縄文系関西人のルーツを探るスレ2

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87名無しさん@お腹いっぱい。
●日本の成立考
http://galapagojp.exblog.jp/15270404/

 何故百済や伽耶は日本列島の倭と連携をとることが多かったのでしょうか?
理由は簡単で韓半島南部に位置したため非支配層がY-DNA「O2b」集団だったからです。
ただし支配層は帯方郡などの中国王朝の出先機関から追い出されてきた漢族です。
高句麗等の新興勢力との抗争に負けた出先機関の「O3」漢族が韓半島を南下し土着の「O2b」を支配し作ったのが百済でしょう。
あくまで漢族支配王国なのです。

 現在北朝鮮の遺伝子調査の報告は全くないため、韓半島北部の様子は皆目わかりません。
しかし、日本列島にはないY-DNA「C3c」が南部(韓国)に13%近くあるということは、
北部にあった高句麗が「C3c」ツングース族支配の王朝で、中国王朝の出先機関にいた漢族が非支配層である可能性は大です。
しかし新羅は百済同様「O3」漢族支配国家で、非支配層も漢族(一部ツングース「C3c」もいたでしょう)でもある王朝ではないかと思います。
高句麗は滅んだ後、支配層のツングースは留まったか北へ逃げ、
非支配層の漢族戦闘部隊の一部は恐らく日本海側から日本列島に逃げ込み関東に定着し後に坂東武士団を形成したと思われます。

 日本列島に逃げてきた「O3」集団は戦闘集団でもあったようです。
旧唐書にあるように九州から日本海沿岸のどこかに「日本」なる上陸拠点を作り、そこを足場に戦力を増強し、
日本列島の中心地と考えられていた畿内を目指し侵略軍を進めたのが後に大和朝廷族となった神武東征軍でしょう。
我が縄文―弥生混成集団は本来戦闘集団ではなかったため、容易く征服されていったようです。
どちらかと言うと手を焼いたのは同じ「O3」で先に韓半島から逃げてきていた同類の戦闘集団でしょう。
要するに侵略軍同士で闘い勝ち抜いたのが大和朝廷族だったと言うことです。あくまでも侵略者です。