45 :
,:
地球の大きさを知っていた古代人、、、
翌朝、われわれはナイルを500マイル(約800キロ)遡ったアスワンへ飛んだ。アスワンは私がこ
の目で見たいと切望していた古代都市のひとつだ。というのも、それはハプグッドの仮説の
中で重要な役割を果たしているのだ。この街は元来はシエネと呼ばれており、エラトステネス(紀元
前274〜194)という名の天才が地球の大きさを測定したことで知られている。
エラトステネスは、夏至の日の正午、シエネの街では太陽光線の深い井戸の底まで届くということを
知った。いうまでもなく、大要が真上に来るということだ。だから塔にも陰がまったくで
きない。だが、500マイル北にあるアレクサンドリアでは、正午に塔に陰ができる。そこでエラトステネス
は、6がつ21日の正午きっかりに塔の影の長さを計った。これによって、シエネで太陽が真上
にあるその同じ瞬間に、アレクサンドリアでは太陽光線が何度の角度を取っているのかが解る。
その角度は7度だった。もし、7度が地球の外周上の500マイルに当たるなら、360度が約
2万5000マイル(約4万キロ)にあたることは容易にわかるー―紀元前240年という時代
にしては、驚くべき精確さだ。
シエネ―アレクサンドリア間の距離の計測に若干の計算違いがあったため、エラトステネスは地球の大きさを
4度ほど多く計算してしまった。ハプグッドは、もしこの誤差を計算に入れるなら、ビリ・レイ
スの海図の精度はさらに高くなるというのだ。
地球は球体だが、地図は平面だ。今日の地図製作者は緯度と経度の玖珂にもとづくメルカトルの
「投影法」を用いる。古代の地図製作者が用いた方法はさらに複雑で、より効果的なもの
だった。彼らはまず中心点を選び、その周囲に円を描く。それを、ちょうどケーキのように、
さらに16の区分に分割する。それから、このケーキの円周上に、外に向かって展開する一連
の四角形を描く。
ビリ・レイスの海図の元来の中心点はエジプトにあったが、それは地図の外に当たっている。ど
うも中心点はアレクサンドリアらしいと考えられた。だが、さらに計算すると、それはもっと南の
ようだった。
実際、それはシエネであることが判明したのだ。この発見には面白い含意がある、とハプグッド
は気づいた。アレクサンドリアの地図製作者たちが新しい地図を作り始めたとき、実際に船を出し
て、地図に描こうとする様々な場所を測量に出かけたわけではないだろう。多分彼らもま
た、さらに古い地図を参考に下に違いない。そしてもしもその4度の誤差がなければ、そ
の古い地図は驚くほど精確だったに違いない。このことはつまり、アレクサンドリア以前の地図製
作者たちは、ギリシア人よりも遥かに正確で進歩した地図を製作する科学を持っていたという
ことだ。
これをうらづける興味深い証拠がある。紀元前2世紀の終わりごろ、ギリシアの文法学者で、
プレトマイオス朝エジプトの王の家庭教師であったクニドスのアガタルキデスという人が居た。彼が耳にし
た古い伝承によれば、大ピラミッドの格底辺の長さは、精確に地球の外周の1分(すなわち1
度の60分の一)の8分の一であるという。大ピラミッドの底辺は230メートル少々だ。
この話を確認するには、230を8倍して1分、これをさらに60倍して1度、さらにこれ
を360倍すると、地球の外周の長さになるはずだ。その答は約4万キロ、すなわち約2万
5000マイルだー―驚くほど精確に赤道周辺(4万77キロ)に一致している。つまりピラミッ
ドの建造者たちは、紀元前2500年の時点ですでに地球の大きさを知っていたということに
なる。
事実その通りなのだ。このことは大ピラミッド自身が証明している。その周辺が正確に赤道周
辺に対応しているだけではなく、その高さもまた、同様に地球の「高さ」、つまり赤道面か
ら北極点までの距離に対応しているのである。多分エジプト人は地球そのものを表す巨大
なジオデシック・ドームのようなものを造りたかったのだろうが、そんな形にしてしまうと、ピラ
ミッドの魅力的な幾何学の一部が失われてしまう。そこで彼らは次善の策として今の形を選
んだのだ。
47 :
,:2008/06/03(火) 17:53:07 ID:2F0aZjCp
1798年にナポレオンがエジプトを侵略してきたとき、彼が連れてきた学者の中に、エドム・フランソワ・
ジョマールという人が居た。彼は大ピラミッドを丹念に研究し、いくつかの重要な発見をした。ピ
ラミッドの4辺は、信じられないほど正確に東西南北の4方向を向いている。ピラミッドはカイロか
ら10マイル(約16キロ)の地点にあるが、そのカイロはナイル川でデルタ地帯の基点である。そ
してピラミッドの対角線を延長すると、それは、ナイル川デルタ地帯全体をぴったりと包含
してしまうのだ。のみならず、北面のちょうど中央から直線を引くとデルタ地帯を正確に二
等分する。
これらの事実を総合すると、古代エジプト人は長距離を測定するための何らかの極めて正
確な技法を持っていたとしか考えられない。単なるあてずっぽうでこれだけのことができ
るはずがない。
フランスの1メートルは、赤道から極までの距離の1000分の一に当たる。ピラミッドを研究したジョマ
ールは、古代エジプト人もまた、地球の大きさに基づく度量衡を持っていたに違いないと確
認したー―この場合は、赤道円周の21万6000分の一だ(21万6000は60の3乗)。
これらはいずれもたまげるような事実だ。まったく原始的な農耕文明が、どうやって地球
の大きさを知ったのだろうか?同様に理解しがたいのは、なぜこの知識が2000年以上後に
エラトステネスによって再発見されなければならなかったのか、ということだー―だが、コロンブスが
アメリカを発見するまで、一般に地球は平面だと考えられていたことを思い起こしていただき
たい。知識というものは実に容易に失われてしまうものなのである。「古代海王たちの海図」
の最後で、ハプグッドが強調していたように。
エジプト人は、距離や単位に関するこれらすべての知識を何処から得たのか?もし彼等が
ヴァイキングのような航海者だったなら、話はわかる。だがそうではなかった。彼らは自分自
身の土地、自分自身の海に固着する傾向があった。ということは、何らかの先行する文明
から学んだとしか考えられない。
ハプグッドは言う。「経度に関する明らかな知識は、我々の知らない民族を物語る。それは航
海者の国であり、ギリシア人が夢にも思わないような経度の測定技術を知っていた」。