101 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/08(日) 06:18:32 ID:HEd0ysg2
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/08(日) 16:59:30 ID:Tf4gi2uH
古代AD701年の大宝律令の制定によって日本の律令制が加速し
中央集権国家として官僚制による地方政治の統治が確立した。
そして朝廷で官僚として政治を司っていたのは半島からの渡来人で
超ばっくり分けると百済系と新羅系の二大勢力。
その二派がその時々の天皇を味方に引き込み、他方を排斥するということを繰り返してきた。
わかりやすいのが平氏・藤氏=百済、源氏・橘氏=新羅。
AD794年の平安遷都にて時の桓武天皇に取り入った百済系氏族が
それまで官僚として表舞台で政治を取り仕切ってきた新羅系氏族の多くを排斥し
政治の表舞台から追放しただけでなく尊卑の位の卑の地位に一部の新羅系氏族を落とした。
そのときの卑の位が現在の被差別部落に繋がっているというのが有力な説。
新羅系氏族は当時の科学芸術神事医学分野において世界トップレベルであったので
そのまま建設土木治水製鉄演芸生物解体などが被差別部落民の主な生業となった。
卑の位に落とされなかった例でわかりやすいのは神事仏事を司る役職
卑の位とせずにそのまま新羅系氏族に引き継がせた。
新羅系氏族で超一大勢力を誇っていたのが秦氏一族で
日本の神社の9割以上の神官宮司は今でも秦氏による世襲である。
八幡神社、稲荷神社、白山神社などすべて秦氏のものであり
現在の皇室に関わる神宮の神官宮司なども秦氏系
学習院などの皇族系教育機関や皇宮警察などの長も秦氏系氏族の世襲が現代まで続いている。
ちなみに仏教を日本に伝来させたのも秦氏で古代は神仏分け隔てがなかった。
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/08(日) 17:00:34 ID:Tf4gi2uH
関西において被差別民の多くが寺社の管理下に置かれていたのはそういう背景があったから
関東では穢多頭の弾左衛門の支配下で各地域ごとに非人頭をおいて被差別民を管理していた。
弾左衛門は秦氏族であり白山神社を信仰していたのもそのせい。
関東では非人頭を長吏と呼ぶが、関西では寺社の首長僧を長吏と呼ぶ。
天台宗や真言宗の総本山の延暦寺、三井寺(園城寺)、高野山金剛峰寺などの首長僧も長吏
長吏の大元は中国の漢代における官吏の呼称で、官位の高い者のことを長吏と呼んだ。
ちなみに秦氏は中国の秦の始皇帝氏族の末裔で
朝鮮半島を経由して倭(日本)に移動してきたという節が有力で
その大元はペルシャ系ユダヤ民族であると言われている。
現在の秦氏は国家という枠から離れ
一族による秘密結社的なネットワークを形成しており
日本の政治経済と被差別部落という尊卑の世界を裏で支配しており
その利権を手中に収めることにより日本社会をコントロールしているという節が有る。
世界経済を裏で操るロスチャイルド家の日本版ということ。
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/09(月) 04:23:10 ID:PhRoeI9h
それはペルシャ系ユダヤ民族ではなくてソグド人のことでしょう。
唐ではソグド人のことを“巻髪高鼻” “紫髯緑眼の胡人”と表現されている。
半島から渡ってきた渡来人の中にはソグド人も含まれていたんじゃないかなって思う。
石(タシュケント)、安(ブハラ)、何(クシャーニヤ)、曹(カブーダン)、康(サマルカンド)、
米(マーイムルグ)、史(キッシュ)などはソグド人の特徴的な姓とされる。
これらの姓が付く人はひょっとしたらソグド人の末裔かも?
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/09(月) 08:06:23 ID:bJ+G9vqX
半島人の形質からして、それはないと思われ。典型的なただのツングース。
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/09(月) 08:15:42 ID:bJ+G9vqX
大体、中国人でも持ち出さない様な蛮地の凡例を興味深げに例に上げる自体。西欧にしても、劣った野蛮人を祭り上げるのはどういうこと。だからアメリカやオーストラリアなんかに島流しにされんだろ、バカすぎて。
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/09(月) 22:00:54 ID:G64vXfDX
秦氏は原始キリスト教・エルサレム教団(イエスの直弟子)の末裔らしい。
何々の末裔なんて後付けでなんとでも言えるしなぁ。
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/11(水) 03:09:45 ID:Npifpn0H
新羅系帰化人の末裔が多く住む地域は美人が無茶苦茶多い。秋田、新潟、出雲、秩父、大津等。
新羅人は今のコリアンとは違い蒙古兵に民族浄化される前だったため美系が無茶苦茶多かった。今の半島はモンゴル顔しかいないが。
新羅→源氏 百済→平、藤氏 となり、百済が恒武天皇に取り入って、源氏【新羅】を排斥、一部の新羅民族を卑の地位に追いやって被差別部落に繋がってるケースが多い。
なので新羅系の部落には美人が多いのはうなづける。
部落ではなくても新羅系の末裔が多く住む地域は美人の産地だ。
新羅美人という言葉もある。
新羅人は特に九州北部や日本海側の北陸、東北、出雲等に渡来してるが、美人の産地とも合っている。
太平洋側には渡来はしていない。
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/11(水) 06:56:49 ID:cCHU0dMN
何度も言うが、朝鮮人に美形や知的な人種は居ないよ。犯罪者、オタクだけ。
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 19:21:45 ID:7Xq5tN4r
たいしたソースもないのに
在日のみなさん、必死の書き込みご苦労さん
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 20:21:34 ID:VRPK//4t
大昔の朝鮮半島は今のようなモンゴロイド丸出しのような顔ばっかでは無かった。
特に新羅はロシアとの交流が盛んでハーフのような美人が多かったと百済の文献にもある。
新羅から渡来した土地、九州、出雲、京都、近江、北陸、秩父 は美人の産地なのは事実。
秋田美人のような長身、色白の美人が多い。
在日の妄想すげえな。 新羅の時代はロシア人は勿論進出してないし、ツングースだらけだろうが。
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 23:56:54 ID:4X9AXKcn
>>1 部落が日本一多い都道府県ってどこなの?
北海道?
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 00:13:57 ID:ggFLTBTy
俺は妄想なんてしてないよ。
ただ俺の地元が美人がやたら多い地域で芸能人クラスがいっぱいいる。
それで他にも美人が多い地域とか調べると、共通してるのが昔に新羅からの渡来人が移住してること。
新羅も調べてみると、当時美人が多くて有名だった。ロシアとも交流あったって事。
部落が一番多いのは福岡です。
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 01:15:48 ID:IWBt8I4U
BとKて仲悪いのか?
>>117 移住っても数千人単位ぐらいじゃないんだ? 117の地元ってどこ?
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 02:32:39 ID:622JZP14
>>117 >新羅も調べてみると、当時美人が多くて有名だった。ロシアとも交流あったって事。
モスクワ公国(ロシア帝国)がウラル山脈超えて
シベリアに入ったのが1530年。エニセイ川流域に入植したのが1619年。
カムチャッカ半島を支配下に置いたのが1725年。
交易によって白人の血が新羅に混ざったと言うのは完全なる妄想。時代が違い過ぎる。
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 06:35:39 ID:5SyrlSpl
北も南も同じだよ
美女軍団見ればわかるが、顔がデカイ
>>114 京都に美人が多いとかネタか?w
羊水姉妹予備軍みたいなのしかいねぇぞ
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 12:20:28 ID:S1BC68/7
昔からホルモンとか肉食で濃い顔になるんだろ。
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 15:30:15 ID:ggFLTBTy
京都出身
杉本あや、檀れい、水川あさみ、チュート徳井、西村和彦、川崎まよ、鈴木えみ等
美形が多いのは確かだ。
古都であり、大昔からいろんな権利者がいたわけだから美人の嫁をもらうのは当たり前だと思うが。
民主党の京都出身の前原大臣なんかとくに美形で公家顔。生まれもったオーラが違う。
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 15:34:41 ID:ggFLTBTy
>>120 もっと勉強しろ
「ローマ文化国‐新羅」2005から要約
『いわゆる古新羅とは、
A.D4〜6世紀以前の数世紀の王たちの時代。
この国は他の半島の国とは違い中国文化とはつながりのない国家だった。』
その特徴は。
騎馬民族である
スキタイの流れをくむ「積石木廓墳」クルガンである。
百済・高句麗にはない、ローマングラスが大量に出土する。
大量の白樺樹皮製品に施された意匠(サカ族のものか)
サカ系樹木冠(王冠)を用いた。
と、簡単に示したが、これは、草原の道を通過して、
北魏(鮮卑系)との関係を深めながら移動していた北匈奴たち(ロシア南部にも広がったサカ族も混じった民族)によるもかもしれない。
この中には、サカ系とも思われるソグド人が、
交易に絶大な影響力をもっていたので間違いないだろう。
この、古新羅(伽耶も含む)系の移民が、奈良県橿原にある新沢千塚古墳群の住人たちだ。
結構,新羅では、その南ロシアから中央アジア出身の貿易商たちが住んでいて、混血も行われたという。
> 新羅美人が、その系統なら,
南九州に入った新羅系の人間に混血児がいた可能性がある。
すると、南九州にパルテア式古墳があるのもうなづける。
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 15:58:07 ID:6F7TZH4I
>>125 奈良時代に渤海からやってきた渤海使の史都蒙もソグド人らしいね。
渤海にもいっぱいいたのかなソグド人。
渤海も日本と繋がりの深い国だからそこからもソグド人が渡来してるかも知れないね。
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 16:13:26 ID:ggFLTBTy
古代新羅→南ロシアに住むソクド人が多くいた→ロシア系混血美人が多かった
古代日本に渡来(九州、出雲、日本海側北陸、近江、秩父)→渡来した土地→美人の産地
渡来した新羅→のちの平家
平家→源氏の力によりのちに没落→全国的に僻地においやられる→部落となった平家も多い
新羅→平家→部落
→部落美人説
渡来人が渡来した日本海側と渡来が無かった太平洋側では明らかに日本海側の方が美人が多い。
三大ブスと言われる土地もすべて太平洋側にある。
サカ族はスィル川以東、
フェルガナ地方から現在のカザフスタンにかけての草原地帯に居住しており、
「とんがり帽子のサカ」などいくつかの集団に分かれていたことが知られる。
一部はアケメネス朝に服属し、ペルシア戦争にも参加した。
中国史料には後漢の時代にあらわれ、塞(そく)という名前で記録されている。
なお、別名をシャカといい、漢字では釈と書くが、釈迦を出したインド・ネパールの釈迦族(シャーキャ)との関係はない
紀元前2世紀頃、その一派が中央アジアから南下してバクトリアを滅ぼし、
さらに南下したものは現在のアフガニスタンからインド亜大陸に進出、
パキスタンのタクシラ、北西インドのマールワ、カチャワール、グジャラートなどに小国を建国した。
これらのインドのサカ族は「インド・スキタイ族」と呼ばれる。
彼らはたびたびパルティアに侵入したが、1世紀前後にクシャーナ朝に征服された。
その後も一部は、西クシャトラパ国としてグジャラートで勢力を保つが、
4世紀末から5世紀初め頃にグプタ朝のチャンドラグプタ2世に滅ぼされた。
中央アジアでも、遊牧民の言語的なテュルク化が進み、
サカと呼ばれたイラン系の言語を話す遊牧民は消滅していった。
バクトリアの滅亡後にトハラ地方に居住していた人々がサカの末裔であるという説がある。
塞が登場したのは中国史料の『漢書』西域伝においてであり、それまでの『史記』には一切登場しない。
以下は『漢書』西域伝の?賓国の条と烏孫国の条である。
?賓国の条「昔匈奴は大月氏を破り、大月氏は西の大夏で君主となり、塞王は南の?賓で君主となった。
塞種は分散し、数国となった。疏勒より西北では、休循・捐毒の属(やから)となり、皆故に塞種なり。」
烏孫国の条「本(もと)は塞の地なり、大月氏は西の塞王を破って敗走させ、塞王は南の縣度(けんど)を越え、
大月氏はその地に住み着いた。後に烏孫の昆莫が大月氏を撃破すると、大月氏は西に移って大夏を臣従させ、
烏孫の昆莫はこれに住み着き、故に烏孫の民には塞種・大月氏種がいると云う。」
つまり、イシク湖周辺の地域(現在のキルギス)にいた塞民族は、匈奴(老上単于)の攻撃によって逃れてきた大月氏により追い出され、
縣度(パミール高原・ヒンドゥークシュ山脈)を越えてガンダーラ地方に?賓国を建てた。
また、分かれてパミール山中に休循国・捐毒国を建てた者や、残って烏孫国に属した者もあったという。
「塞」の発音について、『漢書』張騫伝の顔師古の注では、「即ち仏経の謂う所の釈種とは、“塞”・“釈”の声(発音)が近く、
本は一姓と聞く。」とあり、
唐の顔師古は塞族と釈迦(シャーキャ)族がもとは同じ民族であったとしている。
しかし、紀元前6 - 5世紀に滅んだとされるシャーキャ族と紀元前2世紀に南下した塞族が同一であることは考えにくい。
北魏の太延三年(437年)、散騎侍郎の董?・高明らは太武帝の命を受けて西域に向かい、?善はじめ9カ国を招撫し、烏孫国を経て、董?は破洛那(フェルガナ)に、高明は者舌(カザフ)に至った。
烏孫はたびたび柔然(モンゴル系)に侵され、西の葱嶺山中に移っていた。
5世紀から6世紀にかけて烏孫族は姿を消した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E5%8C%97%E9%AD%8F%EF%BD%A5%E5%AE%8B.PNG
コーカソイド特有遺伝子が出てこない時点でゾグド人との混血が多かったとか神秘性ないな。
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 20:59:09 ID:H8x1hUhX
>>124 杉本綾 曾祖父がドイツ人
檀れい 兵庫出身
鈴木えみ 元中国人
水川あさみは大阪出身だった気がするが違ったかな?
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 21:27:56 ID:dH320nEG
肉食は濃くなると言うよりも、太る。魚介類も同じ。真っ黒くなる。歴史的に言うと、エラの張ったイベリア人がそう。高品質なのはイタリアのハーブ系やカエサルの食べたチーズ料理、北欧の白身魚など。血が抜けて立体的なら顔が際立って西洋人になる。
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 21:35:29 ID:dH320nEG
綺麗で流暢なラテン語やスウェーデン語が冷静に話せる様になる。
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 21:56:51 ID:dH320nEG
蝦夷はイギリスだろう。北欧人、ケルト人、ローマ人の融合した明るい金髪に冷静で不思議な感じの穏やかな碧眼。野蛮人が抜けると、そこに写るのは白人。上品な女性だと、本物の雰囲気でわかるんだろうね。朝鮮人を見抜き、侵略者をはね、人類に寛容になれる。
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 22:30:47 ID:yeubTJw0
2chだからといって、みんな妄想激しすぎ
>>130 水川あさみは確か大阪
つうか
>>124みたいに綺麗どころばかり集めれば見栄えは良くなるのは当たり前
京都だって人口はそれなりに多いわけだし
島田紳助や千原兄弟みたいなのも京都なんだぞ
安田美沙子なんかは島田紳助とか千原と顔のタイプが近い
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 00:18:50 ID:aTaCgyp2
水川あさみは京都ですがな。
あと京都の人口は茨城県と同じくらい200万人くらいしかいないが、茨城より圧倒的に美形芸能人が多い。
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 00:20:29 ID:aTaCgyp2
あっ安田美沙子も京都だったな。
島田伸介は親が岐阜出身。千原兄弟は大阪。
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 00:33:25 ID:V1R9u66X
千原兄弟は京都
木村祐一も京都
島田紳助も京都
倖田來未もmisonoも京都
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 00:36:35 ID:aTaCgyp2
圧倒的に美人が多いのは兵庫県。
滝川クリステル、相武紗季、常盤貴子、北川景子、浦浜ありさ、長谷川潤、小林麻耶、檀れい、松下奈緒、藤原紀香、戸田恵梨香
上野樹里、松浦亜弥等。
こんだけ美人芸能人が多くてしかも全員売れてる人物排出してるのって他の県でないよね。
秋田でさえ佐々木恵、加藤夏樹しかいないし。
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 00:42:34 ID:V1R9u66X
それらの人が全員同○と言いたいわけ?
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 06:07:18 ID:hdjsvEf8
>>139 滝川クリステルはハーフだし、小林麻耶は新潟出身だお
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 06:35:55 ID:UIBovwAD
縄文系はそうそういない
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 12:44:33 ID:Pj2D8UAE
濃い顔=縄文人じゃないだろ
ペルシャ帰化人とかもいたようだし
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 15:11:29 ID:XgTMPTZi
>>139 長谷川潤はハーフだしハワイ出身
紀香の両親は和歌山出身
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 17:28:20 ID:bGXICRaw
幻の民縄文人
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 18:44:41 ID:ryT6hT1W
>>138 島田紳助の父親は鳥取県人、母親は岐阜県人
もともと京都というは色んな所からの寄せ集めで成り立ってる。
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 18:53:49 ID:ryT6hT1W
ついでに言うと
沢田研二も京都市だけど両親は鳥取県人。
そういうのは大都市圏ではよくある事だし、美人、イケメンで挙げられてるのも調べないと公平じゃないな。
知名度低いが演歌歌手の○田あつこなんかもいい例か。
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/16(月) 06:23:43 ID:VyUgZab0
>>146 今の東京とか見れば分かるけど、首都や出島などの租界っていろんな国の
渡来人が来るから。
>>143 濃い顔は南越人系かもしれない。
古タイ・ベトナム系。
インド大陸やインドネシアからのイラン・アーリア人種、ドラヴィダ・オーストロネシア人種
が住んでいたと思われ、そこからの渡来系が薩摩や沖縄、アイヌの濃い系統の顔で
それは弥生人などが入る前の古代西日本人がそうであった可能性がある。
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/16(月) 10:21:59 ID:5VK0om4l
不細工ほど他県出身(それか在日)率が高い
首都圏なんかとは違い洗練された古の都に不似合いな不細工がいるのは不自然
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/16(月) 22:56:26 ID:3Q9SdHL5
とりあえず関東以北より西日本のが美人が多いのは分かる。
(MAY誌 2007 / 概80,000人集計 10〜20代男性 / 『抱きたい女の子』)
1:綾瀬はるか(広島県)
2:蒼井優(福岡県)
3:蛯原友里(宮崎県)
4:新垣結衣(沖縄県)
5:仲間由紀恵(沖縄県)
6:中島美嘉(鹿児島県)
7:浅尾美和(三重県)
8:長澤まさみ(静岡県)
9:及川奈央(広島県)
10:相武紗季(兵庫県)
11:鈴木えみ(京都府)
12:浜崎あゆみ(福岡県)
13:山田優(沖縄県)
14:榮倉奈々(鹿児島県)
15:ギャル曽根(京都府)
16:栗山千明(茨城県)
17:若槻千夏(埼玉県)
18:伴都美子(熊本県)
19:眞鍋かをり(愛媛県)
20:夏川純(広島県)
21:竹下玲奈(鹿児島県)
22:倖田來未(京都府)
23:熊田曜子(岐阜県)
24:加藤あい(愛知県)
25:吉澤ひとみ(埼玉県)
26:広末涼子(高知県)
27:戸田恵梨香(兵庫県)
28:田中麗奈(福岡県)
29:松室麻衣(大分県)
30:SHIHO(滋賀県)
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/16(月) 23:49:40 ID:NHpoEE3t
錦戸ってほり深くて外国人みたいな顔だなー
って思ったら両親は九州出身だって
九州って外国人の血入ってる人多いの?
九州人の自分はただ顔が彫りが深く濃いだけでは外国人もしくはその混血だと思わない。
色素の濃い薄い、その他を見る。
沖縄・九州南部はただ単に顔が濃いだけ。
北海道・東北部は顔の骨格からして違う。
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/17(火) 16:16:59 ID:Uv0QiO21
とチョン顔が脳内妄想。
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/17(火) 17:00:54 ID:u7HWrwqm
沖縄は別として、
九州で独自の顔の濃さを持つのは鹿児島の中でも一部の島の人間だけ
錦戸のどこが外国人みたいなんだ?蛮人顔だろ。
率直にいうと文明を持たなそうで野蛮な典型的な島民顔
外国人もこういう人間を見て日本人をイエローモンキー呼ばわりしてるんだと思う
平井堅とかならまだ外国っぽいのは分かる
欧州のサッカー選手の中に紛れてても違和感なさそうだし
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/17(火) 17:38:37 ID:oEaxMkFi
九州が日本で一番古代から渡来人が移り住んだ土地。
でも何故か朝鮮顔とは似つかない濃い顔が多い。
それは古代の朝鮮半島は新羅、百済なんかは濃い顔だったから。
今の朝鮮半島はモンゴルから移り住んだ人々
>>157 島津支配系が薄面。
薩摩も一重新モンゴロイド化も時間の問題だろ。
>>144 はせじゅんは母方の祖父母が兵庫だし、はせじゅん自身が母親にそっくりだよ
当たり前だけど多少アメリカ人の父の濃さを受け継いでいるけどね
骨格は母親と同じ
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 16:32:11 ID:sJ2ZoCce
ペルシャ人の渡来に関しては、上に述べたように天平8年(736)に遣唐使に従ってきた李密翳(りみつえい)が最初のペルシア人とされている。
その後、鑑真(がんじん)に付き添って来日し、鑑真の死後その遺志を引き継いで唐招提寺金堂を建立した安如宝( あんじょほう:不明〜815年)もペルシャ人だったとされている。
だが、松本氏によれば、それ以前にペルシャ人の渡来を記した記述が存在する。例えば、斉明天皇3年(657)に覩貨邏(とから)国の男2人、女4人が筑紫に漂着したので、
朝廷が召したという記録や、斉明天皇5年(659)に吐火羅(とから)人が妻の舎衛婦人とともに来たとする記録が『日本書紀』にある。
覩貨邏や吐火羅と表記されたトカラは、現在のタイ国に擬する説があるが、松本氏は中央アジアの西トルキスタン、現在のアフガニスタンにあったとするのが妥当であろうとされる。
さらに、推古20年(612)、百済から帰化したした人間が顔と体に斑白(白子のこと)があり、白癩病(はくらいびょう)と誤解され絶海の孤島に流そうとした。
しかし、自分は山岳の形をつくる才能があるというので、作らしてみると、須弥山と呉橋(中国風の石橋)を見事に作ったという。
おそらく中国から百済に来ていたペルシャ系の人間で、百済から我が国に渡来したものと思われる。
http://www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/2006_05_02.htm >覩貨邏(とから)国の男2人、女4人が筑紫に漂着
>斉明天皇5年(659)に吐火羅(とから)人が妻の舎衛婦人とともに来たとする記録が『日本書紀』にある。
筑紫は今の福岡市と久留米市などの旧筑前筑後国、斉明天皇の時代の都は福岡の朝倉宮。
だから福岡はイケメン多いんだな。
http://www.youtube.com/watch?v=HoKzxvNJUG8 http://www.youtube.com/watch?v=uKJbMVgRpwo(6:51〜の学生時代の写真は日本人っぽく無い)
こう言った感じのイケメンや親は純粋な日本人なのに白人みたいな人が結構居る。
特に江戸時代以前から代々福岡県に住んでる人に限って。
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 16:42:14 ID:sJ2ZoCce
>>159 島津氏は、秦の始皇帝の末裔と称する渡来人の秦氏の子孫・惟宗氏の流れを汲む惟宗基言の子の惟宗広言が、
主筋である藤原摂関家筆頭の近衛家の日向国島津荘(現宮崎県都城市)の荘官(下司)として九州に下り、
その子の惟宗忠久が、源頼朝から同地の地頭に任じられ島津を称したのがはじまりとされ、
のちに薩摩国出水平野に城を築き、拠点を移している。
島津氏の先祖惟宗氏は元々讃岐国香川郡が本領。
よって鹿児島でも肝属氏など元々の土着系(隼人)の顔と島津氏(渡来系)の薄い顔の2種類が居る。
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 17:31:22 ID:DwrgbizC
>>162 そんなの日本中どこも同じだろ
縄文と渡来の二通りの顔が存在するのは。
しかし九州にはそれら以外にも島津氏ら九州諸大名らにより朝鮮出兵の際に朝鮮人陶工らが九州へ連れてこられた歴史がある。
熊本城も加藤清正が朝鮮労働者らに築かせたもの。
薩摩焼も朝鮮陶工が当時生計をたてるためにはじめたもの。
九州各地にそれら朝鮮陶工らを住まわせた集落も多数存在するし鹿児島には幕末まで朝鮮語オンリーしか話されてなかった集落も存在する。
ちなみに太平洋戦争のときに外務大臣を務めた東郷茂徳は朝鮮出兵により連れてこられた鹿児島の朝鮮陶工の子孫。
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 23:10:42 ID:pIn1FFue
滝川クリステルといい、長谷川潤といい兵庫×外国は超美人だな。
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/06(日) 14:01:48 ID:N6b3VcgY
彼らの美しさの共通点は、ほお骨が高くて鼻筋が通って、目が二重。
男は体格がよく、脚も長い。短足の日本人とは似ても似つかない外見だ。
タタール人(ペルシャ人)と似ていると思う。
中央アジアがルーツだろうか。
デリケートな問題をはらんでいるので人類学でDNA鑑定するのは難しいだろうな。
奈良に現存する伎楽面がヒントになるような。
滝川クリステルはバタ臭い西洋人顔(好きな人には悪いが)。
部落の美形は一線を画する美しさだ。
タタール人ってチュルク系にスラブが混じった民族じゃないの??
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 13:27:48 ID:Wq+7e4Re
161
タイ人そっくりだねw
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 17:15:11 ID:DAGUMSvO
バシキール人
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/12(土) 23:13:57 ID:lC8GPdD5
玉山鉄二も京都だな。両親は知らんが。
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/12(土) 23:58:11 ID:EvJ7XcFF
韓国紙が在日だと主張してたね
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/13(日) 10:34:50 ID:iXbeRsOQ
玉鉄は芸能界一手足が短くて頭がデカイ
>>153 言われてみれば錦戸って九州顔かも、沢村一樹みたいな
井上真央、伊藤英明、酒井彩名、森尾由美とかも両親どちらか九州だったはず
みんな顔はっきりしてるから九州顔うけついでるかも
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/09(土) 05:25:12 ID:LJ8l4nQd
つまりアレダナ?渡来人の子孫と在日と部落が貶し合いをしてるっていうことだな?
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/09(土) 05:47:23 ID:E9poEDZk
>>55 佐々木希は幼少期から目がクリックリの堀の深い顔だろ
>>67 在日に多いなら朝鮮にも多いだろ
嘘つくな在日
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/13(水) 23:43:16 ID:0pbIZqkQ
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/14(木) 16:02:22 ID:s4nWZZl0
部落のエタ女と一発やると大阪市環境局(ゴミ回収車)の部落採用枠で役所
に入ったアホB民ドモに散弾銃で撃たれるから要注意です!
大阪の××地区の解放会館にB民のジジババ集めて某有名演歌歌手を招待したり、
コンサートチケット大量に購入するから、芸能界とエタ社会とは腐れ縁が続いているし
エタのガキどもを芸能プロダクションに強引に入れるから芸能関係のB民
多いしな!
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/14(木) 16:58:58 ID:egbWZ4z/
大阪人が可哀相になるな。
ごみばかり捨てていって。
そんなに悪い箇所ばかりじゃないだろうに。
大阪人は腐るほど非難するのに、
西洋人は一つも咎めない自体、疑問に思う。
俺は関東人を崇めている連中は
頭がおかしいと思うんだが。
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/30(土) 00:07:18 ID:NxKDd+55
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/01(月) 03:18:27 ID:WpVIWgsY
『樊?(はんかい)夢物語』の構造と評価(6)
日南の人権・部落問題への発言にふれていきます。『筑前志』(明治三六〔一九〇三〕年)
という日南の代表的著作の中に「K村には美人絶えずとは博多の俚言なり」と書いたあとに、
漢文と和歌が載っています。
(中略)
では「K村には美人絶えず」とは一体何かと言いますと、『K美人十六宵譚いざよいばなし』
(大場貞吉著、明治四〇〔一九〇七〕年)という本の最初のくだりに「Kに美人多しKに
美人絶えずとは古来福博人士間や其界隈一般の人口に膾炙されて居る計りでない。
古い記録等にも誌されてある」とあるのです。K村はT村・H村・K村と三村並び称される、
福岡の穢多身分の集落の中でも有力な地域ですが、とにかくKに美人多しとずっと言われて
いたんですね。それがなぜかはわかりませんが、この本は、それを千数百年前のできごとと
関連させて書いているのです。ですから、日南の「K村には美人絶えず」という言葉自体には、
根拠があるということがわかります。と同時に、K村には美人が多いという表現は、自分たち
と被差別部落の違いを前提にしている表現ではありますが、マイナスイメージではない点は
注目してよいと思います。
http://monokatari.jp/isitaki/file003.php?blogid=164&archive=2006-03
182 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/01(月) 03:20:42 ID:4S5WKJ1R
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/01(月) 03:25:03 ID:4S5WKJ1R
固定観念板
差別板
184 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/01(月) 10:16:17 ID:Gm8mCyOP
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/03(水) 05:30:43 ID:Zqwu5Vqd
186 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/03(水) 13:19:15 ID:VsAPiW/1
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/10(水) 01:20:01 ID:eHQIOGO3
関西ローカルのお昼のテレビの出演者の顔ぶれが苦手だ。
例えば、ハイヒール リンゴ モモコ。
「蓬莱のアイスキャンデーがある時。無い時。」の女子。
くわばた りえ、南海キャンディーズのしずちゃん。
人相、雰囲気、声・・・。
大阪人の皆さんは平気 ?
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/10(水) 14:49:48 ID:3ml07dll
部落までいかなくとも田舎の山間部に行けば縄文系や非日本人顔の美人多いよ
先祖代々住み続けてるし人の出入りが少ないから古い血統が残りやすい
親戚一同同じ系統の顔なんてザラ
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/10(水) 15:32:54 ID:DxddHzsI
俺百貨店で勤めているが部落姓の美人率はかなりのもんだよ。
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/10(水) 16:43:22 ID:lvEtW83N
部落とエリートは紙一重である。
東京など元は漁村、農村。
北欧も貧民層であった。
その知識を生かし、海賊として活躍、文化を取り入れ、
キリスト教徒に改宗して今に至っているのである。
ちなみに本当の部落とは、大阪、京都を始めとする
西日本である。いくら東京が貧しいと言っても、
そんなものは西日本の比じゃない、韓国に似ている。
東京は部落ではない。乞食の街である。
渋谷ギャルのフケだらけの金髪とエコバッグがその象徴。
ちょー気持ちいじゃんと言いながらポールダンスを踊るのが
真の東京人である。
基本楽観的だから、東京は他の地域に比べると全然甘い。
苦痛なのが嫌、ってのは当たり前だよね。
にもかかわらず、切羽詰ったお堅い田舎者がなんか勘違いしているところ、
見ていてうざいのもだが、そういう妄想は痛々しいし、虫唾が走る。
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/10(水) 17:02:32 ID:3ml07dll
東京=江戸=穢土
東京は部落か?
前原大臣のどこが美形なんだよw
情けない顔のおっちゃんじゃん
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/09(金) 16:12:41 ID:p9aa5RtD
江戸=穢土は、井沢元彦「逆説の日本史」だね。京都の平安(楽土=浄土=清らかな世界)京
に対応(対抗?)する地名として、家康が採用したのではないか、という説。ただし、「江戸」なる地名は、
家康が征夷大将軍になる以前から、「江戸氏」なる関東武士の苗字に現れているけれど。
「現世の穢れ仕事(=憂き世の辛い仕事、だが必要とされる不可欠な仕事)は、徳川家(幕府)を頂点とする社会で解決、実行して
生きていきますから、厭世、遁世志願の方々は、そちらはそちらでやっていってくださいよ」・・・みたいな説だったと思う。
それから、山奥の集落=閉鎖社会=同一系統での結婚繰り返しは、そうではなかったのじゃないかな、と思う。
根拠は、昔、山の中腹より上、焼畑、放牧などで生活していた日本の山岳生活民は、山の尾根づたいに移動し、
山を下る際には、沢づたい、つまり川を水源地付近から川下へと下っていたから。
山奥には山奥の、確立された移動ルートがあったわけで。また、もし
そうでなかったら、山奥で生産された炭だの採掘した鉱物だの山菜だの工芸品だのを、
どうやって開けた平地の市場などに持っていくのか。
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/13(火) 13:08:22 ID:z5xs5E3+
>>195 日本にいるO3aって
ラサやティンプーにいるO3a3c1-M117と一緒だったっけ?
バイカル湖からチベット高原に来た集団は、
後から来たチンクのようなタングート人に乗っ取られて混血しているんだよな?
>>194 こんな骨格の奴現代日本人には存在しないな。
もしかしたら国策として解体していったのかもな。
>>195 先住民は古石器時代にも登場しており、地層からの推定で18000年前。
途中が抜け落ちていて、現在の住民につながるのは、昌都カロ遺跡・曲貢遺跡・昌果溝遺跡。
カロ(Ka-rub)遺跡はC14年代測定ができていて、4000年前。彼らが、どこから来たかはわかっていない。
細石器やクサビ型磨製石器、粟米、豚骨が出土している。
石器はメノウ?
ttp://www.univs.cn/newweb/univs/hust/res/h010/h05/img200811181545150.jpg この新石器の系統だから、バイカル湖近辺から来たというのはあり得る。
>>197 タングート人=蔵緬語派の部族
チベット語の原型はアムドにあり。アムドは青海省と西蔵自治区の北側
史書では、3世紀に發羌(髮羌)が進入して、吐蕃王朝の先祖となったとされる。
羌と書かれているので、蔵緬語派の部族。
蔵緬語派の人と系統がはっきりしているのが登場するのは、1700年前。
バイカル湖由来の遺伝的形質が多いならば、北からの系統がmtDNAに記録されているでしょう。
後から後から押し寄せてくるタングート人に飲み込まれて、蔵緬語派のチベット語で
塗りつぶされてしまったが、どっこいメノウの石器の種族の子孫はいるっぽい。
創世神話=猴祖神話が、蔵緬語派系は祖先が猿の話だけど
チベットの場合、猿の相手が大柄で色香で惑わす魅力的な羅刹女からなぁ・・・
何かあるんでしょうかねぇ
弥生人から見た縄文人は、
汚く醜い臭い、原始的な生活をする人々野蛮人に見えたのだろう。
こうした人々を蝦夷(エミシ)と蔑んだ。