樺太・千島全般

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7名無しさん@お腹いっぱい。
1295年      日持上人、日蓮宗の布教活動のため渡樺

寛政十年(1798) 近藤重蔵が択捉島に「大日本恵土呂府」の標柱を建てる。

享和元年(1801) 富山元十郎が6月28日得撫島に「天長地久大日本属島」と記した標柱を建てる

文化五年(1808) 松田伝十郎が間宮林蔵と共に樺太探検。ラッカ岬(大陸側に突き出た樺太最西端の岬。北緯52度)に「大日本国国境」の標柱を建てる。

慶応元年(1865) 岡本監輔、西村伝九郎と共に樺太最北端ガオト岬に至り、「大日本領」と記した標柱を建てる