために、ボートが使われていた」と指摘する。日本で発見されている先史時代の白樺の樹皮から作られたカヌーと、アメリカ・インディアンが使っていたボートは酷似しているという。

アジアから初めてアメリカ大陸への移住は1万5000年前と、ブレース氏はみている。その後1000年以内に各地に移住し、遠方では南米大陸まで移住していったという。

3000年から4000年前には中国人、東南アジア人、モンゴル人による、アジアからの2回目の移住が行われた。この時すでに北部の氷が溶け出した後で、移民はベーリング海峡をボートで渡ってきたとみられる。これらの第2次移民のうち、北部に残ったものがエスキモーやアラスカ西部に住むアレウト族となり、南方に移住したものがナバホ族になったとみられている。
11名無しさん@お腹いっぱい:2001/08/01(水) 10:00
この話題、今朝のゴミウリ新聞に出てたね。

つーか、けっこう昔から「ネイティブアメリカンの
祖先は日本人」という説は北米であったよ。
ほんとんどがトンデモ説か電波っぽかったけど。
12スネ―カー教徒:2001/08/01(水) 11:13
>>4
コーカソイドから小進化してモンゴロイドはいいと思うんですが
ネオモンゴロイドって何ですか?
>>2
1996年にケネウィックマンが発見されたとき、一部のマスコミは
アメリカ大陸に最初に来たのは白人とセンセーショナルに取り上げました
(先住民族に対するうしろめたさもあるんでしょうね)。

アイヌについては欧米でもけっこう研究されています。特にケネウィックマン発見以降
さらに注目を浴びているように思われます。アイヌの形質はいろいろな
人種に親近性を示しているので白人といっても正しいともいえるし
正しくないとも言えるでしょう。
このニュースについてなのですが別のソースではポリネシア人
とのつながりも言及されていました。自分としては中南米で
の研究が軽視されているような気がします。
アメリカで最も古い13500年前の女性の人骨がブラジルで発見さ
れており、それがアボリジニの特徴を持っていることがわかっています。
そのためオーストラリアからの海のルートが主張されています。
↑の>>10の記事の最後の部分、アジアからの2回目の移住についてがすごく気になりますね。
なぜなら中国のある研究者は古代中国人がオルメカ文明に影響を与えた
と主張しているからです。なんかおもしろくなってきた。

http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=min&key=959981520&ls=50
13名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/01(水) 11:43
ネオモンゴロイドまたは新モンゴロイドってのは、寒冷地適応した連中で、関西人の先祖のはず。
違ったか?

ともかくアメリカン・ネイディヴズが縄文人子孫なら、1億もいたネイティヴズを殲滅した
米連邦政府に「補償」求められるな。

でも随分前にNHKで、アメリカ最初の人類(ピカード艦長みたいなの)が
アイヌに似てる、とか言ってなかっ?
14名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/01(水) 11:45
雑誌にアメリカで人骨が発見されてインディアンの
ものより古く学者がコーカソイドの人骨って言ってたらしいけど
土地を白人に奪われたインディアンとしては白人至上団体に
「元々は俺らの土地でそれをインディアンに奪われた」とイチャもん
つけられないかヒヤヒヤしてるって記事読んだ。
結局それも縄文人の骨ってことでかたつけていいのかな?
15名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/01(水) 11:48
ちなみにNHKの番組でアイヌとインディオに共通の
遺伝子配列があったってのもやってた
16スネ―カー教徒:2001/08/01(水) 12:28
>>13
新モンゴロイドの事でしたか。有難うございました。よく縄文人は古モンゴロイド
といわれるので??と思ってしまいました。
>>14
アメリカにはNative American Graves Protection and Repatriation Act
という法律があってそのコーカソイドの特徴を持つ人骨がネイティブアメリカンの先祖
かどうかでもめました。もし先祖なら彼らに返さなければならないが学者達は
先祖ではないとか科学の為とか言って、現在裁判中です(そろそろ結果が出るそうです)。
政府はインディアン側に味方しています。
形質で決めると言う事がどんなに難しいかを示してますね。骨については縄文人、アイヌ人
に似ているという意見もあればポリネシア人に似ていると言う人もいます。
17KKK:2001/08/01(水) 13:01
人種差別主義者のヒトラーが日本と組んだこととアイヌの存在は関係あると
聞いたが本当かね
18:2001/08/01(水) 14:27
>>12
>なぜなら中国のある研究者は古代中国人がオルメカ文明に影響を与えた
>と主張しているからです。なんかおもしろくなってきた。
おお。面白い!
電波系かもしれないけど。
19名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/01(水) 15:22
これが韓国人だったらさ、
「最強の国アメリカの祖先は韓国人ニダ!」
つって大喜びするんかな。
20名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/01(水) 15:28
>>19
ネイティブアメリカンとアメリカの発展は全然関係ないと思います
21名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/01(水) 17:01
>>20
いや、関係なくても喜ぶだろうねってこと。
22名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/01(水) 19:18
>>21
それ以前に朝鮮は人類発祥の地らしいよ
23名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/01(水) 21:25
多分スンダランドからシベリアへ北上したモンゴロイドのうち、
ベーリング陸橋をわたってカナダから北米へうつったプロトモンゴロイド
子孫がいわゆる「インディアン」。
寒冷地適応前に「陸続きで」で日本列島わたってきたプロトモンゴロドが
縄文人。いっぽうシベリアにいのこって寒冷地適応小進化して真モンゴロイド化し、
朝鮮半島経由渡海して西日本に定住したのが弥生人。

よびもどそう東方領土。
北米大陸はモンゴロイド固有の領土です。
24ヒンクリー:2001/08/01(水) 23:51
アボエイジニもアイヌも縄文人もコーカソイドから派生した
直後のモンゴロイドで、両方の中間的な特徴を備えた人種
ですね。
25名無しさん@お腹いっぱい:2001/08/02(木) 17:08
質問だけど、縄文人って日本にしか居なかったの?
26名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/02(木) 19:19
↑うん。
27名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/02(木) 19:51
というかプロトモンゴロイド(スンダドント)のうち、
日本にわたってきたのが縄文人でしょ。
初代は「ナワ・フミト」と言う人でした。
28名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/02(木) 20:09
 王巍中国社会科学院考古研究所副所長の講演も、縄文早期からの日中交流の可能性をアピールしておられた。中国東北地方から内モンゴルにかけての興隆窪文化地帯の円筒土器と、日本の青森、秋田あたりの縄文土器がそっくりである。形だけでなく、土器全面に文様が施されていること、文様が口縁部/そのすぐ下の横縞模様/その下の残りの模様と、三段構成になっているのも同じである。
http://homepage1.nifty.com/rekisi-iv/report/tokubetuten/20010217doki2.htm
29名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/03(金) 21:07
日本の学者はアイヌや縄文人をモンゴロイドと決め付け過ぎではないか?なぜなら、人類は我々が考える以上に広く拡散している。例えば、われわれと顔が似ている東洋系の民族がモスクワの北にいるし、マダガスカル島はアフリカに近いけど、マレーポリネシア系で、フィリピンのパラワン島のバタック族は黒人のブッシュマンだ。だから、アイヌや縄文人がクロマニヨン人からの系統の白人としても、おいらはちっとも驚かないぜ。なにせ、北海道で目の色がグリーンで白人にしか見えないアイヌを見たことがあるのだ。
30名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/03(金) 22:40
失礼ながらアイヌ白人説を信奉するなら、
埴原、宝来、小山、小浜各先生に論理的に冷静に科学的に
反論していただきたい。
わたしとて専門家ではないが、各先生の論拠には納得できる。
反論できるデータ、科学的根拠がなく感情的な反発するのはフェアではない。
私は量子論におけるコペンハーゲン解釈に生理的不快感を覚えつつ、
反論できずに受け入れている。
31名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/04(土) 00:05
>23
モンゴロイドのルーツには中央アジアからアルタイ山脈付近を経由してアジア北部に
到達したグループと、ユーラシア南岸を経由しておそらくはスンダランドに到達
したグループと二つに分かれるという説もあるよね。
そうすると、アボリジニは南方を経由したグループから派生したと考えるのが自然
じゃないかな。
縄文・アイヌがシベリア由来かどうかということに関してはちょっと難しいかも
しれないけど、ガンマグロブリンの遺伝子多型のデータからもシベリア由来
の可能性が示唆されているし、やはりシベリア由来かもしれない。
32名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/04(土) 11:24
>>23、31
縄文・アイヌと弥生人が日本に渡ってきた時間的格差ってどれぐらいあるんですか?
あと、弥生人が稲作文明をもたらす以前に実は樺太方面から既にプレ弥生人が
渡来し定着していたという可能性はないんでしょうかね?
この可能性があるとなぜ東北人が縄文顔でないか疑問が晴れてくる。
33スネ―カー教徒:2001/08/04(土) 14:35
遺伝子学はアイヌ=モンゴロイド、北方起源を支持するかもしれないが形質的には
波状毛、多毛、彫りの深い顔立ち、上下肢の長さはコーカソイドが持つ特徴
です。また信頼できるかわかりませんがJSウイルスは東北地方の人間にコーカソイドの血が
混ざっている事を示すそうです。
DNAを優先的に見るか、あるいは形質を見るかは学者の間でも議論されている
問題です。話は逸れますが形態学ではカバは鯨の最も近い親戚としますが
遺伝子学では牛、らくだ、豚を鯨に近いものとします。つまり進化図が変わってしまいます。
("Bones, molecules...or both?" Nature 406, 230 - 233 (2000) より)

そもそもアイヌがコーカソイドかモンゴロイドかで言い争うのは馬鹿らしいと思います。
人類を人種で分けると言う方法自体がまず不完全です。コーカソイド、モンゴロイド、
ニグロイド、オーストラロイド大人種で分けてもそれらの大人種の中でまた
更に細かく髪の色などのバリエーションで分けられます(アフリカ人はずっと
ヨーロッパ人よりもバリエーションが豊富であるが細かく分けられていないのは文化で
ひとくくりされているから)。アイヌで例えればコーカソイドの中のバリエーションなのか
モンゴロイドの中でのものなのかということです。人種を代表する純粋な人々も絶対的基準
も存在しない以上インド人、ポリネシア人、アイヌ人のような中間的な人々の人種をを決
めるのは不可能です。遺伝子で分けると言ったって黒人と白人の遺伝子は99.9
パーセント変わりません。
また、人種間のバリエーションより個人間のバリエーションのほうが、ずっ
と大きい事も知っておくべきでしょう。だから「自分が見たアイヌ人は日本人ぽかったよ」
というのも充分ありうるのです。
「この人はこの人種ではない」というのは易しいが「この人種だ」と
言うのは難しいのです。
人種での分類は便宜的なものです。2chではこれに関係するスレがたくさ
ん見られるので長くなってしまいました。
34名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/04(土) 14:52
モンゴロイド≠黄色人種
コーカソイド≠白色人種
35名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/04(土) 16:42
>30私も全然専門家ではありませんが、埴原、宝来両先生の書物は少し読みました。中でも埴原先生の二重構造モデル、つまりスンダランドにいた原モンゴロイドが北上し、縄文、アイヌ、琉球人となり、後から100万単位の大量の新モンゴロイドがやってきて、弥生人となり今の日本人の多数派となったということです。新モンゴロイドは、シベリアの寒さにより平坦な顔と胴長の体型を獲得したとあります。埴原先生は琉球とアイヌを同系と言ってきましたが、最近の研究では、アイヌは北方系で琉球とは異なり、また、100万もの大量な移民はなかったということが、有力となってます。そのへんの事は、尾本恵市や安本美典という学者が科学的に述べていて、埴原説ーアイヌ南方原モンゴロイド説は崩れています。研究は日進月歩です。縄文やアイヌの先祖はヒマラヤの北を通り、樺太経由で渡来した説はより納得でき、3万年くらい前のモンゴロイドとコーカソイドはよく似ていて、東へむかったか、西へ行ったかの違いだったかもしれない。
33番さんのJSウィリスは、JCウィリスの間違いではないですか?私は、過去に秋田で白人のような女性を見ました。30番さんは見かけはナンセンスと言われるかもしれませんが、案外人間の直感もあてになりますよ。スミソニアン博物館にある100年以上前の北海道や樺太のアイヌの写真を見てください。もうすごく白人の印象があり、混血した現在のアイヌは容貌もずいぶん変わりました。埴原先生達は混血したアイヌを対象にしているのでは。又、宝来先生の研究で縄文人とマレーやインドネシアの人がDNAの塩基配列が一致したと、縄文南方説が確立したように騒いでましたが、サンプルが少ないので全く断定できません。縄文人やアメリカ先住民の研究では、人類はまだ入り口に立ったところでしょう。
36K:2001/08/04(土) 18:01
 しかしアイヌ人は、江戸期から和人にかなり同化しつつありましたね。
明治初期に道西の方言はすでに収集できなくなっていたと聞きます。こ
れは同化の結果です。しかし今日、アイヌ人のなかにみかけるあの「異族
的風貌」をもつ日本人はまずみかけません。とするとあの「異族的風貌」を
もつ人々は、アイヌそのものではなくて、アイヌが同化した北方系
異民族ではないでしょうか。アイヌ人は縄文人の子孫であり、私たちとは
余り違わなかったのではないでしょうか。「異族的風貌」をもつ人たちが
北海道を自分たちの土地であり、日本人がこれを奪ったというのは
間違いではないでしょうか。
37名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/04(土) 21:55
>>36
つまり、真のアイヌは私ども通常の和人であり、我々がアイヌと
呼んでいるものは別の異民族という意味ですか?
38名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/04(土) 22:27
×縄文人→アイヌ人
×弥生人→和人

○縄文人→和人
○弥生人→和人に吸収
○アイヌ→?
39名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 00:31
謎が謎を呼んどるな、ここは。
40スネ―カー教徒:2001/08/05(日) 06:33
JCウイルスでしたね。すみません。
アイヌについてですが現在のアイヌは混血が進み一般の日本
人と変わらない生活をしています。今のアイヌを民族とみなすべきか
は難しいところですが(アイヌ系日本人とすべきという人もいる)
アイヌとしてのアイデンティティを持つ人々や文化の復興運動があ
る以上、とりあえず民族とみなしていいと思います。
一応現在の人類学ではDNAや骨の形質的特徴からアイヌは縄文人
の直系子孫ということで認識されています。本州に住む人達に近いのは
弥生人です。弥生人と縄文人は形質的に違います。ただ、必ずしもアイヌ=縄文人ではないのが難しい所で
擦文文化がオホーツク文化を吸収するときとか混血がいろいろな時代で行われたのでしょうね
(オホーツク文化はギリヤ―クが担い手だっけ?)。東北地方の地名には
アイヌ語が見られることから秋田の人の中には白人見たいな人がい
てもおかしくないと思います(日照量をはずして考えても)。

http://www.geocities.com/rikeinohito/950886252.html
41名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 08:02
36番さんのいう「異族的風貌」なるものが、どういう風貌かわかりませんが、アイヌ以外にも古代、日本北東に「夜叉の如く」と非常に醜い民族の指摘があり、これは、おそらくカムチャツカのカムチャダールと思われます。
「異族的風貌」をコーカソイド的な彫りの深い顔のことであれば、これはアイヌの風貌です。アイヌは縄文人につながることは明瞭ですが、14世紀には文化的に和人とは区別でき、アイヌ民族が確立したと思います。
38番さんの指摘は間違っており、縄文からアイヌは正しく、和人はおそらく縄文と弥生のミックスと考えます。
中世日本に来たヨーロッパ人も指摘してますが、東北アジアでコーカソイド的風貌はアイヌ以外見出せません。他はすべてのっぺりした顔です。40番さんの意見に賛成です。縄文人とアイヌの頭骨は非常に類似しており、明らかな相違は鼻の下の長さで、口までの長さがアイヌの方が長いそうです。
36番さん、縄文を基層にしていることでアイヌと和人は共通点がありますが、和人の文化を押し付けることによって、「アイヌモシリ」北海道のアイヌの土地を結果的には奪ったことになると考えます。
アイヌ語地名は、今まで、東北北部、北海道、南樺太、千島と言われてきましたが、最近、東北全域、カムチャツカ半島、北樺太、ロシア・沿海州にもあることがわかりました。
私が見た秋田人は色がすきとおるほど白く、落ち窪んだ大きな瞳はかなり緑に近い褐色で鼻が高く美しい女性でした。
42名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 10:27
縄文人と弥生人が日本に渡来した時間差は分かりませんが、
いつも半島から渡来したと言われている弥生人が実は樺太方面から
先に渡来して日本各地に伝播したという可能性はないんでしょうかね?
言わば、半島弥生人と樺太弥生人、2種類の存在。
私が出会った東北人は確かに色白ではあるが、一重瞼で平坦な
顔立ちがほとんどでした。
43名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 17:19
アイヌのコーカソイド的風貌ということに関してですが、これはコーカソイド
との直接的な関連を示唆するというよりもむしろ古モンゴロイドの形質をかなり
純粋に受け継いでいた、ということで説明できるのではないでしょうか。
もちろん古モンゴロイドとコーカソイドとの関連を考えると古い時代に関連が
あった可能性もあるのかもしれませんが。
それからアイヌほどではありませんが東北アジアの中ではネネツ人が多毛などアイヌ的
形質を弱冠有しているというのを聞いたことがありますよ。
44ここ本当に2ちゃんか?:2001/08/06(月) 06:05
なんかまともなスレ多くて。

埴原、梅原対談で、新モンゴロイドが寒冷地適応したと言うことに続けて
「美的にはおもしろくないほうに進化したわけです」と埴原先生が。
ほっといてくれ! ウウウウウウウウウ
45名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/06(月) 23:17
縄文人と弥生人が日本に渡ってきた時間的格差ってどれぐらいあるんですか?
あと、弥生人が稲作文明をもたらす以前に実は樺太方面から既にプレ弥生人が
渡来し定着していたという可能性はないんでしょうかね?
この可能性があるとナゼ東北人が縄文顔でないか謎が解けてゆく。
46名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/06(月) 23:20
45
西から東に開拓民が大量に送られてるんだよ
47名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/06(月) 23:25
>>46
知ってます。でもそれだけじゃ納得いかないんですよね。
多くの青森人や秋田人を見てると。
48転載くん:2001/08/08(水) 07:55
[1:2] アイヌ=縄文人の子孫じゃないの? ■▲▼
1 名前:世界@名無史さん 投稿日:2001/08/06(月) 23:48
JCウイルスの伝播様式の解明
  それを応用したヒト集団の成立ちに関する一考察
東京大学 北村唯一
http://www.hama-med.ac.jp/uro/abstract/PART1/HCONF/99/KITA.HTM

 さらに、青森、秋田、宮城、山形の約10%にEU亜型(白人に特有の亜型)
が認められ、これは有史以前に白人の血を引くあるヒト集団が日本列島に
渡来したことを物語っていると思われるが、
この件に関しても更なる検討が必要であろう。

北村:実は意図的に抜いているのであります。先生が、もし
アイヌの人たちに関係をおもちでしたら、ぜひ尿を戴きたいのです。
非公式に10検体ほどやったのですが、欧米型のタイプが多いのです。
いわゆるtype Aとtype Bが半々でそのtype Bも日本のそれとは
ちょっと違います。今の日本民族とは違って欧米型の血も入って
いるんではないかというのが現在の見解なんですが、色々支障が
あるので公表していないということであります
49転載くん:2001/08/08(水) 07:59
              ↑

http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=997109306

世界史板でこのスレ2日も放置されてたんだけど、どうよ?
50名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 09:50
ウィルスじゃ何とも言えないのでは? やっぱり人間のDNAじゃないとねぇ。
家族感染と書かれているが、渡り鳥によって媒介されるという可能性はないの?
仮に白人との混血によるものだとしても、10%の人からEU型のウィルスが検出
されたからといって、祖先の10%が白人だとは限らない。白人の血はごくわずか
だが、東北の日本海側の気候がヨーロッパに比較的近いので、MY型よりもEU型に
感染しやすかったということも考えられるのでは? いつどこで混血があったかも
分からない。白人が日本に直接来たのではなく、古代のヨーロッパ-シベリア間の
混血、シベリア-沿海州間の混血、沿海州-日本間の混血の結果、間接的に白人の
血が入ったとも考えられる。
あるいは、白人との混血ではなく、コーカソイドとモンゴロイドの共通の祖先が
EU型に感染していて、分岐後のモンゴロイドが新たにMY型などに感染し始めたが、
古いEU型も少し残ったというだけの話かも知れない。
51名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 11:34
DNA情報はかなりの数をこなさないと断定できず、現在では、垂直感染
するウイルスの分布状況は確信が持てます。
最近、中国山東省で2500年前の頭骨がでて、ヨーロッパ人との共通性
が高いことがわかりました。しかし、そのグループは痕跡もなく姿を消し、
あるいは日本に向かった可能性があるそうです。
新石器時代の頭骨は、中国で発見されるのは、すべて顔ののっぺりした
タイプで、彫りの深いコーカソイド的な頭骨は東北アジアで縄文人
だけです。

埴原先生たちは、縄文南アジア説を唱えていますが、東南アジアの新石器時代人
の鼻はベタっと低く、顎から口元が突き出ている。
縄文人は非常に鼻が高く、現在の欧米人に匹敵し、口元が引き締まっている。
故にアイヌ及び縄文人は南方を経由せず、ヒマラヤの北方を通り渡来
したものと考える。
52名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 12:27
まだ縄文人が東南アジア系だと勘違いしている人、ここ非常に多い
みたいだけど。かなり勉強不足。
アイヌ及び縄文人は北方人種。
53名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 14:13
簡単にいうとコーカソイドがヨーロッパからシベリア鉄道沿いにヒグマを求め、
途中若干モンゴロイドと交わりながら比較的新しい温暖な時期に
舟によって樺太、北海道に到着したんじゃないの。
そして、先住縄文人と融合しながら東北まで南下した。
やがて弥生人が渡来して駆逐あるいは同化されたが、
津軽海峡の存在によってかろうじて北海道にて生き長らえることが出来た。
そして縄文の形質を多く残しながら白人の形質をも引き継いだ現在の
アイヌが形成された。
アメリカ大陸への移動したのはコーカソイドが来る前の先住縄文人ではないか。
その先住縄文人はどこから来たのか・・・?
54名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 16:41
縄文人は一次と二次があったと考えられるかもしれないね。
まず数万年前に氷土伝いに樺太から琉球まで南下したアイヌ的縄文人がまず一次。
それから遅れること数万年後、弥生人に近い容姿の縄文人が同じく樺太から
南下して一次を駆逐分散させたのが二次。
それからまもなくしてから本物の弥生人が稲作文化をもって半島から上陸。
55名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 17:20
ロマンあふれる話ですね。
学術的にも考察の価値があります。
ところで、このスレの雰囲気を高めるためにも
分かりやすくするためにも、
コーカソイドの写真とか出してくれないかな。
56名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 17:56
コーカソイドとは簡単に言うと白人の様に顔立ちが彫り深で
鼻の高い人種の事ですよ。モンゴロイドはその逆。
57・・・・:2001/08/08(水) 19:46
>>52
「東南アジア系」と「北方系」は背反しないと思う。

「東南アジア系」は南方に移住した元北方民だという可能性もあるので。
58名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 20:15
>>57
了解。数万年前までは大陸の中央部辺りで同じ種族であった
可能性も当然ある訳だしね。
59名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 21:31
>>51
北米インディアンの中にはコーカソイドに匹敵するほど高い鼻を持つ人もいるが、
縄文人はそれほどではない。縄文人の広い鼻、横に突出し前にもやや突出した
頬骨、ほとんど突出しない頤などもコーカソイドとは異なる。

>>54
それはないと思う。全国で発掘された縄文人の遺骨は地域差はあるが、弥生人とは
異なる一定の特徴を持っているから。
60名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 21:34
こんなイメージで良いのかな。

原ネグロイド(中央アフリカ)→原コーカソイド(中央アジア進出)
ここから北および西へ向かったやつらがコーカソイド。
原コーカソイドがヒマラヤを北回りで巡ってアジアに向かった連中が、北モンゴロイド(新語)
で、これには旧型(縄文人)と新型(弥生人)がある。
そして、旧型が、アメリカに渡りアメリカ原人となった。
また、ヒマラヤを南回りで巡った連中が南モンゴロイド(新語)で、
現在の東南アジア人やポリネシア人やアポリジニ。という感じかな〜。
そして、中国アタリで、この辺がごちゃ混ぜになっている。
すごいスッキリする。(言葉の使い方が今までの人種概念だとダメだね)
そして、それぞれの人種の特長の差異は、どの年代に強い淘汰を
受けたか、あるいは受けなかったかで違ってくる。
実はここに、一番興味があるけど。
61名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 21:49
そうかなあ。学者が縄文人の頭骨から、鼻は現在の欧米人並みに高かった
と書いてあるのを読んだのだが。しかし、アイヌは19世紀日本を訪れた
白人が「アイヌの鼻は白人並みに高い」と報告している。
北米インディアンは白人との混血が進んでいるのでその結果では。
とにかく、最近発見されたケネウィックマンは現在のインディアンより
アイヌに類似しているらしい。
62名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 22:54
北方系と南方系が同じコーカソイドであり縄文人もコーカソイドだとすると、
モンゴロイドの存在、進化はどのように考えたらいいのか?
同じアフリカ出身の人種がどうしてモンゴロイドだけ違った形質に進化するのか?
気候とか地理だけの要因じゃ解決できないもう一つの要因があるのではないか?
(アポリジニについても然りだが)
原人の形質を連続的に引き継いでいるとも言われているが、mtDNA分析支持者は
そのあたりどうお考えか?
原人は新人とは全く別の人種か?

そこでとんでも仮設をひとつぶっちゃおうかな。
モンゴロイドは北京原人(あるいはその近辺の原人)とコーカソイドの混血である。
しかしながら生命力の優位性から北京原人系の母系ミトコンドリアは消滅。
(あるいはたまたま母系mtDNAにそんな違いが無かった・・・なにしろ同じ人類だから)
しかし形質はしっかり核遺伝子に引き継がれ、現在の中国人、韓国人、弥生人に進化した。
63名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 23:59
て優香新モンゴロイドと古モンゴロイドは違う人種と思っちゃっても
いいの?
外見的にはものすごく違うけど。
6460:2001/08/09(木) 02:50
偶然に「ヒグマ」という本を読んでたら、
アイヌには、熊送り(死後の儀式)というのがあって、
この儀式と同じようなものがインディアンにもあり、
ラップ人やフィン人などの北欧のトナカイ送りの儀式とも相似しており、
極北文化圏があったとHallowellという人が、50年以上前に主張してたみたいだ。
そして、ふと思ったのが、現在は否定されがちなアルタイ語文化圏とも一致するのだ。
なんか、私の中ではすべて納得してしまったのだ。
約3〜2万年前、氷河期も厳しき頃、大型動物の狩猟技術を持った人々、
つまり縄文人の祖先達は、動物を追い中央アジアから大拡散をはじめる。
そして、千年程度でシベリア一帯を制覇し、あるものは日本列島へ
さらにあるものは、アメリカ大陸へ渡った。
そして、シベリア大陸に定着したものは、厳しい環境の中
それぞれに進化および文化を形成し、モンゴルやエスキモー
あるいはラップ人、弥生人などになって現在にいたる。
その中でも、アイヌやインディアンは、原初的な特長を今に残す。
※さて、ここで私がわからないのはインディアンの言葉はアルタイ語に
分類できるのだろうか。違ったら、すべて意味がない。
※それと昔の人は良く文化圏という言葉を使い、さも交流があった
ような表現を使いたがるが、私は単純に同源の文化が単に拡散したと考える。
65名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/09(木) 10:14
>>64
>※それと昔の人は良く文化圏という言葉を使い、さも交流があった
>ような表現を使いたがるが、私は単純に同源の文化が単に拡散したと考える。

俺もそう思う。交流はあったとしても、一部の人間のみの交流で
一般人まで交流していたかどうかわからんし。
66名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/09(木) 23:48
文化の波及など、その方面に通じる専門家や技術者が各一人ずつやって来れば
良いだけのもの。
67名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/09(木) 23:56
>64
フィンランドにも
イヨマンテとそっくりな熊送り(フィン語で
カルフユフラ-直訳したら熊祭り)ありますよ。
68名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 00:15
>縄文人は一次と二次があったと考えられるかもしれないね。
>まず数万年前に氷土伝いに樺太から琉球まで南下したアイヌ的縄文人がまず一次。
>それから遅れること数万年後、弥生人に近い容姿の縄文人が同じく樺太から
>南下して一次を駆逐分散させたのが二次。
>それからまもなくしてから本物の弥生人が稲作文化をもって半島から上陸。

そうでなくて、逆に弥生人の方が第一次と第二次があったのかもしれない。
まず数万年前にアイヌ人または縄文人が氷土伝いに樺太から琉球まで南下して定着。
それから遅れること数万年後、第一次弥生人が同じく樺太から本州に南下して
先住のアイヌ人または縄文人を駆逐分散。
それからまもなくしてから、いわゆる一般の弥生人である第二次弥生人が稲作文化を
もって半島または大陸方面から上陸。
69名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 00:16
>>60
僕も大体そんな感じだと思う。
ただ、東南アジア・ポリネシアとアボリジニとは違うグループだと思う。
東南アジア・ポリネシアはほとんどオーストロネシア語族で、もともとは
中国南部から台湾を経由して南方に拡散した集団で、その拡散年代も
わりと新しいはず。オーストロネシアは北回りの可能性もあるのでは?
それからおなじシベリアルーツと考えられるにもかかわらず、縄文・アイヌ
とアメリンドと現代シベリア少数民族の形質がそれぞれかなり異なるのは
おそらく数万年前から1万年前にかけて急速にシベリアにおいて寒冷適応
が進んだ結果ではないか。
寒冷適応がもっとも弱いのが縄文・アイヌでありまた1万5千年前に最初に
アメリカ大陸に進出したとされる集団であり、軽度の寒冷適応を遂げたあと
アメリカ大陸に進出したのが現在のアメリンド、最後までシベリアに残って
寒冷適応が強く現れたのが現代シベリア少数民族であり新モンゴロイド
と呼ばれる集団ではないだろうか。
70スネ―カー教徒:2001/08/10(金) 00:27
>>64
エスキモー・アレウト語とチュクチ・カムチャツカ語やウラル・アルタイ語との比較は今までなされてきま
したがまだ証明はされていません。また他のアメリカインディアン諸言語
も歴史的文献も少ない為、比較も難しいようです。ナバホ語は暗号に使われるぐらい
複雑で、どうやらアメリカ大陸に長い間いたために言語構造も大幅に変わってしまったようです。
>>62
やっとアフリカ単一起源からちと離れた説がでてきた。原人を使った混血はおもしろいです。
71ちょっちソレる:2001/08/10(金) 06:51
東日本では北海道民の平均身長がわずかに高い。
これは明治以降近畿地方からの開拓民が増えた結果だって読んだことがある。
なぜ温暖、というかクソ暑い関西から北海道に大量移住したかって言うと、
やっぱ新モンゴロイドは寒さに強いからだろうな。
今年の夏は、新モンゴロイドにとって生き地獄だ。
72名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 11:05
>>54,68
朝鮮半島から弥生人が渡来する以前に樺太経由で日本列島(東日本?)に新モンゴロイド
が渡来していた、と考えるのはどういう理由からですか?
血液型の分布などを見ていても西から東北に向かってきれいな勾配ができてますし、
西から東にかけて新モンゴロイドと古モンゴロイドの勾配があると考えてもおかしく
ないようにもおもえるのですが。
73スネ―カー教徒:2001/08/10(金) 12:08
http://www.pnas.org/cgi/content/full/171305898v1/F5
今更ですが原文の中の地図を見ると日本を重要な中継地点としているのが印象的ですね。
インドネシアからオーストラリアへの流れは孤立していますね。気になるな。
論文ちゃんと読むか。
74名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 12:26
パーミッション掛かっていて読めないずら。
75スネ―カー教徒:2001/08/10(金) 13:25
すまんずら。
じゃあここなら。PDFだがダウンロードしてくだされ。
http://groups.yahoo.com/group/palanth-l/files/PAPERS/brace_etal_2001.pdf
76名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 16:56
>>72
実際、この目でアイヌ人と東北人を見比べて余りの差があり過ぎる
事が分かってますし、もし、弥生人が縄文人を西から東へ追いやった
のなら、北海道でなくて関東や東北にもっとまとまった縄文人の
末裔の集落が残されていなければオカシイし、もっと日常的にその
末裔と思しき人々を頻繁に見かけなければオカシイと思うんです
よね。しかし、それも無い。だから、西から弥生人が上陸して東進
する以前に既に関東も東北も人間は今と大して変わらなかったのでは
ないかという結論に至った訳です。それに新モンゴロイドが上陸する
玄関口は何も航行するのに生命のリスクが高い半島や大陸からだけと
限定される必要はないし、むしろ大陸と近接している樺太からの
上陸の方が生命のリスクが遥かに軽減されて都合が良い訳ですよ。
もちろん、遺伝子的にも東南シベリアの人と近いというのもこれで
説明できます。

ですから、関東も東北も弥生人が稲を持って上陸する以前に既に
樺太から南下した新モンゴロイドによってアイヌ人または縄文人は
駆逐分散させられていて、既に日本は今と大して変わらない人種の
基礎がもう出来上がっていたと考える訳です。

血液型の分布も樺太から南下して定着した新モンゴロイドものが
下地であって、その上に弥生人が伝播していった勾配ではないか
と考えます。
77名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 17:18
しかし、「まつろわぬ」人々を大和朝廷が征伐して北上してますが、
かなり残酷に刃向かった人々を根絶やしにしています。
太平洋側の東北の神社には、エミシの人々が抹殺される話が伝わってますし、
神社にはアイヌのが儀式に使う「イナウ」が奉納されてます。
明治になっても、東北北部にアイヌが住んでいたことは事実ですし、
アイヌ地名は東北各地にあります。また、エミシを毛人と呼び、アイヌ
又は、縄文を色濃く残す人々の存在も否定できません。
78名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 19:04
>>77
大和朝廷は関東や東北方面の自分達に従わない異民族全てを
ひっくるめてエミシと総称したのではないかと考え、エミシ
全部がアイヌまたは縄文人型エミシ、つまり毛人ではなかったと
考えます。

弥生人と大して変わらない新モンゴロイド型のエミシが大半を
締める中、既に駆逐分散後の縄文人またはアイヌ人の様に一見
しただけですぐ異民族と分かるエミシも混在していたと考えます。

関東、東北方面に出兵した際に、自分達とあまり姿が変わらない
エミシが多い中、初めて見るこの極端に異なる容姿のアイヌ型
エミシばかりの印象が強く残って、敵ゆえに蔑視を含んでエミシ
全部を毛人と呼ぶようになったのではないかと考えます。

エミシの人々が抹殺される話の伝承にしても、刃向かった人々
だけを根絶やしにしただけであって、残された原住民を朝廷への
味方と変え、労働力とした方が遥かに得策である事くらい朝廷も
分かっているはずですし、全部が全部、根絶やしにするような
ホロスコープなど実際は行われていなかったと考えます。

「イナウ」に関しても単にアイヌまたは縄文人と樺太から南下して
定着した新モンゴロイドとの交流による共通の文化と考え、
「イナウ」の存在があるから、エミシはアイヌそのものであると
するのではなく、エミシとはアイヌまたは縄文人を含んだ
新モンゴロイド集団であったと考えます。
79名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 19:34
カエサルの「ガリア戦記」の中でも、初めてゲルマン人と闘った際、
黄金ように輝く金髪を持つ人々と記してあるらしいが、実際ドイツ人
で金髪は1〜2割であとの残りはほとんど茶色か黒。
毛人もその程度の割合であったと考える。そしてそのわずかな毛人も
現在に至るまでに樺太から南下して定着した新モンゴロイドに
同化吸収消滅。
80名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 19:42
金髪は劣勢遺伝だけど、毛深さは優勢遺伝なのでむしろ増える方向にあるのでは?
81名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 19:45
>>76
>もし、弥生人が縄文人を西から東へ追いやった
のなら、北海道でなくて関東や東北にもっとまとまった縄文人の
末裔の集落が残されていなければオカシイし、もっと日常的にその
末裔と思しき人々を頻繁に見かけなければオカシイと思うんです
よね。

弥生時代の水田の遺跡は確か東北のかなり北部でも見つかっています。
確か青森でも見つかっていたのではなかったかな?
つまり弥生人、もしくは弥生文化は比較的急速に東北まで広がったわけ
です。
それから坂上田村麻呂等により大和朝廷が東北地方に勢力を伸ばしたあと
近畿地方からかなりの数の集団が東北地方に植民してますよね。
朝鮮半島からの渡来民も東日本にかなりの数が開拓のために送られて
いるはずです。
ですからこれらの移住者たちによって東日本に充分に新モンゴロイド
の遺伝子がもたらされた、という解釈で充分説明できるのではないか
と思います。
82名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 20:37
>79 私はドイツには、何回か行きましたが、金髪(ブロンド)の人は
もう少し多いのではないかと思います。特に、北部では1〜2割どころ
ではありません。むしろ、ドイツ人に漆黒の髪は珍しいのです。
いろいろな文書で「ドイツ人でヒットラーのような黒髪は希である」と
でてきます。ヒットラー自身は14世紀までさかのぼるとチェコ系で
ユダヤ人が混じっているという学者もいます。
黒に見えても、ドイツ人の場合、褐色がほとんどです。もっとも、現在
黒い髪のトルコ人やユーゴ系の人もしばしば見られます。
83名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 20:39
>81
弥生時代の水田といいますが、稲作は縄文時代にすでに
始まっていたという証拠が最近の発掘で証明されてます
84名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 21:36
>>81
>朝鮮半島からの渡来民も東日本にかなりの数が開拓のために送られて
>いるはずです

問題は遺伝子的な相違点ですが、これはどう解釈すればいいのですか?
85名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 21:46
三内丸山は縄文の大きな集落だったそうですが、その末裔はどうなった
のですか?
86名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 22:04

ttp://www.dcc-wao.com/inuzori/map/img/tizu(mon)150.gif
↑白人遺伝子で話題になったJCウィルスの分布図(掲載ページはttp://www.dcc-wao.com/inuzori/map/map05.html
このままでは小さすぎて見にくいので、いったんファイルに保存して画像表示ソフトで拡大表示してみて。
東日本が朝鮮半島と同じ赤色(MY型)になってる。
87名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 22:29
>>82
古代において金髪の割合が今より高かったのでは?
金髪は劣勢遺伝なので、時代が経てば経つほど減る
のだと思う、特に移民の増加と混血化著しい欧米
では、このまま放っておけば1000年程で金髪などは
殆どいなくなるのではないかと言われている。
88名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 22:54
>>86
MY亜型とCY亜型が入れ替わっているようだぞ。
このHP大丈夫か?
89名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 23:06
>>87
金髪こそ彼らの魂でありアイデンティティな訳だから、
そうなる前に白人文明の全知能をかけて残そうするだろう(w
そうすると、やはりヒトラーは正しかったってな事になるのかな?
90名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 23:08
>>88
http://www2.hama-med.ac.jp/w1b/uro/abstract/PART1/HCONF/99/KITA.HTM

こっちのページでも、東日本はMY型、西日本はCY型だから入れ替わってはいないと思う。
でもなぜかこっちのページでは分布図がリンク切れ。
91名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 23:22
誰もウィルスの事なんか聞いてないんだけど。
遺伝子の事を聞いてたんだけど?
92名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 23:24
>>91
チョンノジョウホウソウサ
93名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/11(土) 01:18
>>88
分布図については小さくてよく判らんが、
MY=縄文とCY=弥生の記述が入れ替わってる。
西日本=弥生=CY これが正解だと思うけどどうかな?
94:2001/08/11(土) 01:23
>>90の間違い
9560:2001/08/11(土) 05:46
>>69
新モンゴロイドの寒冷適応について、いろいろな疑問があります。

まず、縄文人のルーツが氷河期にマンモス等を追って拡散したとすると
その当時から、充分な防寒技術が存在していたと思われます。
つまり、防寒のできる顔の寒冷対応は納得できるのですが、
手足が短くなって胴が伸びたといわれる寒冷対応は、どうも
違うような気がしてならないのです。(実際、白人は手足がながいまま)
私の妄想では、比較的温暖な気候の中(例えばモンゴル高原あたり)で、
採集中心で防寒技術を持たず、裸のままで寒冷対応をした、
孤立した集団があったのではないかと思うわけです。
(彼らは防寒技術を持つ前に、中央アジアの人々と別れた)
いかがでしょう。
※その当時の気候とか、人間は裸でどの位の気候まで生きられるか
とか、わからない事ばっかりですが・・・
9660:2001/08/11(土) 05:52
訂正
×防寒のできる顔 → ○防寒のできない顔
97名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/11(土) 07:11
>>53の説の補足をさせてもらいます。
JCVの考察から南北アメリカ大陸の原住民にヨーロッパ型はいないとしている。
ということは白人系の痕跡(ヨーロッパ型)を持つアイヌはアメリカには渡って
いないことになる。
またアメリカ原住民のJCVが日本東北地方に多く見られるMY亜型であり、
非常によく似た縄文土器が見出せることからして、縄文人の末裔であることは
疑う余地は少ない。
ウィルム氷河期後半に、まだ北方系コーカソイド(白人)が来る前に
(さすがに氷河期のシベリア移動は困難であったろう)
先住縄文人の山岳系(寒いのが好きなひと)が陸続きのベーリング海峡を渡ったに違いない。
(太平洋岸は暖流のせいで比較的移動は簡単だったと思われる)
縄文期は13,000年前までといわれているが、そのころは氷河期であり東シナ海、黄海、
渤海湾あたりは陸地であったといわれている。
きっとこのあたりや瀬戸内海(今は海底)で縄文文化が花開いていたんではないか。
必然的にその証拠は見つけ難いのであるが100%否定できるものでもなかろう。
(大陸や済州島で縄文土器が出てるらしいし、宮古の海底遺跡もあることだし)

現在のアイヌの白人的風貌は氷河期が終わって進入してきた北方系コーカソイドの
血によるものだろう。

では先住縄文人は何者か?
北京原人(69万年前)、周口店洞人(18,000年前)の末裔?
そしたら弥生人は?
原人系とコーカソイドの混血がモンゴルあたりで始まり、
特異な形質(目が細くのっぺりした顏)が偶然に生じて発展した。
そして20,000年ほど遅れて日本列島に到着した。
98スネ―カー教徒:2001/08/11(土) 14:10
私も人種として考えると蝦夷(エミシ)=アイヌ+朝廷に属さない日本人だ
と思います。東北ではどちらが多かったかとなるとわかりません。捕虜になっ
た、あるいは降伏した蝦夷を俘囚、夷俘といい、内国に送られていきました。
この俘囚の外見について
 http://www.st.rim.or.jp/~success/kida_emisi023.html
のサイトに興味深い記述があります:
比羅夫遠征の結果として蝦夷が多く服属した。この斉明天皇の御代に、坂
合部連石布(いしわき)という人が遣唐使になって唐に行き、蝦夷仁二人を
同行して、これを唐の天子に示した。このことは唐の歴史にもちゃんと書いて
ある。蝦夷の国には海島中にあって、その国の人は大変髭が長い。長さ四尺と
あります。非常に弓を射ることが上手で、四十間のかなたに人を立たせ、頭に
瓢箪を載せて、これを射るに過ることがないとある。
この時の遣唐使坂合部連石布の随行者に、壱岐連博徳(はかとこ)という人が
あった。その人の日記に、この時の様子が詳しく書いてある。「唐の天子問ひ
て曰く、此等の蝦夷の国は何方にありや。使人謹みて答ふ。国は東北にあり。
天子問ひて曰く、蝦夷は幾種ありや。使人答へて曰く。類に三種あり、遠きを
都加留(つがる)と名づけ、次は麁蝦夷(あらえみし)、近きは熟蝦夷(にぎ
えみし)。今この熟蝦夷の夷毎本国の朝に入貢す」(斉明紀五年七月条)
この唐に連れて行かれたこの2人は蝦夷を代表していたはずです。それは外
見的にも典型的な蝦夷が連れていかれたと思います。ということは朝廷に
属さない日本人の中にはアイヌに似ていた人々も多かったのはないでしょ
うか。また扶桑略記という平安末期の歴史書には「出羽ならびに渡島の蝦
夷」という記述もあります。
http://www.city.noshiro.akita.jp/shishi/3(2)1-1.html
これを考えると当時の中央の認識は蝦夷を外見で分けずひとくくりにしている感じがします。
99結論:2001/08/18(土) 22:24
結局アメリカ大陸一番乗りは縄文人ということでいいのかな。
現在言われてるアイヌはその時点ではまだ成立してなかったのよね〜。
ということは、
ポリネシア、ミクロネシアを含めて環太平洋は縄文国家だったということね。
100100げっと:01/08/29 03:40 ID:iYlHhNMw
です
101名無しさん@お腹いっぱい。:01/08/30 23:18 ID:ymfpTmM2
>99
しかしそうすると縄文人は
インディオみたいにスクワットな体型で
首が短く顔がでかかったということになるな。
102名無しさん@お腹いっぱい。 :01/08/31 03:02 ID:9ZCwFdkI
>>76
>もし、弥生人が縄文人を西から東へ追いやった
>のなら、北海道でなくて関東や東北にもっとまとまった縄文人の
>末裔の集落が残されていなければオカシイし、もっと日常的にその
>末裔と思しき人々を頻繁に見かけなければオカシイと思うんです
>よね。しかし、それも無い。

話を戻してスマソ。
縄文人が一体どのような風貌の人々だったか想像出来ないが、
一関東出身者として、どうしても聞いてみたい事がある。
それは、関東や東北にいる瞳が薄茶〜緑の人達について。
自分も含め、自分の生まれ育った地域にはこういう人が沢山いる。
しかし、関西や四国などに出張で行くと、自分の地元にいたような
顔立ちはほとんど見かけない。
あと、東北でも、日本海からも太平洋からも遠い陸の孤島みたいな
所出身の女の子は何故か毛深い。

縄文人との関係は不明だが、東日本はやはりエミシの血を引いている
人々は、意外と多いような気がするのだが。
103名無しさん@お腹いっぱい。:01/08/31 03:06 ID:7Mq9NJds
管直人はエミシっぽい。どこ出身かは知らないけど。
104名無しさん@お腹いっぱい。:01/08/31 07:02 ID:z2.wvQto
四国西南部は色白く、彫りがふかく、毛が濃いよ。他の地域とくらべると。
105名無しさん@お腹いっぱい。:01/08/31 22:45 ID:J4Q9tdhw
>>104
高知県?
106名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/01 01:49 ID:6lnOyx0o
宇和島から足摺岬にかけて。

>>95
アイヌはたしか、胴体に対し腕が長いのでは。
107名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/01 02:06 ID:Roo4F/go
>>106
その辺りは、位置的にどうしても九州との関係が気になるね。
108名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/04 21:20 ID:Tzu6brlo
AINUとINNUは関係ありそうな名前だが
どうなんでしょうか。
109名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/04 22:33 ID:MqGB1THY
アムロ・レイって何系?
110名無しさん@お腹いっぱい。
 あげ