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、、、 天体ファエトーンの来襲 、、、、
その答は間違いなく小惑星か彗星の衝突だろう。それが「地球が死に掛けたとき――紀元
前9500年の宇宙的災厄の決定的証拠」(1995)の説得力ある結論だ。著者は古地理
学者D・S・アランサザプトン大学地質学博物館長J・B・デレア。
それによると、地球がほとんど死に掛けたのは、プラトンの言うアトランティスの壊滅のときだ。入
念極まりない徹底振りで、めくってもめくっても(この本の記述は極めて膨大で2段組で
印刷されている)、紀元前9500年に巨大な変動が地球を揺らしたと言う地質学的・神話
的証拠がこれでもかこれでもかとばかりに並べられている。そして著者自身の仮説が出て
くるのはようやく半分を過ぎてからだ――何らかの天体、すなわち巨大隕石もしくは新星
の破片が、今から一万1500年ほど前に我々の太陽系に衝突し、破片の爪あとを残した
のだと言う。
著者たちによれば、それは天王星を横倒しにしてその衛星の一つを引きはがし(これがそ
のまま宇宙を漂って最終の惑星である冥王星となる)、土星の衛星を引き裂き、木星と火星
の間にあった惑星を粉々に砕いて小惑星に変えた。
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,:2008/10/15(水) 10:27:07 ID:UYswNLDb
その後、地球に接近したそれは、地軸の傾斜を増大させ、チャールズ・ハプグッドが地殻の滑動
に帰した破局をもたらした。この「傾斜の増大」は現在では元道りに「復帰」しているが、
これが天文学者ノーマン・ロッキャーの言う「黄道傾斜」の原因だと言う。黄道傾斜とは、地球の地
軸が前後に震動する現象だ(これは現在では疑問視されている)。
特に興味深いのは、ティアワナコの破壊に対する彼等の見解だ。アランとデレアによれば、あの破局を
引き起こしたのは、この天体――彼らはこれをファエトーンと名づけて居る――に他ならない。
さらに彼らは、ティアワナコが破壊されたのみならず、アンデスもまた紀元前9500年に突如とし
て非常に隆起したと言う証拠も提唱している。たとえばアンデスには、現在の万年雪の高度よ
りもかなり高い場所に石壁や階段耕作地が数多くあるが、それはこの地の隆起が歴史時代
であったことを示している。
また、海棲生物の多くの棲息するティティカカ湖は明らかにかつては海面と同じ高さにあった。
また、近郊の山地には古代の汀線があり、石灰質の藻類の堆積物から成る白い帯がある。
これは海抜2マイル(約3200メートル)以上の高さだ。地質学者は常にこの隆起が起
こったのは何百万年も前のことだとしてきたが、アランとデレアは、それが紀元前9500年の
巨大隕石の地球衝突によって起こったものだと言う明瞭な証拠を提示した。
重要なことに、ティアワナコにも洪水神話がある。神ヴィラコチャは大地の創造者であり、ティアワナコに住
んでいた。だが人間が神に従わなくなったので、彼は大地を呑み込む大洪水を起こして彼
等を滅ぼした。生き残ったのはたった2人――男と女だ。彼は箱の中に流れ、洪水の引い
たティアワナコにとりのこされた。それからヴィラコチャは地上の人を再び創造し、彼等に自分の言語
と歌を与えた。
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,:2008/10/15(水) 10:40:56 ID:UYswNLDb
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,:2008/10/15(水) 10:55:28 ID:UYswNLDb
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B4%AA%E6%B0%B4 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%8F%E3%83%A9%E8%AA%9E%E6%97%8F ウォリントンは、ムー――もしくはレムリア――には、元来は十分な科学的証拠があったということ
を見出した。1850年代、イギリスの動物学者P・L・スクレイターは、インドとオーストリアという離れ
た土地の間に奇妙な動植物の類似があることに気づき、かつてはその間に両者を繋ぐ大陸
があったが、その後水没したと考えた。これは今から5500万年前の始新世に存在した
と言う。彼はこの大陸をレムリアと名づけた。なぜならこの失われた大陸の両岸に接していた
土地には共通のキツネザル(レムール)が棲息していたからだ。
1880年代に、有能だが変わり者の学者、オーギュスト・ル・プロンジョンは、メキシコのマヤの文書を
解読したと主張した。そこにはムーと呼ばれる大陸に関する記述があり、それは大地震とと
もに太平洋に没したと言う。大地震があったということは、それはアトランティスの破局か、トールマ
ン夫妻の言う紀元前7500年の彗星衝突かのいずれかだろう。
「東方のエデン――東南アジアの水没大陸」(1999)という驚くべき本の中で、スティーヴン・
オッペンハイマー教授は、シュメール人は大洪水の生き残りの子孫であると論じている。この大洪水は
中国沿岸と、彼が「スタンダランド」呼ぶ地域にあった太平洋の大陸にも押し寄せた。
(南西アジアのスンダランド。現在のスンダ列島からボルネオ島、フィリピンにかけて存在した大陸。海図
の白い大陸棚の部分がそれだ。)
オッペンハイマーの説は、イギリスの動物学者P・L・スクレイターの言う、インドとオーストリアの間にあった陸
橋の話によく似ている。ただしスクレイターの「レムリア」が存在したのは5500万年前の始新世
で、一方、オッペンハイマーの陸橋が沈んだのはごく最近の紀元前6000年だ。
オッペンハイマーもまたハプグッドとピリ・レイスの海図、それにグラハム・ハンコックの信ずる南極の「始祖文
明」を論じている。が、彼自身の始祖文明の候補地は、彼がスタンランドと呼ぶ南西アジアの水没
大陸だ。これは単にシュメールやエジプトに先行するだけではなく、その両者の母胎であったとい
う。
オッペンハイマーはまず、「創世記」のエデンの園が東方にあったとされていることを指摘する。さ
らにその後、「東のほうから移動してきた人々は、シナルの地に平野を見つけ、そこに住み着
いた」とある。シナルの地とは、いうまでもなく聖書で言うシュメール、すなわち「最初の文明」
の地だ。
またオッペンハイマーによれば、シュメールの言語は近隣のエラム語と同様、セム系言語の中では極めて得
意なものだ(シュメール語に取って代わったバビロニア語、あるいはアッカド語は、「ギルガメシュ叙事詩」
の言語だが、典型的なセム系言語だ)。ある意味では、シュメール語はフィンランド語やハンガリ
ー語に近いのである。この言語の起源はようとして知れない。不運なことに、オッペンハイマーは
一つの重要な情報を知らなかったらしい-―トールマン夫妻の言う、紀元前7545年の彗星衝突
だ。オッペンハイマーが述べている大洪水の規模だけでも、それが単なる氷の溶解によるものとは
考えがたい。
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,:2008/10/15(水) 19:46:06 ID:UYswNLDb
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,:2008/10/15(水) 19:52:13 ID:UYswNLDb
一方、トールマン夫妻の彗星の破片はインド洋と南シナ海に一つずつ、南アメリカ西岸近くに二つに落
下している。この4つなら、スンダランドを沈めるのに十分だったろう。トールマン夫妻の彗星は、
オッペンハイマーの破局の原因の候補としては黒海大洪水よりも優れている。実際、トールマンによれ
ば「アジアでは1万五千年前に、人類はマンモスの生息する温暖な草原地帯だったシベリアに達して
いた。東南アジアの島々もまた、当時は陸地だった大陸棚を通って到達可能であり、最新
の研究によれば、5万年前から4万年前までのあいだに、ティーモール海を舟で渡ることによっ
て、オーストラリアにまで達していた」。この地域が紀元前7545年の洪水で破滅したのだ。トール
マンが参照している中国の版画には、洪水を表す龍のモチーフが描かれている。その版画には大
津波と、様式化されたチューリップ形の水の噴射が正確に示されている。彼によればこの版画は
「間違いなく、南シナ海で起きた衝突を地質学的に正しく描写した言い伝えに基づくものだ。
これはベトナムのガラス化した岩石からも確認されている。さもなければ、つい最近科学的に検
証されたばかりの衝突をこれほど正確かつ詳細に描写できるはずが無い」。
オッペンハイマーによれば、この洪水の後、スンダランドからの非難民はありとあらゆる方向に逃げた。
ある学者はインド、恐らくインダス渓谷に稲作を伝え、ある者は中国南西部、ビルマ、チベットに芸
術を伝えた。ある者は南に逃れてオーストラリアに、またあるものは東のミクロネシアに逃れた。オッペンハ
イマ-よれば、これらすべての土地は、洪水で故郷を追われた漂流民たちの言語的・遺伝的痕
跡を示している。「歴史上の度量衡」という本の中で、A・E・ベリマンは、彼の言う「インダス・
インチ」がシュメールの単位「シュシ」のぴったり二倍に当たると指摘している。また、多くの古代ポ
リネシア語では、太陽神は「ラー」と呼ばれていたが、これはエジプトと同一だ。
オッペンハイマーは言う、「その離散の中で、南東アジアの探検家たちは中国、インド、メソポタミア、エジプ
ト、クレタの新石器時代をの豊かなものにしたのだ」。つまり、彼等こそ西洋文明の真の始祖な
のだ。