1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
札幌は朝鮮語で炭火の意味であるスップルが語源。
船もない時代に、古代朝鮮人が沿海州やサハリンを経由して北海道に渡った。
そして、豊富な木材を背景に炭火を作ったところを、炭火を意味するスップルと呼ばれ、のちにサッポロとなった。
ちなみに、野幌や藻岩山の原始林は、炭火を作るのに平地の森林を切り倒した跡の成れの果てである。
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/12(月) 17:44:56.41 ID:OkTRvfXt
>>1 草野マサムネ「福岡と韓国は似ている。九州人には九州に流れてきた韓国人の血が入っている」
以前に韓国人と九州人(北部)の遺伝子(DNA)がなんと七十%も一致するという話を聞いてなるほどと思ったこともありました。と語る朴さん
www.kyushu-u.ac.jp/magazine/kyudai-koho/No.28/28_11.html
約2000年余り前の弥生時代になると、そうした状況が一変します。
それまでの日本列島では見られなかった、長身で、
しかもひどく面長な、のっぺりとしたかおつきの人骨が、累々と出土するようになるのです。
他でもない、この北部九州においてです。
www.city.chikushino.fukuoka.jp/furusato/sanpo51.htm
渡来系の人々は爆発的に人口を増加させる事によって、
あっという間に縄文系の人々の人口を追い越し、福岡周辺の平野を埋め尽くしていったのだ。
ttp://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/jumyou.html ◆二重瞼の出現頻度(「日本人の起源を探る」より)
アイヌ96.8%
奄美諸島84.0%
北海道73.2%
新潟70.4%
三重67.5%
京都66.9%
山形65.8%
奈良58.1%
朝鮮南部42.1%
埼玉県の八高線沿線には、
高麗川(こまがわ)、唐川(からがわ)
西武秩父線の高麗(こま)
などがある。
コマ関係なら、日本全国にあるけどね。
都内だけでも駒場、駒沢、駒形、駒込、狛江など、
北海道にも駒場(函館市)、真駒内、苫小牧などがあるよ。
猪飼野
クッタラ湖=百済
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/24(土) 23:06:13.05 ID:OKV+7TLZ
>>3>>4 各地のコマ地名は、古代国名「高句麗」の日本語読みだから、
朝鮮語由来ではないぞ。
朝鮮語読みなら「コクリョ」だ。小暮(コグレ)という地名が
該当するが、関東地方の何処にあったかな?
猪飼野
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/25(日) 00:06:20.65 ID:XYgkx0gn
大田区=大田(テジョン)
大田区にある田園調布もテジョンという音に似せて名付けられた。
猪飼野
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/27(火) 21:33:26.59 ID:u9mcyyUp
韓沢
kanzawa
karazawa
猪飼野
百済
白木→新羅
北海「道」
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/05(土) 17:30:44.59 ID:56yPktvU
>>7 群馬県前橋市富士見町小暮、
群馬県勢多郡富士見村小暮、
群馬県高崎市吉井町小暮
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/05(土) 21:49:26.80 ID:hDTBbTty
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/05(土) 22:25:35.20 ID:VG8GKdv9
尿潟
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/05(土) 22:50:39.41 ID:XRul2X0S
キム沢wwwwwww
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/05(土) 23:02:11.37 ID:EkH+jQZ+
知床にウトロがあるなw
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/06(日) 00:42:06.65 ID:2GMHEqz1
京都盆地は五世紀に朝鮮半島からの渡来まではいぜんとした氾濫原であった。
渡来人最初の村は東山の麓に祇園社を祭る高句麗の人々の八坂村、衣笠山の麓に北野社を祭る秦氏の北野村、さらに南東の方には同じく秦氏の深草村、西の方には太秦村という村々であった。
そしてこの村々の人々は盆地の開発に助け合った。開発は治水を前提としなければならぬ。葛野川に大堰をつくって水量を調節し堤防を築いて水田を造成した。
平安楽土はまさしく渡来人たちが長い間の苦闘の末につくり上げたものであった。
(林屋辰三郎・石川県出身)
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/06(日) 15:06:42.42 ID:K3vT+xd9
韓沢はガチやな
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/08(火) 18:39:03.09 ID:N2sswilH
道府県別朝鮮人人口(1940年) 典拠:内務省警保局『社会運動の状況』、総理府統計局『国勢調査報告』
01 大阪312,269
02 福岡116,864
03 兵庫115,154
04 東京87,497
05 愛知77,951
06 山口72,700
07 京都67,698
08 北海道38,273
09 広島38,221
10 神奈川24,842
11 岐阜20,093
12 長崎18,144
13 静岡15,726
14 岡山11,887
15 福井11,725
16 三重11,660
17 和歌山11,298
石川5,169
千葉4,886
埼玉4,884
新潟4,365
>>13 神奈川(Kanagawa)に対しても同じ事思うのかなコイツは?
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/09(水) 06:48:18.48 ID:Y1mVjL+i
金沢の場合は芸風がモロに被るから、今更誰も驚かんやろ
畿内 京都 東京は完全に韓国の京畿道のパクリだな
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/12(土) 16:07:34.68 ID:s5u8bd8E
韓沢の白山なんかもそうかもしれんね
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/12(土) 23:13:48.42 ID:EN/CdRRi
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/20(日) 11:25:14.83 ID:XOdD4Hgy
>>1 札幌の地名は朝鮮語由来じゃなくて、アイヌ語の 「サッ・ポロ」sat-poro(乾いた大きい)であるとする説が有力だ。
>船もない時代に、古代朝鮮人が沿海州やサハリンを経由して北海道に渡った。
朝鮮人は北海道なんかに来ちゃいない。
古代に沿海州に居た民族(ギリヤーク人かツングース系)の一部がサハリン経由で、北海道に来てアイヌと混血した。
残った一部は逆回りして朝鮮半島に入り込み朝鮮人に混じった。
だから朝鮮語とアイヌ語が少し似てる。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/21(月) 18:22:55.05 ID:tzOCpRL/
クッタラ湖=百済
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/26(土) 20:00:23.54 ID:MyK0/jth
豊岡市出石町安良、豊岡市加陽は、それぞれ弁韓安羅、弁韓伽耶の地からの
移住者が来住した地か?
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/26(土) 23:05:10.28 ID:bYSX+Nvz
群馬県の多野郡=多胡郡+緑野郡
多胡は古碑で有名。新しく多胡郡を造り、それを「羊」に支配させたという内容
が書かれている。
「多胡」とは、多くの胡人の事で、要するに渡来系の人々が多く住んでいる
場所という説が有力だ。
「羊」とはつまり、渡来人の一族名ではないかと言われている。
周囲には、「甘楽」という地名もあり、これは「かんら」と読む。
楽と書いて「RA」と読むのは朝鮮語の特徴の語末の子音を発音しない
事と合う。ハングルで表記すると「RAK」となるが、Kは読まれない、
という事である。
その他、「榛名(はるな)山」もハンナ=ハルラから来ていると思われる。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/27(日) 06:45:22.86 ID:llSNzzoe
このスレってネタなのか本気でウリナラファンタジーを言ってんのか分からないな。
良く韓を朝鮮に関連付けてたりするけど元々韓は朝鮮オリジナルじゃない。
あと大田も時系列的にあり得ない。
あと言葉遊びレベルも多すぎ。
つか朝鮮語って言うけど朝鮮語だって古代とは発音変わってて現代の朝鮮語発音に近いから
当時もそうだったとは言えないんじゃないの?
西には名山・聖山として知られた鶏龍山がそびえる。
古来より儒城(ユソン)温泉が知られていたが大きな町はなく、公州所属の農村地帯に過ぎなかった。
ゆえにこの地域を「大きな田畑」を意味する固有語でハンバッ(한밭、Hanbat)と曖昧に指し示していた。
日本統治下の自治体統廃合の際に「大田」と漢字が当てられ、さらに鉄道京釜線・湖南線などが開通して交通の要衝となり急速に発展、
大きな都市となった。
韓 (西周) - 西周時代に存在した都市国家。
韓 (戦国) - 戦国時代に存在した国で、戦国七雄の一国。
歴史的地方名。戦国の韓の故地、現在の河南省北部、山西省南部、陝西省東部のそれぞれ一部にあたる。
古来挑戦の隷属下に置かれていた日本に朝鮮系地名が付くのはおかしな事では無い
大抵その土地を支配した渡来人が下さった地名で有ることは自明の理である
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/28(月) 20:47:53.95 ID:2+FyLxk3
札幌にある月寒って地名。
もともとはツキサップとよませていた。
北海道はタングン時代から永らく朝鮮人が住み着いていたのはご存知かと思うが、
月寒はもともと쯔키삽と表記されて、チュキサップと呼ばれていた。
ただ月寒という地名を指すならチュキサップで済むが、
月寒川を指す場合、쯔키삽 강(강は江の朝鮮読み)となり、
語中の삽はサップじゃなくてサムになり、チュキサムガンとなる。
で、明治維新後には音訳化されて、日本語なまりのツキサップと呼ばれ、
漢字はツキサップに近い月寒と充てるようになるが、
戦後に漢字の読み書きの平易化に伴い、朝鮮語に近いツキサップではなく、
漢字由来のツキサムと呼ばれるようになり、今日に至る。
「韓」について
左側の偏は、太陽が昇る様子を表し、KAN(朝鮮ではHAN)の音
もこれから借りている。
右側の旁「韋」は、中央の口は村を表し、その上下は足型を表し、
全体で、村の廻りをぐるぐると廻って警護している様子を表している。
尚、「韋」の音「WI」が「委」と同音であることにより、その意味
するところの「ぐんにゃりした様」から、なめし革の意味にも使用され
るようになった。
要するに、「韓」という字は、旭日と倭人の意味を含有し、KAN
またはHANと発音する漢字なのである。
これは、どういう事か。
これについては、古代の漢民族の立場に立って、半島南部に何故この字を
当てたかを考えれば、自ずと答えは出てくる。
そこ(半島南部)に住んでいる人たちに古代中国人は問うたろう。
おまいらは、何者じゃと。
曰く、「俺たちは、HAN(ハーン)を王に頂いている者たちじゃ」と。
但し、その中国人の見た感じでは、文身をして魚介を食って、どう見ても
倭人でしかない。王は別に頂いている様だが、人民の奴らは殆どが倭人ばかり。
そこで、本国への報告をするに当たって、半島南部を表すにふさわしい漢字として
「韓」を当てたのである。
以上、残念ながら古代国家の「韓」とは全く関係ない。
横浜市鶴見区
奈良市
いや、サッポロもオシャマンベもウルップもアイヌ語だろバカが