931 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/20(土) 00:34:39 ID:wlwunDHu
今回の秋田の事件の 舞台も藤沢とかいかにも 天孫臭い 地名だったろう?
932 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/20(土) 00:42:40 ID:wlwunDHu
足柄坂超えの板東英二も 関西関東もないんですよ。 本州四国は昔から一つの文化圏。 白装束袴とたかまがはら、たかまがわら文化圏。
933 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/20(土) 00:50:34 ID:wlwunDHu
全部、妄想、妄想。 本州四国文化は白装束の地味な日本文化発祥地。
934 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/20(土) 00:59:54 ID:L48uaHrm
>>929 無理だって。
これだけ大規模な掲示板が工作の対象にならない訳無い。
KCIAとかいろいろあるしね。
935 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/20(土) 01:00:51 ID:wlwunDHu
古墳時代には東北関東の人はデメキン、出っ歯なんだ。 デメキン、出っ歯のアイヌはおるまい。 それは明らかに辰モンゴロイドの特徴である。 彼らは想像を絶するフットワークで本州全域を制覇し 瞬く間に自らのコピーを増殖させたのである。 彼らの距離感は極めて広く、千里を一飛びである 伊達ンのようである。 東歌、防人歌のころにはすでに東国方言さえ確立しておる。
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/20(土) 01:41:25 ID:wlwunDHu
937 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/20(土) 02:15:53 ID:wlwunDHu
古代人への渡来氏族の侵略は武力より制度を中心に行われる。 たとえば、将軍が源氏に限られるということなども一つの例である。 これは古代から絶え間なく続いた日本の政治制度である。 そうして列島各地の人はデメキン、出っ歯の渡来人へと 変貌していったのである。 武力ではなう制度が中心だったのである。
938 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/20(土) 23:32:08 ID:mproXiNZ
鎌倉政権はまた、坂東の武士たちの訴訟調停機関の側面も大きかった。源頼朝が坂東の武士たちに奉じられたのは、
かれの調停能力の高さに武士たちが服した結果でもあった。「一所懸命」という言葉が示すように、武士たちは自分が開拓した土地を守ることに命を懸けた。
そして、土地争いが起こったとき、公平な調停を期待できる機関を求めていたのである。これが、鎌倉幕府存在の意義であり、
その成立は時代の趨勢に合致していたのである。
ところが、源頼朝のあとを継いだ頼家は幕府存在の機微が理解できなかったらしく、血統こそ尊いと思ったようだ。鎌倉政権を担う武士たちは家来として扱い、
結局、反発を蒙って失脚、幽閉先の修善寺において暗殺された。
その後は弟の実朝が継いだが、かれも、頼家の子公暁によって殺害された。
そして、かれら以外の頼朝の子孫もまた、ことごとく非業のうちに世を終わり、源氏嫡流は断絶した。
頼朝の子孫が断絶すると、源氏との血縁をもって京から九条頼経が将軍として迎えられたが、のちにその子頼嗣とともに京に帰された。
これは、頼経が反北条御家人らと北条氏打倒の陰謀を画したためといわれている。
その後は、皇室より宗尊親王が迎えられ、その子惟康親王、ついで惟康親王の娘婿久明親王、その子守邦新王と続いた。
しかし、かれらが将軍職についた時代は、鎌倉幕府執権である北条氏の権力は絶対的なものであり、将軍とは名ばかりのまったくの「お飾り将軍」であった。
http://www2.harimaya.com/sengoku/kamakura/index.html
939 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/20(土) 23:32:55 ID:mproXiNZ
940 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/20(土) 23:34:27 ID:mproXiNZ
武家の家系図なんて、ほとんどが、オレオレ家系図=自称・家系図。
東国武将・東国武士は、基本的に土着の東国人。
朝廷が関西にあった関係で、家系図で関西系になっていても、
朝廷の味方である、朝廷と関係が深い氏族などでないと、高い官位がもらえなかった為、
高い官位をもらう為の、家系図を偽造しての出身の自称が多かったし、
子供ができなくて、養子をもらう事も多かったから、必ずしも家系図が正しいとは限らない。
徳川家康=松平家康も、三河守の官位をもらうときに、松平姓で頼んだら、朝廷から断られたので、
得川氏の子孫を自称し、名字を松平から徳川に変え、三河守の官位を得た。
http://www2.harimaya.com/aoi/tokukeiz.html 甲斐・武田氏の出自も、よくは、わかっていない。
戦国武将って、口ヒゲ・あごヒゲ・ほおヒゲが濃いだろ。
コーカソイドか、コーカソイドとの混血じゃないと、口ヒゲ・あごヒゲ・ほおヒゲは濃くならない。
モンゴロイド・朝鮮人は、口ヒゲ・あごヒゲ・ほおヒゲが薄いか、ほとんど、はえない。
941 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/20(土) 23:39:01 ID:mproXiNZ
ブレイス博士の武士=縄文系の視点はなかなか興味深いものです。 鎌倉時代に由比ガ浜だったですか、戦死した大量のサムライの骨が出てきて 学者が調べると、現代日本人と頭骨が著しく異なることがわかりました。 つまり、現代人が中頭〜短頭なのに、これらの武士は長頭だったのです。 いままで、日本人の小進化だと思ってましたが、これが縄文系だとすると 合点がいきます。 武士道とは弓馬の道で、弓の技術が尊ばれ、刀が武士の命となったのは、江戸時代 でした。弓といえばアイヌが弓の名手として有名です。 幕末から明治にかけて来日した欧米人が日本人には2種類の人々がいて、武士階級 は名誉を重んじ、威風堂々として礼儀正しい人々だと書き残している。 また、一般の人々とは容姿も異なり、武士は背が高く、中高の精悍な顔をしている と言っている。 絵巻物を見ても騎馬武者と兵卒では容姿が異なっている。 アイヌが、実は武士団に血統を色濃く残していたと 考えると、ブレイス博士の言ってることは、新鮮で興味深い。
942 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/20(土) 23:39:56 ID:mproXiNZ
関東武士は長頭で、その後頭部つまり後頭葉は視覚を司る部分らしい。 空間把握能力に長けていた結果、弓や射撃の名人、騎馬や剣術の達人が多かった。 弓の達人といえば那須与一、剣術の達人といえば新選組の局長・組長クラスが有名だな。 長頭の白人や狩猟民族アイヌは武勇に優れていた。 短頭の民族(アジア系)は車の運転が下手として知られてる。 ハリウッド映画ではアジア女性の運転下手は揶揄されてる。 白人女性は運転はへただが、とくにアジア系女性は輪をかけて酷いらしい。 これは女の脳が空間把握する部分が足りないためだ。 アジアの農耕民族は、狩猟を必要としなかったために短頭化が促進され 白人は狩猟民族が長かったために視覚を司る後頭葉の拡大がすすんだ。 短頭のスラブ民族(スキタイ人)も農耕民族である。 つまり短頭の朝鮮人や関西人は車の運転がへた。 何時だったか鎌倉時代の人骨が鎌倉から大量に掘り出されたが、ほとんど縄文人と区別つかなかったそうだ。 つまり、14世紀になっても関東の大部分は、まだ縄文人の系統が、マジョリティーだった。 関東の武士団は、土着の地方豪族たちで、土着の地方豪族たちは、土着の農民たちを兵としていたから、関東武士の骨が、縄文人の骨と区別が、つきがたいほど似ていた、 ということは彼らが居住していたであろう関東は、14世紀になっても縄文人系が多かった。 関東人は長頭、朝鮮人は短頭。 とくに鎌倉から発見された頭骨900体あまりは白人並に長頭。 鎌倉市材木座の八幡宮参道沿いで、一の鳥居のすぐ東隣から、 鎌倉時代の関東武士と推定される人骨が、1953年から1956年にわたる三回の発掘によって、少なくとも910体も発見された。 しかし、北部九州や畿内や山陰の古墳に埋葬されてる骨の多くは、短頭から中頭。それは何故か解るだろ? 朝鮮半島や中国からの渡来人だからさ。
943 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/20(土) 23:44:30 ID:oXOO5I9E
日本人と朝鮮人の見分け方 ※1 絶壁頭=短頭=朝鮮人 短髪・丸刈り頭にした時や、髪をゴムでまとめた時などに、 頭を横から見ると、 頭の前後の長さが上下間で、ほぼ同じで、 頭の後ろが、上下間で、ほぼ垂直に一直線になる。 頭を横から見ると、「□」形になる。 前←□→後ろ 非絶壁頭=長頭・長頭に近い中頭=日本人 短髪・丸刈り頭にした時や、髪をゴムでまとめた時などに、 頭を横から見ると、頭の後ろが、「つ」の字形になる。 前←つ→後ろ ※2 短頭=頭が左右に長く、前後に短い。頭を上から見ると正方形・正方形に近い・左右に長い長方形のどれかになる。=朝鮮人 長頭=頭が左右に短く、前後に長い。頭を上から見ると前後に長い長方形。=日本人 中頭=短頭と長頭の中間=日本人
944 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/20(土) 23:49:03 ID:oXOO5I9E
鎌倉・由比が浜で見つかった、多数のサムライの頭骨を調べたら 長頭で彫りが深かったそうだ。
945 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/21(日) 00:11:39 ID:koboC0Au
>>937 こういう輩は、鎌倉時代以降に、東国から西国は、さんざん征西されたことを忘れている。
東国武者の西遷により、西国の民は東国の奴隷だった。
西国は東国の奴婢である。
946 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/21(日) 00:37:11 ID:koboC0Au
シロウマアオウシは広島人で関東武士の血が混じることを ひたすら強調してるが関東武士の血が混じるのは広島に 限ったことじゃあるまいて 日本はおおむね関東武士の子孫 ぜんぶ縄文系
947 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/21(日) 00:53:03 ID:9mrwhLmE
勘弁してくれ! 関東人の拡散はあるが九州だけは別 苗字の傾向が全く違う。 九州だけは古賀、松尾、甲斐、○園とか変わった苗字が上位になってる。 九州だけは倭国の末裔。 本州四国は高橋、○藤、鈴木など 天孫系、皇族の苗字ばかりです。 全然系統がちがうんです。 原はバルだし本州四国は原ははら、わら ぜんぜんちがーーーーう!!! 関東東北人は古墳時代には近畿以上に 眼底が突出してるんだぞ。 白装束の国、本州四国 赤い国、九州沖縄 九州沖縄>>>>>>>>>>>>朝鮮>>>>>>>>>>本州四国 九州沖縄人は本州四国人とは全く系統が違う!! こういう関係が真実
948 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/21(日) 01:18:34 ID:OSasc11U
大昔から九州沖縄は独自の文化圏をもってたし 本州四国は大陸半島と出雲や北陸を通じ独自交易していた。 だから九州沖縄と本州四国は隔絶した文化圏にあったといえよう。 関門海峡は極めて遠く人が渡る海峡ではなかったのである。 関門海峡は国境線なのである。 だから地名も苗字も関門海峡を超え100km超えるとゴロッと変わるのだ。 東京からみてるとその違いに気づくことはないだろう。 これは真実である。 本当に違うのである。 それは縄文時代の土器からすでに傾向がある 弥生期、古墳記、中世、近代に至るまで 一定の隔絶した文化が確立しているということが確認される。 ちなみに東京京都人がみるほど鹿児島と福岡は文化的にも 血縁的にも離れてはおらん。鹿児島県人、沖縄県人は 九州県内で貫流しておる。 全ては妄想、妄想なのである。九州人は北上していないし もちろん本州四国人の文化、 遺伝的影響も九州沖縄あまり受けては いない。
949 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/21(日) 01:28:10 ID:OSasc11U
本州四国人はスサノオ、天テラスの子 九州沖縄は全く土着の別の神がいるのだ。 どうせしらんだろ、無知は無神経の始まりだぞ。 偏見、先入観は馬鹿の始まりだ、ちゃんと調べろ! 九州は本州四国とは全く別の文化圏にあるのだから 交流はないのである。
950 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/21(日) 01:29:47 ID:koboC0Au
951 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/21(日) 01:31:34 ID:koboC0Au
日本に来た渡来系には、大きく2種類あったと思われる 朝鮮半島から渡来したもの。B52−DR2、弥生人である。 特徴として、頬骨が発達している すでに、弥生人が西日本を占拠していたころに 北朝鮮から、瀬戸内海を通り、西日本を素通りして、新しく関西周辺に入ってきた渡来人 B44−DR13である。 顔の特徴は頬骨が前者の弥生人程発達してなく、蚕型の輪郭をしている 関西周辺から入り、秋田方面、東海方面へと広がっていった やはり西日本は弥生人がすでに占拠していたため、 西日本にはあまり入りこめず西に行くほど頻度は低くなる 「B44ーDR13」は関東で5,7%とさほど多くない。 韓国は7,0%で北陸7,2%から秋田に多く、近畿6,6%、 東海10,7%でも頻度が高い。日本中央部に多いタイプ。 現代朝鮮人・関西周辺人・中国地方人は同じ新モンゴロイド系だが、 関西周辺人だけ、ぶっちぎりで現代朝鮮人に近い、 現代朝鮮人と同一の血を持つ集団が、弥生時代から古墳時代頃に関西周辺にだけ土着したという証拠である。 朝鮮系の子孫は、関西を中心にドーナツ状に分布しています。 手掌紋D線3型出現率から求めた朝鮮人との距離 朝鮮 0 近畿 0.007←関西はここ。いうまでもなく、まんま朝鮮。 中部 0.012←平均的な甲信越を含みながら、この値は驚き!関西のとなりの濃尾平野は朝鮮。 中国 0.035←日本文化の本流。平均的。 九州 0.035←日本文化の本流。平均的。 四国 0.038←日本文化の本流。平均的。 東京 0.048←日本文化の本流。関西〜濃尾平野(バカ発生地帯)とは別世界。 東北 0.068←日本文化の本流。関西〜濃尾平野(バカ発生地帯)とは別世界。 南西諸島 0.092 アイヌ 0.118 山口敏「日本人の顔と身体」より
952 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/21(日) 01:34:12 ID:koboC0Au
亜種を含めたら数倍になる、 朝鮮人の最多ハプロタイプで、関西人の準最多ハプロタイプ・B44−DR13は、 縄文人のHLAの1つではなく、 渡来人のHLAの1つ。 もし、 亜種を含めたら数倍になる、 朝鮮人の最多ハプロタイプで、関西人の準最多ハプロタイプ・B44−DR13が、 縄文人のHLAの1つなら、 朝鮮人・関西人は、アイヌ人・沖縄人と同じ縄文系という事になるが、 朝鮮人に縄文顔の人は、10人に2人位、 関西人に縄文顔の人は、10人に1人位しかいなく、 マイナーな存在。
953 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/21(日) 01:34:59 ID:koboC0Au
縄文人のmtDNAは、琉球人=沖縄人=琉球系縄文人によく見られるタイプのmtDNAとして現れるが、
意外な事に、韓国人の方が、琉球人=沖縄人=琉球系縄文人のmtDNAが本州日本人より僅かに多い。
その分、本州日本人(伊東市)には、アイヌ人=アイヌ系縄文人のmtDNAが入ってくる。
アイヌ人=アイヌ系縄文人は東日本までは確実に南下した。
http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Yutenji/000115DNA.htm 東京大学名誉教授の埴原さんの分析では、縄文人と渡来系朝鮮人の混血率は、
近畿地方は渡来系朝鮮人9に対し縄文人1の割合だった。
全国の大学に保管してある現代人の頭骨を調査して統計処理してみると、
日本人全体からみれば近畿人の骨が異質な形態をしていた。
渡来系朝鮮人の影響が近畿では濃厚なのである。
954 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/21(日) 09:03:09 ID:MjKKB+O5
>>941 鎌倉時代人は長頭だが、非常に扁平な顔と反っ歯で、縄文時代人と形質は全く違う。
955 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/21(日) 19:38:00 ID:E2XLl6a+
長あまただらかいいってもんじゃないぞ。 堀が深くないと全然白人ぽくねーぞ 関東・東北人、実際西日本の田舎、都会でも いい内陸部にきてよく人の顔を 観察するといい。 本当にバタ臭い顔の古代人顔がそこら中に普通にいるよ。 おまえらは、常に伊戸の中の蛙 ただ、感覚でものをみて、いってるだけ、だけ、だーけ
956 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/21(日) 20:01:35 ID:Pe8Eaxkb
957 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/21(日) 20:07:22 ID:Pe8Eaxkb
日本に入ってきたのは朝鮮半島に定着せずに突き抜けて九州入りした 蒙古人を構成したのと同じ北方のツンギーデなのはmtDNAの数十万倍の 識別精度を誇るHLAハプロタイプから明白。
958 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/21(日) 23:28:33 ID:PhwdBUR2
少なくともアマテラスは九州の古代神ではないと思う。 菅原信仰、天満宮は古代信仰ではない。 筑前の宝満信仰から満をとり天を頭につけたというのが真実だろう。 おそらく天皇という称号も対中国の天子外交のため編み出されたのです。 宇宙最高神アメノミナカタヌシと関係してるのではないか? この神は政治的な意図で後付けされたものであり創造神だとおもう。 倭の政治は常に中国を意識している。 景行天皇の景行は魏志倭人伝、鏡などの 景初3年という文字を見て名付けた 可能性が高い。 三種の神器もおそらく対中国天子への対抗策。 宝満神、玉垂宮が九州のもっとも古いと思われる 古社としての謂われもそうですが、なによりこの 二つの神社は伝承が九州のみ?であり 小さい社まで含めると分布範囲が広く民間宗教的色合いが強いように思う。 政治的な意図を感じない。 九州の古代宗教に深く関係しているようである。 白日別、日下部、筑紫などの豪族ができた頃の 筑紫神社などは比較的新しい神社だと思われる。 出雲・大和の影響が九州に及んだまさにその時の神社ではないか? チクシ、日下部は八幡宇佐の豪族の末裔という風に 九州ではなっております。 そしてこの筑紫神社のある場所、 忌部、記氏の拠点 基山である。 景行天皇が基山の地を名付けたとなってるがおそらく 紀氏に深く関係しここでイソタケル、シロヒワケ、 チクシの名称が新たにつけられた気がする。
959 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/22(月) 13:33:05 ID:dcdS6+0Q
960 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/23(火) 09:22:15 ID:ugIqAZEI
九州の古代神
http://www.geocities.jp/gotos_room/_geo_contents_/tane.html http://www.dazaifutenmangu.or.jp/kamado/index.htm ▲種子島宇宙センター大崎射場(大型ロケット発射場)を望む。
古代へ!宝満神社と玉依姫と稲作の秘密
まずはいっきに古代へと時代を遡ってみましょう。
種子島の南部に創建年代がわからないほど古くから
この地にご鎮座される宝満神社があります。
御祭神は玉依姫。その昔、18人の従者を連れて
種子島の地にやって来たという伝説が残る女神です。
この玉依姫が持参していたものが赤米で、
それが日本の稲作発祥の地と言われる由縁となりました。
宝満神社は今でもオセマチと呼ばれる神田を持ち、
4月にはお田植の神事が執り行われるそうです。
玉依姫が伝えた赤米、ルーツはインドネシアの品種に
遡れるそうで、種子島には3万年以上前の立切遺跡や
縄文晩期の長崎鼻遺跡、弥生時代中期の広田遺跡と、
考古学的にもとても重要な遺跡が残っています。
太古の昔から人間が定住していたという証拠ですね。
玉依姫は一体いつこの地に現れたのかを空想しながら
島内の遺跡や神社巡りをするのも楽しいかも。
玉依姫の神威が今も伝えられる種子島は
日本一収穫の早い米どころでもあるそうです。
宝満神社には人の手が入らない聖域が今も残り、
参道をたどると種子島最大の淡水湖である
宝満の池にたどり着きます。稲作に水は不可欠ですし、
玉依姫は水の女神でもあったのかもしれません。
余談ですが、種子島宇宙センターのロケット打上げ時には
宇宙開発事業団の方が成功祈念にお参りするそうです。
961 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/24(水) 09:36:16 ID:+wvgpuEi
鎌倉・由比が浜で見つかった、多数の関東武士の頭骨を調べたら 長頭で彫りが深かったそうだ。 ブレイス博士の武士=縄文系の視点はなかなか興味深いものです。 鎌倉時代に由比ガ浜だったですか、大量の関東武士の骨が出てきて 学者が調べると、現代日本人と頭骨が著しく異なることがわかりました。 つまり、現代人が中頭〜短頭なのに、これらの武士は長頭だったのです。 いままで、日本人の小進化だと思ってましたが、これが縄文系だとすると 合点がいきます。 武士道とは弓馬の道で、弓の技術が尊ばれ、刀が武士の命となったのは、江戸時代 でした。弓といえばアイヌが弓の名手として有名です。 幕末から明治にかけて来日した欧米人が日本人には2種類の人々がいて、武士階級 は名誉を重んじ、威風堂々として礼儀正しい人々だと書き残している。 また、一般の人々とは容姿も異なり、武士は背が高く、中高の精悍な顔をしている と言っている。 絵巻物を見ても騎馬武者と兵卒では容姿が異なっている。 縄文人が、実は武士団に血統を色濃く残していたと 考えると、ブレイス博士の言ってることは、新鮮で興味深い。 形質は、その時代の環境によって大なり小なり変化するのだが、 人間においては混血でもない限り、その変化にも限界がある。 中国人は古代から現代まで一貫して中頭。 朝鮮人も三国志時代から短頭だったようだ。 日本人は短頭化が激しく、かなり変化しているが、 アイヌ人は古代から現代まで一貫して長頭だから、やはり日本人は環境からよりも、 混血によって形質が変化したと見て良いだろう。 特に20世紀以降の太平洋ベルト地帯に沿っての日本人の薄顔化・短頭化が著しいが、 これは朝鮮併合による在日朝鮮人の影響や、 朝鮮と同じで、薄顔地域・短頭地域である、濃尾平野から北九州の人々が、 鉄道などの交通機関の発達によって全国に拡散した影響だと考えられる。
962 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/24(水) 09:55:15 ID:NEmv/mmn
いやCanCamモデル 蛯ちゃん もえちゃん 頭が小さ くスタイル抜群! その辺に歩いてるデカイ重い頭の女の子違うね!
963 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/24(水) 15:36:17 ID:/rer/X/9
無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/24(水) 15:13:53 ID:/rer/X/9 脇なんて苗字も南関東に多いらしい。 これは九州に多い苗字、地名である。 甲斐と苗字も九州に極めて多く、 千葉氏が転封されたのも福岡、 千葉真一は福岡出身だがもしかすると千葉から移ってきたのかも もっとその辺について研究する必要があるだろう。 そもそも中央人が考えるほど北部九州と南部九州に 信仰、苗字、地名の傾向に違いない。 遺伝的にも極めて近いと思われる。 すべては中央人の先入観がもたらした偏見であり、 無知は無神経の始まりである。 北部九州と南部九州は渾然一体であり 一蓮托生の仲である。 全ては中央人(近畿関東人)の偏見と先入観と固定概念が作り上げた 妄想、でっち上げである。 宝満信仰は 筑前宝満山と種子島の宝満池周辺が 一つの信仰の中心地である。 全ての妄想は中央人(近畿関東人)作り上げた でっち上げである。
964 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/25(木) 00:27:47 ID:FWEZHS47
>>963 なんだよ北部九州と南部九州ってw
北カリフォルニアと南カルフォルニアみたいなもんか
∬ /  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ∫ ∧ ∧ < 東京で暮らしていると外国にいる気がしないニダ ~━⊂<`∀´ >つ-、 \____________________ /// 韓 /_/:::::/ |:::|/⊂ヽノ|:::| /」 / ̄ ̄旦 ̄ ̄ ̄/| /______/ | | | |-----------| | ●゙さん 私は、日本に来て最初は東京で生活しましたが、 東京とソウルはあまり変わらないのです。それで、 本当の日本を知りたくて京都に来ました。来て本当によかったと思っています。 tp://www.pref.kyoto.jp/koho/waiwai/kaisaigaiyou/no14/kaisai_syousai1.html
test
968 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/12(月) 02:49:23 ID:oW6FNKwe
日本人の50%位が持っていて、アイヌ人の90%位が持っている、 縄文人の固有遺伝子である「YAP+」を、朝鮮人は、1%位しか持っていない。 従って、朝鮮人は、縄文人の血を、ほとんど、ひいていない。 朝鮮半島の縄文人に似た人種は、縄文人ではなく、縄文人に似た南方モンゴロイド。 縄文人は、「YAP+」を持っており、長頭から中頭で、非絶壁頭。 南方モンゴロイドは、「YAP+」を持っておらず、短頭で、絶壁頭。 遺跡の分布の研究から、縄文人の90%近くが東海・北陸以東の東日本に住んでいた事が判明している。 西日本の縄文人遺伝子は、 鎌倉時代、江戸幕府樹立時等に、関東武士・東日本武士の一部が、西日本に移り住み、持ち込まれたもの。
969 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/12(月) 02:50:47 ID:oW6FNKwe
>鎌倉武士はアイヌと近縁である > > >アメリカから見た鎌倉:ブレイスのアイヌ−サムライ説 > > >1989年に、ミシガン大のローリング・ブレイス教授らは「Reflections on the Face of Japan」という論文をAmerican Journal of Physical Anthropologyに発表した。 > >この論文で、ブレイスらは、鎌倉の材木座・極楽寺付近から出土した1333年の鎌倉攻めの犠牲者人骨の歯のサイズと頭蓋骨計測データを用いて、 >鎌倉武士はアイヌと近縁であるという説を唱え、アメリカで注目を集めた。 > >今回、ブレイスの頭蓋骨計測データを新しい統計処理法を使って再分析した。 > >また、歯の計測データに関しては、ブレイスらは歯の合計面積の平均値のみを使って集団間の血縁関係を議論したが、 >今回は、個々の歯のサイズのデータを用いて多変量解析を行い、それらの結果を報告する。
970 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/12(月) 02:51:38 ID:oW6FNKwe
日本人と朝鮮人の見分け方 ※1 絶壁頭=短頭=朝鮮人 短髪・丸刈り頭にした時や、髪をゴムでまとめた時などに、 頭を横から見ると、 頭の前後の長さが上下間で、ほぼ同じで、 頭の後ろが、上下間で、ほぼ垂直に一直線になる。 頭を横から見ると、「□」形になる。 前←□→後ろ 非絶壁頭=長頭・長頭に近い中頭=日本人 短髪・丸刈り頭にした時や、髪をゴムでまとめた時などに、 頭を横から見ると、頭の後ろが、「つ」の字形になる。 前←つ→後ろ ※2 短頭=頭が左右に長く、前後に短い。頭を上から見ると正方形・正方形に近い・左右に長い長方形のどれかになる。=朝鮮人 長頭=頭が左右に短く、前後に長い。頭を上から見ると前後に長い長方形。=日本人 中頭=短頭と長頭の中間=日本人
971 :
↑アホ :2006/06/12(月) 10:11:02 ID:hjnPahku
朝鮮人は形質的に日本人と最もよく似た民族である。同じく黄色人種(モンゴロ イド)に属し、皮膚は黄色、毛および瞳(ひとみ)は暗色で、特有な偏平な顔と、 ひいでた頬(ほお)骨と、あまり高くない鼻の持主で、蒙古皺襞(しゅうへき) のために、つり上がったような目を有するものが多い。身長は大部分が世界諸 民族のうちでの中の下を示し、小部分が中に入る。そこで大部分が中の下、 小部分が小の身長の日本人よりも、大きいことになる。頭部は大部分が短頭、 小部分が超短頭に属する。日本人は大部分が短頭、小部分が中頭であるから、 朝鮮人のほうが短頭の程度が強いということになる。頭高は、世界中で最も高頭 の部に入る。頭が前後に短くて高いために、後頭部の円味をかき、横から見れば 偏平なのが多く、また他の周辺民族よりも頭の左右にゆがみのあるものの出現率 が高い。頭髪はモンゴロイド共通の性質として、かたく真直である。朝鮮人の 頭髪以外の体の発毛状態ことにあごひげと口ひげや陰毛は、日本人と比較すれば 一般にうすく、アポクリン腺の発達が不良なので、腋臭(わきが)は日本人より も少ないとされる。
972 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/12(月) 11:32:24 ID:md1Xxf+L
巨顔種類ほど醜いものもないWWW
形質的に似てないだろう。皮膚の色と神の色と目の色とか そんなのアジア全般に言える事。 日本人が朝鮮人と実質違うのは骨格、遺伝子。 朝鮮人はなで肩が多いが錨型はまず見られない。 日本には両方いる。 コーカソイドの先住民とアイヌとモンゴルとポリネシアが交ざった 日本人と、アイヌも小笠原のコーカソイドも歴史上いなかった 朝鮮人に一番近いと断言するのはいかがなものか。
974 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/12(月) 21:30:17 ID:RXTJNfGO
アイヌは弓の名手。 いわばロードオブザリングのオーランド・ブルームのようなもの。 アイヌの美青年自体がオーランド・ブルーム似。 白い肌、ヘイゼルグリーンの瞳、長身、長頭、厚い胸板、整った顔つき、波状毛、ゲルマン人のような彫の深い顔、 白人に匹敵する脳の容積、セクシーなボディ、温和、質実剛健、バイキングを連想させる長い髭。 東アジアで唯一ウィンクが様になる大きな瞳と二重瞼。 森と湖に住んでいた自然を愛するアーリア系北欧人種がアイヌ。 関東に入った直後から急に森が深くなり、アイヌ語由来の地名が点在し始める。 北上すればするほどそれはさらに強くなっていく。 そこにはかつて日本列島の主だった縄文人の痕跡が色濃く残る。
>>974 >関東に入った直後から急に森が深くなり、アイヌ語由来の地名が点在し始める。
軽蔑する朝鮮人と先祖が同じという事実が受け入れ難いとしても、
ファンタジーを捏造して嘘の歴史にすがるのは、まさに朝鮮人が得意な歴史捏造だろ?
>>974 >関東に入った直後から急に森が深くなり、アイヌ語由来の地名が点在し始める。
実際は朝鮮ばかり
977 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/18(日) 00:13:40 ID:Bjobc3hr
べトナミーもチョンも宇梶みたいに体格の良い アイヌにかかったら一撃で内臓ぶっ壊れて即死だな 世界一気高い狩猟民族であるアイヌとは違い 朝鮮人は毒がないとまともに戦えないほど卑怯 蛆虫以下の人間のクズ
978 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/18(日) 00:24:48 ID:Bjobc3hr
日本・琉球・アイヌ A型民族 朝鮮・中国・関西 B型民族 (DQN)
979 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/18(日) 00:29:31 ID:2AjqU7kh
アメリカ人が東洋人を見分ける方法 中国人=吊り目 日本人=しょうゆ目 彼らからするとどっちも醜い、知障に見えるということ
980 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :
2006/06/18(日) 00:42:57 ID:Iu/hrabo ウ ガヤ系の地名とかだろ関東はw ウドってなんで背が高いんだ にしても彼の顔どうも苦手