北蝦夷★日本固有の領土、樺太 Part4★日本列島

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785名無しさん@お腹いっぱい。
そもそも、鴨緑江木材株式会社社長であったベズオブラーゾフが北朝鮮を
ロシア軍に占領させようとして朝鮮宮廷を対日主戦に導き日露戦争となった
わけだが、日本としては北朝鮮をロシアにやり、カムチャツカを押さえた方がよかったな。
786名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 17:19:41 ID:WBQTEUpk
萱野茂 - Wikipedia
tp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%B1%E9%87%8E%E8%8C%82

アイヌ初の日本の国会議員(1994年から1998年まで参議院議員)。在任中には、
「日本にも大和民族以外の民族がいることを知って欲しい」という理由で、
委員会において史上初の
アイヌ語による質問を行ったことでも知られる。
787名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 22:25:03 ID:/v0iLnNF
>>785
えーカムチャツカなんてどうするの?
何の役にも立たないじゃん
それなら北朝鮮の方がマシ
というか北朝鮮をロシアに取られたらまずいでしょ

樺太だけでいいよ樺太だけで
788名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 07:55:17 ID:Cdgvi232
樺太は勿論のこと。
知らない人が多いが、日露戦争のとき、北千島で越冬していた郡司という予備役士官が
数百名の兵士を率いて、カムチャツカのロパトカ岬に上陸しているね。
カムチャツカ南部はアイヌ系日本人の居住地だったから、本来日本領。
789名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 16:52:19 ID:bVQXCd4E
>カムチャツカ南部はアイヌ系日本人の居住地だったから、本来日本領。

???
790名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 17:18:45 ID:F+n8yGEh
>オハで石油
tp://www.aurora-net.or.jp/user/tamura/sakha3-22.htm

サハリン北部には大小の油田、ガス鉱床が30カ所ほどある。オハ油田は、
1920年代から生産が始まり、日本も戦前、旧ソ連と共同採掘していた時期がある。
人口3万人のオハ市を含め、オハ地域の住民54000人のうち、
約2万人は何らかの形で石油生産に従事していた。

オハには石油精製基地がない。汲み上げた原油は、一旦
大陸へ運び、精製されてから戻されるため、ガソリンも「逆輸入」された形になる。
大陸で当時1リットル800ルーブル(27円)のものを、
オハではその倍も支払わねばならなかった。

「実は、陸上の油田はもうほとんど枯れかかっているんだ」
オハ市のヤルリン副市長は嘆いて見せた。北サハリンではピーク時の
70年代末、原油生産は年間250万トン、ガスは同22億立方メートルあった。
それが今ではそれぞれ150万トン、15億立方メートルに落ち込んでいた。
これが大陸棚の資源開発を急ぐ理由でもあった。

>2004年10月分
>サハリン北部の都市オハで、石油ガスプロジェクト「サハリン-1」の実施状況を視察する。
>午後は島南部にある「サハリン-2」プロジェクトで建設中の天然ガス液化工場の建設現場を訪問する。

tp://www2e.biglobe.ne.jp/~tis-russ/CMR.htm
791名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 17:33:30 ID:F+n8yGEh
>789

カムチャッカにはロシア人が来る前からアイヌが住んでいたんだよ。
アイヌは日本国籍だったから、日本領と、彼は言いたいのでしょう。

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>カムチャツカ北部に設けられた
>アナディル城砦の司令官ウラジミール・アトラゾフは、
>カムチャツカ半島征服のため、部下の兵士と猟師を合わせた60人の他に
>土民60人を加え馴鹿橇を駆って1697(元禄10)年西海岸を南下した。
>ここに住んでいたのはカムチャダールから「勇敢な人」と言われた
>クリール人(アイヌ人)であった。
>クリール人はロシア人(コサック)の南下を阻止しようと勇敢に戦ったが、敗れて
>アイヌの砦は占領された。
792名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 17:40:12 ID:F+n8yGEh
実質、カムチャッカの産業もまかされたんだけどな。
戦前のロシア人は1万人もいなかった。
しかし、日本人は1万人以上いた。2万人いたという話もある。
工場は50箇所くらいあった。
今は何もない寒村の西海岸にたくさんあったんだよ。
今、工場の地図が見つからないんだが、日露戦争の果実は
樺太を見るよりも、カムチャッカの水産業をまかされた、という観点で
見ると、かなり良心的なものをもらったように思えるし、よかったことがわかるぞ。

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1855年の日露通交条約で北樺太も日本の領有と認めてますよ。つまり
北緯50度より少し北のアイヌの大きな集落・ポロコタン(ピレオ[露])も
北緯51度の落石(後のアレクサンドロフスク)も日本領ということ。
北緯52度のノテトまではアイヌの集落だったが、それより北はあいまいだ。
しかし、
ロシア人が1人もいなかったわけだから、ロシア領ということでもなかった。
793名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 17:42:46 ID:F+n8yGEh
樺太が我国領土となる日は、国際正義上来るはずであるが、
その国境について 考えてみよう。

ロシアの勢力がいまだ及んでなかった19世紀前半、松田伝十郎は
間宮海峡の 一番狭くなるラッカを国境と考えた。
これは、大陸側との境の間宮海峡を国境としたという説と、
アイヌが居住していたのが 北緯52度のラッカ以南と
おおまかに云えるので、その北部は清の領土という ものがある。

ただ、清は臨時の役人がたまに来ていた程度であり、
樺太全土がアイヌ語地名であるという 近藤重蔵の調査から、
全土樺太は日本領と宣言した徳川斉昭のことも忘れてはならない。

次に幕末に日本が実効支配していたおおよそ
北緯51度の落石を以って国境とする案もある。
そして幕末に和人が集中していた
北緯48度の地峡を形成する久春内〜真縫という案がある。これは実際、
ロシア側が一時容認した線である。

個人的には全土日本領と主張したいが、日本人を形成していた
アイヌが居住していた 北緯52度という線でも仕方あるまい。
52度以北は中露で決めればよい。(島の北端は53度)
794名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 17:49:20 ID:F+n8yGEh
サハリンプロジェクト - Wikipedia
tp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88

2008年現在、サハリン4とサハリン5について、エクソンモービル社が中心となって
試掘を行っているが、具体的成果の発表がないまま 現地の拠点を撤収している。

契約
ロシア政府は日本の商社、石油メジャーなどと契約する際に、
将来的にプロジェクトに一定の関与ができるよう、
各種資材の調達や労働条件、生産される原油等の分与についての詳細な条件を定めている。
この条件は未公開とされており、参画企業のリスクマネジメントを難しいものとさせるほか、
コスト計算を難解にさせるなど、
プロジェクトを不透明にさせる原因の一つとされている。
(リスクもコストもかかり、利益が出ないので、試削だけで撤収した原因か)