947 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/19 02:11:41 ID:7fJVOWZz
HLAでは朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人なんだなw
基地外じーさんには永遠に20年前の形質だけで余生を終わってもらって、
我々はどんどん次の未来の人類学に行きましょう。
関東に百済人や高句麗人が入植したのは、すでに関西が帰化人であふれて飽和常態だったから。
関東に入植したといっても先住民の方が多かったのは言うまでもない。
それに高句麗人や百済人は今の朝鮮人とは関係ない。
949 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/19 11:14:09 ID:eUF4O77r
高句麗人や百済人は宇宙人だとでもいうのか
950 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/19 11:20:27 ID:iyXVLyAv
古墳の日本に来た半島人は全部あわせても1万人にも満たないんだよ。
日本人口がすでに400万人のときなw
951 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/19 15:41:46 ID:oJ4EA5N7
>>945 古代関東は一面、森で、サバイバリティーの高かった狩猟民族・北方縄文人だから、なんとか食べて生活できていた。
そんな所に朝鮮帰化人が送りこまれても、全く生活できないだろう。
つまり、関東に送りこまれた朝鮮帰化人は、環境に適応できず自然消滅した。
関東人は、狩猟民族・北方縄文人の子孫だから、関東武士も、けた違いに強かった。
狩猟民族の子孫である、白人・黒人がサッカーに強いのは有名な話。
それに対して、関西兵・尾張兵が弱かったのは、農耕民族・朝鮮人の子孫だから。
大阪平野・濃尾平野は、朝鮮人顔が多いしね。
952 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/19 15:43:01 ID:oJ4EA5N7
各種計測から、
関西人を含む西日本人は、朝鮮人に近く、
関東人を含む東日本人は、北方縄文人≒白人に近い事が判明しています。
朝鮮部○周辺以外の、関東郊外に行くと、ひたいが広く長頭の人が圧倒的に多い。
関西朝鮮人・朝鮮人は、ひたいがせまく短頭。
関東人と、関西朝鮮人・朝鮮人は人種が全く違う。
どさくさに、まぎれて、関東人を仲間にしようとするな、薄汚い関西朝鮮人め。
手掌紋D線3型出現率から求めた朝鮮人との距離
朝鮮 0
近畿 0.007←関西はここ。ぶっちぎりで朝鮮人に近い。www
中部 0.012
中国 0.035
九州 0.035
四国 0.038
東京 0.048←関東はここ。
東北 0.068←東北はここ。
南西諸島 0.092
アイヌ 0.118
山口敏「日本人の顔と身体」より
縄文人と現代人の頭蓋計測に基づく、縄文人からのマラノビス距離では
縄文人≒白人0 アイヌ2.8 沖縄3.7 東北6.1 関東7.6 九州9.7 畿内10.2 朝鮮15.8
953 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/19 15:50:19 ID:6qVpGNgC
気の毒だけど中世以前の関東は、下層朝鮮人と、朝鮮人の流刑地だった。
954 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/19 16:09:51 ID:oJ4EA5N7
>>938 その頃の関東人は、天皇の臣下となっていたから、
朝廷の難民移住策を受け入れただけ。
朝廷の日本統一に対する反乱が、最後まで多かったのは北東北。
関西人といっても95%以上は、商人・農民・部○民・足軽などの子孫だよ。w
つまり、朝廷・幕府・大名に、こき使われていた貧民。ww
貴族=公家の子孫なんて1%以下。
先祖調査をすれば、わかる。
955 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/19 19:36:02 ID:OPWy7rgB
956 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/19 19:51:21 ID:wweERS3Z
その百済ないアド連続で貼り続けても意味ないから
957 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/20 06:35:48 ID:qS2xkS8h
>>951 >古代関東は一面、森で、サバイバリティーの高かった狩猟民族・北方縄文人だから、なんとか食べて生活できていた。
縄文人は多様なので、関東土人が、「北方」縄文人と断言はできないだろ。
そもそも、関東にも弥生遺跡が発見されている。縄文系だったかどうかさえ疑わしい。
>それに対して、関西兵・尾張兵が弱かったのは、
大和は、関東を含め日本全土を制覇している。
関東の土人たちも、大和に蹴散らされたという事。実に馬鹿馬鹿しい戯言と言える。
仮に、朝鮮人難民が来るまで、縄文人の関東土人が石器時代の生活を送っていたとすると、
森の食料供給量からして、人口はせいぜい5万程度。
大和に蹴散らされていたので、実際はもっと少なかったはず。(実際は、数千人程度か)
そこへ朝鮮人難民が大挙して関東に集められ、森を開拓、
人口を増やしたとなると、関東人の先祖は、純度の高い朝鮮人という事になる。
>>957 極論過ぎて小説にすらならない。
大和マンセーなら右翼団体の中でやってくれ。
>>957 もう歴史観が100年遅れているな。
最新の考古学を摘み食いしておきなさい。
関東に百済人や高句麗人が入植したのは、すでに関西が帰化人であふれて飽和常態だったから。
大雑把にいえば関東には高句麗系、関西には百済系が多かった(新羅系は全国的に少ない)
とはいえるが、どちらも先住民の方が多かったのは言うまでもない。
そこに入ってきた帰化人は平和的・友好的に先住民に融合・同化した。
それに高句麗人や百済人は今の朝鮮人とは関係ない。
>>960 >関東に百済人や高句麗人が入植したのは、すでに関西が帰化人であふれて飽和常態だったから。
そんな史実は無い。しかも関東へ移されたのは、藩国史観が強かったからだ。入植先は沼地などとんでもない荒地が多かった。
優遇されていたのならば、こんな仕打ちはしないだろう。
>大雑把にいえば関東には高句麗系、関西には百済系が多かった(新羅系は全国的に少ない)
これも厳密的に言えば、異なる。百済系が多かったのは初期だけで、後に全国へ拡散している。
関東にも東遷された。高句麗系が関東だと言い切るのにも無理がある。彼らは、日本海側や中部(長野など)にも拡散していし、
東北にも移動しているはずだ。新羅系が全国的に少ないわけが無い。なぜなら、新羅系も藩国史観から、関東へ多く移住させ
られているからだ。
>そこに入ってきた帰化人は平和的・友好的に先住民に融合・同化した。
東日本は比較的そうであったかもしれないが、それ以外ではこんな安易な考え方は出来ないだろう。なぜなら、出雲にいた新羅系
住民が大和民族に討たれ、中部→関東(埼玉周辺)に逃れてきているのだから。
962 :
名無し象は鼻がウナギだ!:05/02/21 20:08:34 ID:Z1J3JcKW
>>960 >どちらも先住民の方が多かったのは言うまでもない。
百済、高句麗難民が、関東に集められたとき、関東は原生林だったはず。
明らかに言えることは、先住者の人口は近畿のとは比較にならないほど少なかったということ。
963 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/21 20:13:44 ID:SsnLCP1R
パターンが変わらないよ〜漢民文化の絹(シルクロード)隔て栄え町が今に繋がる。 和服着物
964 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/21 21:22:22 ID:+Hp+6K+K
国内の縄文遺跡数は奈良文化財研究所の岡村道雄・協力調整官によると、
「全国で十万カ所」。このうちの約八五%が東日本に集中している。
965 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/21 21:23:04 ID:+Hp+6K+K
水田稲作が本格的に開始された弥生時代における人口を、遺跡の数から調べると、
弥生時代の人口は日本全体で約60万人、この数字は縄文時代の最大人口27万人の
約3倍弱です。地域別にみると、東北や関東地方では縄文時代における推定値と
それほど差がないのに、近畿、中国地方では20倍以上、四国、九州でも10倍以上と
著しい人口増加がみられます。縄文時代には東日本に人口が集中していたのに、
弥生時代になって西日本の人口が急激に増加し、東日本ではそれほどの増加が
みられない。
966 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/21 21:24:23 ID:+Hp+6K+K
全国各地の縄文・弥生の遺跡とその大きさ等から、単位辺りの人口を推定し
それをコンピュータに入れシミュレーションを行う。それによれば縄文時代の
日本の人口は、中期終末期から後期にかけて約30万人ほどであり、その大部分が
東日本に集中している。それが縄文晩期になると8万人弱まで落ち込んでしまう。
その原因はいろいろだが、最大の原因は一般には寒冷化だろうと考えられている。
落ち込んでしまった人口は、弥生時代になってなんと60万人に達するのである。
しかも、東日本と西日本の密度が逆転する。つまり弥生時代には人口の多くは西日本
に集中するのである。
967 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/21 22:01:15 ID:R5NIFkwJ
真の朝鮮人=関西人
>>961-962 入植者より先住民の方がはるかに多かったのは地名みても明らかだろう。
高麗郡や百済郡が存在しているが、逆にいえば
高麗郡でも百済郡でもない郡の方がはるかに多い。
>>961 >入植先は沼地などとんでもない荒地が多かった。
それこそ先住民が多かった証拠だろう。
>優遇されていたのならば、こんな仕打ちはしないだろう。
帰化人には開拓技術があったから投入されたんだよ。
>>大雑把にいえば関東には高句麗系、関西には百済系が多かった(新羅系は全国的に少ない)
>これも厳密的に言えば、異なる。百済系が多かったのは初期だけで、後に全国へ拡散している。
大雑把にいえば、と断ってるじゃん。厳密にいえばそりゃ細かいことはいろいろある罠。
>高句麗系が関東だと言い切るのにも無理がある。彼らは、日本海側や中部
>(長野など)にも拡散していし、東北にも移動しているはずだ。
細かい奴だな。関西・関東といったのはスレの流れで使っただけで西日本・東日本でいいよ。
>新羅系が全国的に少ないわけが無い。なぜなら、新羅系も藩国史観から、
>関東へ多く移住させられているからだ。
何逝ってるの? 百済人や高句麗人と比較すれば、絶対数で新羅人の少なさは否定しようもないよ。
>出雲にいた新羅系住民が大和民族に討たれ、中部→関東(埼玉周辺)に逃れてきているのだから。
え?そんな話あったか?西暦何年の話だよ???
その場合の新羅人は問題にするほどの人口数なんだろうな?
971 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/22 02:05:41 ID:nUhENnnv
>>969 高麗郡、新羅郡、百済郡以外の郡が、朝鮮人と関係無かったわけではない。
高句麗難民は、高麗郡ができる前から、関東に入ってきていた。
人がほとんど住んでいなかった、原生林と沼地だった関東を最初に開拓したのは、朝鮮人であると言われている。
>>971 なんにしろ先住民の方が多いよ。結局日本語しゃべってんだし。
973 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/22 02:18:01 ID:nUhENnnv
実際、朝鮮人所縁の郡ばっかりだったのではないのか。
ほとんどの住民が確実に大和民族、あるいは、縄文人だったという郡が関東にあったと言うのか?
もしそう主張するなら、書いてみろ。
974 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/22 02:23:02 ID:G8pavJeH
水田稲作が本格的に開始された弥生時代における人口を、遺跡の数から調べると、
弥生時代の人口は日本全体で約60万人、この数字は縄文時代の最大人口27万人の
約3倍弱です。地域別にみると、東北や関東地方では縄文時代における推定値と
それほど差がないのに、近畿、中国地方では20倍以上、四国、九州でも10倍以上と
著しい人口増加がみられます。縄文時代には東日本に人口が集中していたのに、
弥生時代になって西日本の人口が急激に増加し、東日本ではそれほどの増加が
みられない。
975 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/22 04:06:32 ID:G8pavJeH
976 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/22 04:28:47 ID:QAvIrpRw
昔に舟で渡って永住してるから心配ないですよ。
>>970 >帰化人には開拓技術があったから投入されたんだよ。
そうなれば、未だ未開発の畿内の周辺において置くべきだろう。
>何逝ってるの? 百済人や高句麗人と比較すれば、絶対数で新羅人の少なさは否定しようもないよ。
新羅人の少なさを証明してもらいたいのだが(苦笑)。関東を見ると、新羅の名残を多数残している。
埼玉で言えば、周知の新羅郡(現新座市)、和光市、埼玉北部一帯の幡羅郡などであるが、この他にも荒が付く場所等には
多く新羅系住民が移住させられている。埼玉の深谷などは新羅系住人のごく小さい小型円墳が森の中などに散在しており、
原郷は、これらの人達が固まって居住していたとも言われている。原郷一帯の人達は、皆「原」という姓であった。
>え?そんな話あったか?西暦何年の話だよ???
>その場合の新羅人は問題にするほどの人口数なんだろうな?
そんな事も知らんようで語るなヴォケ。
978 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/22 13:54:56 ID:dgWe9CHa
>>972 西日本と違って訛りが朝鮮語に似てるわけだが・・・
979 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/22 15:48:02 ID:QAvIrpRw
関西=朝鮮との表現のパターンも飽きねぇ〜か?
980 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/22 15:59:23 ID:HinkPET+
だったら
関西人 = 朝鮮人
981 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/22 16:03:11 ID:QAvIrpRw
↑お前さんもシツコイナ〜!
日常生活同じ事をして嫌われるB型タイプの典型だな
>>978 東北弁・北関東弁は韓国語に似た鼻音を濁らせた発音・名残が混ざってる。
これの事だろう?
鼻音を濁らせた発音ってのは、おそらく出わたりの鼻音がある有声音
(窓を[mando]のように発音する、ただしdの前のnはあとの音と一緒に発音されるため、
「まど」と「まんど」の中間ぐらいの音に聞こえる)のことでしょう。
確かに韓国語の鼻音はそういう発音をすることが多いのですが、これで発音するのは
nやmのような「鼻音」であり、東北弁のように「有声(破裂)音」ではありません。
また、確かに韓国語の「平音」は東北弁のように語中で有声音になるのですが
これは韓国語の音の中で「有声」で特徴づけられる音(要するに濁音)が存在しないので
息の出し方が一番プレーンな音(無気音)が有声音で発音されても大丈夫、という現象です。
東北弁の「訛り」とは似ているのですが、こちらは有声音が鼻音化して発音される地域では
無声音が有声音として発音されても大丈夫という現象ですし、また鼻音化が起こらない地域では
しばしば「的」と「窓」のような区別が曖昧になるといった「音韻衝突」が起こります。
実際にはイントネーションなどで微妙に区別されているのですが。
というわけで、一見2つは似ていますが、音韻システムの中で見ると簡単には「同じ現象」とはいえません。
音の特徴は、隣接している地域で話される言語同士、似ていることがあり、
単純には民族の移動とか言語の同系とかの証拠にはなりにくいのです。
同じような現象だったら出わたりの鼻音を持つ言語はアフリカにもたくさんありますし、
「訛り」に近い現象は中国の官話にも見られます(これは韓国語の有声化とほぼ同じ理由です)。
要するに、「ただ似ているだけ」の可能性が強いのです。
新羅の住民が東北に移動したなら、音の特徴よりも語彙に類似点がはっきり残ると思われ、
そのような例が見つからなければ「他人の空似」といわざるを得ません。
古代の大和朝廷では朝鮮との外交交渉で通訳を使ったという記録がないので
当時の日本語と朝鮮半島の言葉は通訳なしで通じるほど似たものであったと
いう説を見かけますが、これについてはどう考えたらいいのでしょう。
可能性としては、
(a) 互いに通じるほど言葉が似ていた。
(b) 交渉当事者が相手の言葉を学んで知っていたので通訳は不要であった。
(c) 何らかの理由で通訳を使ったという事が記録されなかった。
(d)百済にいた人たちは日本語をしゃべっていた。
(e)交易語として漢語を使っていたので無問題
(f) 古代の半島在住諸部族の使用言語と現代朝鮮語では大きな断絶がある。
などが考えられるでしょうが、
現在では日本語と朝鮮語の基礎語彙は似ていないし、万葉集はとても朝鮮語で
読めそうもないので、1500年ほど前には似ていたとする (a) の考え方は
成り立ちそうもないように思われるのですが。
そりゃあ通訳を使ったという記録はないかも知れませんが、だからと言って
通訳が要らなかったと考えるのはあまりにも短絡的です。むしろ通訳を使う
のが当たり前だったから、そのことを殊更に記述しなかったと考えた方が自然
でしょう。現代でも、日本国の首相が通訳なしで海外の首脳と会談をしたなら
ニュースになりますが、通訳を介して首脳会談をしたからと言って、そんなこと
あまりにも当たり前過ぎて誰も通訳のことに触れたりはしないはずです。
ま、(a)〜(c)の選択肢の中から強いて選ぶとすれば、(c)が最も正解に近いと
いうことになるでしょうね。
更にmachinaさんの挙げた選択肢も含めれば、(e)も正解に付け加えるべき
でしょう。当時漢語は今の英語のような世界共通語的存在だったわけですから、
通訳官は新羅語や波斯語など一言もしゃべれなくてもモーマンタイ。相手が
漢語をしゃべれさえすれば新羅人やペルシャ人とだって意志の疎通は可能
だったはずです。日本も白鳳時代の頃まではまだ半島の諸国家と直接交渉
する機会も多く、また半島系の帰化人の数も多かったので、半島の言語を
話せる人間はそれなりに貴重な存在だったでしょうが、白村江の戦い以降、
半島と疎遠になり、代わりに大陸と直接交渉する機会が増えた結果、半島の
言語は学ぶ価値なしとして忘れ去られ、奈良時代以降は通訳官が知っている
べき外国語は漢語のみになったものと思われます。
ついでに、『日本書紀』には古代の日本人が半島の言語をどう思っていたのか
を記した記述もありますので、挙げておきます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
是歳(ことし)、復(また)、吉備海部直羽嶋を遣して、日羅を百濟に召(め)す。
羽嶋(はしま)、既(すで)に百濟に之(ゆ)きて、先(ま)づ私(ひそか)に日羅を
見むとして、獨(ひと)り自(みづか)ら家(いへ)の門底(かどもと)に向(ゆ)く。
俄(しばらく)ありて、家の裏(うち)より來(きた)る韓婦(からめのこ)有り。
韓語(からさひづり)を用(も)て言(い)はく、「汝(い)が根(ね)を、我(あ)が根の
内(うち)に入(い)れよ」といひて、即(すなは)ち人家去(かへり)ぬ。羽嶋、
便(たちまち)に其の意(こころ)を覺(さと)りて、後(しり)に隨(た)ちて入(い)る。
(敏達紀十二年)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
これを見る限り、吉備海部直羽嶋という人物は百済語を耳で聞いてその意味
を理解することができたようです。尤も、彼の一族の中には遭難した高句麗の
使いを朝廷の命によって故国に送り還しに行った者もおりますから、もともと朝鮮
とは関わりの深い一族であったようですし、彼自身もこのエピソードにあるように
日羅という百済生まれの日本人を密かに日本に召喚するという密命を帯びて百済
に渡って行くような人物ですから、上手下手はともかく、百済語くらいは話せたに
違いありません。
つまり外交官は意思疎通が何とか可能であったかもしれないとの事。
それより興味深いのは、「韓語(からさへづり)」という表現です。この表現は、当時
の日本人にとっては古代半島の言語(この場合は百済語)は鳥のさえずりに喩え
られるような存在であったことを意味します。『万葉集』に見える枕詞「さひづるや
(「さえずるよ」の意)」が「から(韓)」に掛かるのもまったく同じ発想に基づくものです。
『万葉集』には他に「さひづらふ(「さえずり続ける」の意)」という枕詞があり、これは
「漢(あや)」に掛かります。この「あや」は中国語でしょう。結局、普通の日本人に
とっては百済語も中国語も等しくわけのわからない音の羅列に過ぎなかったという
ことなのでしょうね。
ちなみに、『万葉集』には「鳥が鳴く」という枕詞もあり、「東国(あづま)」に掛かり
ますが、一説には東国の言葉が中央の人には鳥が鳴くように聞こえたからとも
言われています。『万葉集』の東歌・防人歌を見る限り、東国語は間違いなく日本語
の方言ですので、もしそうなら方言程度の違いであっても鳥の鳴き声に喩えられて
しまうわけで、百済語も同様でないとは限らないということになります。まぁこれは
あくまでも一説に過ぎず、他にも鶏が鳴くと夜が明け東から白み始めるからとも、
また「鶏が鳴くぞ、起きよ我夫(あづま)」からとも、鶏が鳴くと夜が明けることから
「あ」に掛かるなんて説もありますので、断定は出来ませんが。
渤海使と言いますと、日本側の記録ですよね。六国史のうちのどれかに
そういう記述があるのかな。『国史大辞典』によると、日本は敦賀や能登に
客館を設けて彼らを歓待したとありました。通訳を養成するとしたらそこで
しょうね。また、当初は日本側も遣渤海使を渤海に送ったりもしていますから、
通訳を養成する必要性もあったのでしょう。
>もう一つ、前スレに以下のような書き込みがありました。
おお、そう言えばのなめさんがそんなことを書いてましたねぇ。すっかり
忘れてました\(゜0゜(*)ノ☆6(`_´メ)9。
ところでその記録ですが、「対馬島の史生一員を停めて新羅訳語一人を
置く事」とありますので、むしろ弘仁四年の段階では都には新羅語を通訳
出来る人間が一人もいなかったことが裏付けられると思います。弘仁四年
というと813年ですから平安時代になってまだ間もない頃です。さしずめ
「白鳳は遠くなりにけり」ってとこですかね(w。
対馬人と新羅人の意思疎通には通訳が必要であったとの事。
988 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/22 22:51:25 ID:evX3j3/8
新羅人の入植したところは被差別部落になっているところが多くないか?
989 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/23 00:10:19 ID:Lklf8vl5
990 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/23 00:22:06 ID:3LbiyH8a
そろそろ次スレの季節だな
誰かよろ
991 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/23 00:25:20 ID:gA7WGT+b
その後朝廷は積極的に大陸から学者、技術者などを迎え、近畿地方は渡来人の中心になった。
また土着の縄文系集団を「同化」するため北に南にと遠征軍を派遣し、一部の地方には政府の
出先機関も設置された。渡来系の遺伝子はこのようにして徐々に拡散したが、縄文系と渡来系
との混血は近畿から離れるにつれて薄くなる。現代にもみられる日本人の地域性は、両集団の
混血の濃淡によって説明される。混血がほとんど、あるいはわずかしか起こらなかった北海道
と南西諸島に縄文系の特徴を濃厚に残す集団が住んでいることも、同じ論理によって説明する
ことができる。 (『日本人の骨とルーツ』角川書店、pp. 44-45)
992 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/23 00:43:48 ID:gA7WGT+b
身体的特徴による人種間距離測定
縄文人と現代人の頭蓋計測に基づくマハラノビス距離では
朝鮮15.8 畿内10.2 九州9.7 関東7.6 東北6.1 沖縄3.7 アイヌ2.8
手掌紋D線3型出現率から求めた朝鮮民族との距離は
朝鮮0 近畿0.007 中部0.012 中国地方0.035 九州0.035 四国0.038
東京0.048 東北0.068 南西諸島0.092 アイヌ0.118
分離型耳垂(いわゆる福耳)の出現率は
朝鮮32.6% 山口36.9 山陰地方37.4 四国41.7 九州44.1 近畿50.1
青森63.3 山形70.5 新潟72.8 奄美諸島77.2 アイヌ96.2
HB抗原の北方型の分布は
朝鮮100% 対馬100 福岡92 鹿児島90 鳥取86 岐阜86 岡山85 大阪79
高知75 新潟68 北海道(非アイヌ)68 東京67 茨城64 栃木61 秋田45
朝鮮民族との人種距離は東日本より西日本のほうが近いようです。
あと外見的特長は同じ日本人でも微妙に違うということがわかります。
頭蓋のマハラノビス距離の計測から、
畿内人が朝鮮民族から最も近い人種ということもわかりました。
993 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/23 00:45:39 ID:gA7WGT+b
頭蓋計測値によるマハラノビス距離
縄文人との距離
縄文−アイヌ 2.8
縄文−東北 6.1
縄文−関東 7.6
縄文−畿内 10.2
縄文−九州 9.7
縄文−沖縄 3.7
994 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/23 00:46:04 ID:Lklf8vl5
>>983 >>984 長ったらしい割には論点がズレたコピペ貼ってるな。
朝鮮人とは漢字で筆談できたって常識じゃないのか。
もっとも、文字が読めるのは、ある程度教養がある人間に限られていたわけだが。
関東に朝鮮人が何人住もうとその長と意思疎通できれば十分だったので問題なかったのだろう。
995 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/23 00:47:00 ID:gA7WGT+b
頭蓋計測値によるマハラノビス距離
縄文人との距離
縄文−アイヌ 2.8
縄文−東北 6.1
縄文−関東 7.6
縄文−畿内 10.2
縄文−九州 9.7
縄文−沖縄 3.7
縄文−朝鮮 15.8
縄文−華北 19.4
996 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
デブ死ねデブ死ねデブ死ねデブ死ねデブ死ねデブ死ねデブ死ねデブ死ねデブ死ねデブ死ねデブ死ねデブ死ねデブ死ねデブ死ねデブ死ねデブ死ねデブ死ねデブ死ねデブ死ねデブ死ねデブ死ねデブ死ねデブ死ねデブ死ね