昔の地図は古い

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そしてその神々を慰撫する方法とは、人身供儀だった。生贄は石板の上に横たえられ、神
官は石のナイフでその胸を切り開する。それから肋骨のしたに手を突っ込み、鼓動する心臓を
抉り出して高く掲げるのだ。

これをみれば、メキシコをー―そして後にはペルーをー―侵略したスペイン人が、この迷信深い野蛮
人を拷問したり虐殺したりすることに良心の呵責を覚えなかった理由がわかるだろう。彼
らは、生きた心臓を抉り出すような習慣を持つ連中に対しては、何をしてもかまわないと
感じたのだ。

もっともそのスペイン人がいかに残虐かつ冷酷だったかは、ウィリアム・H・ブレスコットの「メキシコ征服
史」(1843)に詳しく書かれている。これは読むのに相当の心臓を必要とされる本だ。
われわれはアステカ人-―マヤ人の後継者――に対して申し訳なく思いがちだが、それでも次のよ
うな話を聞けばどうだろう。

アステカ人の第8代皇帝アウィソトルは、ある神殿の奉献のために8万人の捕虜を人身御供にするこ
とを命じた。水路は血で溢れた。虐殺は4日間にわたって休みなく続けられた。それから


神官たちが死体の皮を剥ぎ、その脂肪を自らの肌に塗りつけ、皮を潜水服のように身にま
とった。続いて虐殺者とその家族は人身御供を食った。これらすべては信仰心ゆえの行為
であるー―などというのは明らかにばかげている。嗜虐的な殺人は一種の中毒となること
は、どんな犯罪者でも知っていることだ。