関西人がどこへ行っても方言で話す理由

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1名無しさん@お腹いっぱい。
関西人が方言を使う場面は3つある。

1つは、関西人同士での会話だ。
これは関西以外の地方の人もする、ごく普通の行為だ。
同郷同士、田舎の訛りで会話する。
殺伐とした東京での生活の中で、これほど落ち着く場面はないだろう。
これは全く問題ない。

2つ目は、おそらく関西人ではない人と、初めて話す場合である。
関西人は露骨な関西弁は使わずに、
微妙なイントネーションで「私は関西人ですよ」と伝える。
相手が関西人でなければ「あぁ、まだ訛りが少し抜けないんだな。」
と思うが、実はこれはわざとで、関西人が聞けば
「おお同胞よ。」ということになる。
このようにして同胞を見つけ出し、コミュニティーを作り上げたり、
互いに便宜を図ったりする。このような事実を知っていただろうか?

3つ目は、関西人ではない、とはっきりわかっている知り合いとの会話である。
ここで関西弁を使うのは、関西だけは他の地方とは違う、
特別な存在なんだという勘違いが原因だろう。
「自分を関西人として見てくれ、関西人は東京でも埋もれないぞ。」
そういう無意味な対抗意識を持っているのである。
関西では朝鮮と同様、民族意識が非常に強い。
自分達は優秀な民族だと信じて疑わない。
しかし、現実問題として、東京や日本に負けており、
コンプレックスを抱いている。しかも、東京や日本の人は、
「関西・朝鮮に勝った!」と喜ぶことすらしてくれない。
全く相手にされていないのだ。これによって彼等は大きく傷つく。
そうなった場合、精神のバランスを保つために歴史にアイデンティティーを見出す。
未来へは向かわないのが彼等の特徴だ。未来に向かうためには
現状(負け)を受け入れなければならないが、彼等にはそれができない。
2名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/23(日) 22:07:16 ID:7wbgIvE/
自分達を客観的に見ることができないためだ 。これは我々には理解し難いことだが、
後に述べる「関西人気質」の解説で理解してもらえると思う。
彼等は何十年、何百年も遡って、関西・朝鮮にとって有利な情報を
あざとく見つけ出し、それを基に「俺たちの方が上だ!」と主張する。
中華思想も小中華思想も関西原理主義も全てはこのような構図なのである。
もちろん、地元や自民族に誇りを持つのはごく自然なことである。
しかし、それが行き過ぎて、排他的な自民族中心主義に陥っている。
これは一神教徒や独裁政権下の統制された人民などにありがちなことで、
中国や朝鮮はともかく、日本の関西にはあまり関係がないんじゃないかと
思う方が多いだろうが、よくよく考えてみると、関西にも当てはまるのである。
はっきり言おう。関西人は日本人ではない。
なぜ彼等は日本人ではないのか。
それは、日本の歴史を考えればわかる。
「歴史?歴史的に見れば関西こそ日本じゃないかwwwww」
そう思う関西人は多いだろう。それが違うのである。
現在の関西人の気質を考えると、
雅な宮廷文化や仏教を尊ぶ静かで厳かな信仰心などは微塵も感じられない。
関西にある歴史的な建物にはそれを見出すことはできるが、
関西人の中にそれを見出すことはできない。
現在の関西人に受け継がれているのはただ一つ「商人気質」である。
ご存知の通り、商人とは、士農工商の最下層に位置づけられ、
「銭を扱う汚い職業」と見られてきたものである。
エタヒニンほどではないが、相当蔑まれ、見下されてきた人たちなのである。
最初から蔑まれていたため、日本人の特徴と言われる「恥」などと言う概念もない。
何をしたって構わない。こうなったらとにかく金を稼いでやる。
俺たちを馬鹿にするな!貧乏人どもめ!」
親に期待されないばかりに、非行に走ってしまった少年のようである。
3名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/23(日) 22:07:47 ID:7wbgIvE/
この様にして彼等の精神性が形成され、ついに彼等は「カネ」しか信じられない、
唯一神「カネ」を信仰するカネ教徒になったのである。
当然、同胞であるカネ教徒以外の全ての人間に対して、恨み(ハン)を持っている。
彼等は偏狭な民族意識を持った一神教徒となり、一元論者となったのである。
関西人が関西弁を使いたがるのも、2ちゃんにおいてやたらと関西人が叩かれるのも
全てはこの
「関西人は他の日本人と異なり、一元論者である」
ということで読み解くことが出来る。
一元論、多元論について知識のない方でも、
ネットや本で少し調べてもらえれば大体のことはすぐに理解できると思う。
「理由はわかったけど、じゃあどうすればいいんだい?」
こう言われると、正直困ってしまう。
これに対する答えを持っているのならば、私は今すぐパレスチナにでもイラクにでも
行って、戦争・紛争を瞬時に解決してしまって世界のヒーローでノーベル平和賞である。
ただ、だからと言って「じゃあ意味ないじゃん」ということではない。
このことを踏まえた上で関西人と付き合うのと、何も知らないまま付き合うのとでは
大きな違いがあるのだ。何が違うのか?同じ場面を見ても、受け止め方が変わるのである。
もちろん良い方向に。
4名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/23(日) 22:23:12 ID:gkRWgLZO


こういう長文書くヒマなニートって大体関東人だね・・・・・。

関西人は友達多いし2ちゃんねらーも少ないね
5鷂 ◆Kr61cmWkkQ :2006/04/24(月) 00:11:32 ID:QfBc4jGj
重複やでぇダボ!

何故、関西人は何処へ行っても方言で話すのか?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/geo/1129697381/
6名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/24(月) 02:51:06 ID:iKNLm1e9
関東人て友達づくりが下手だな。大学行ってつくづく感じた!逆に広島や大阪のやつは社交的だと思う
7名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/26(水) 22:31:42 ID:x7QfgCd1
「何しろ大阪は昔も今も人口あたりの凶悪犯罪率は全国ワーストワン。
 特に殺人は年間100件を下回ることはなく、実数でも東京を上回る年が度々ある。」
「かっての「グリコ・森永事件」や「三菱銀行北畠支店の梅川事件」「豊田商事事件」、
 さらに「和歌山の毒物カレー事件」「神戸の児童連続殺傷事件」「大教大付属池田小事件」・・・。
 新手の犯罪は全て大阪周辺から起きている。」
   (皆川豪志「あの大阪は死んだのか」(第五章 ジャーナリズム)より抜粋)
8名無しさん@お腹いっぱい。
【兵庫・大阪】朝鮮学校閉鎖抵抗60周年 「記念碑を建てる会」発足
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1145880561/
一九四八年四月二十四日、兵庫・大阪の在日朝鮮人が民族学校の閉鎖令に抵抗し、
存続を勝ち取った「4・24阪神教育闘争」で、二〇〇八年に闘争六十周年を迎えるのを前に、
「記念碑を建てる会」が二十三日、神戸市内で発足した。発起人らは「多様な民族がともに
生きる共生社会のシンボルにしたい」と話す。

阪神教育闘争は一九四八年四月、GHQの意向を受けて朝鮮学校閉鎖令を出した行政と朝鮮人が対立。
兵庫県では約一万人が県庁を取り囲んだ。交渉の末、閉鎖令は撤回されたが、GHQが占領期で唯一、
非常事態宣言を発令。阪神間で約千七百人の朝鮮人が逮捕された。

「建てる会」は、在日コリアンや日本人の研究者ら二十八人が呼びかけた。二十三日の設立集会では、
県朝鮮関係研究会の金慶海さん(68)が講演。在日の間でも忘れられつつある教育闘争の経緯を振り返り、
「あの闘いがなければ、私たちはウリマル(わが言葉)を失っていただろう」と訴えた。

代表の家正治・姫路獨協大教授は「民族の誇りを互いに尊重することが大切。東アジア友好のシンボルに」と話した。

ソース
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000022228.shtml