スペインの「JAPON」という姓について考察

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87名無しさん@お腹いっぱい。
>>85
慶長遣欧使節の子孫たち? スペインの「日本」さん集う セビリアで催し
(2003.12.03 読売新聞)
 ◆ハポン姓、現在645人 40人が出席
 【セビリア(スペイン南西部)=池村俊郎】四百年近く前、仙台から太平洋と
大西洋を越えてローマにたどり着き、帰国した支倉常長一行のうち、随員数人が
途中のスペインにとどまったという説がある。その子孫と称する人々がハポン
(日本)姓を名乗り、スペイン南西部セビリア近郊にいる。日本大使館の呼びか
けでハポンさんたちが集合し、時間と空間を超えて日本―スペイン両国のきずな
を祝う催しがあった。
 セビリア南西郊外コリア・デル・リオ(人口二万四千人)市民ホールに一日、
集ったハポンさんは約四十人。地元で結成されたスペイン日本・支倉友好協会の
カルバハル・ハポン会長によると、「現在もハポン姓を持つ者が六百四十五人は
確認できている」という。市で一日から日本週間を開くことになり、ハポンさん
たちが集合することになった。
 昔からこの地にはハポン姓を名乗る人々がいた。一六二二年に農業従事のハポ
ン姓の男を記した古文書が、最古の記録とされる。
 その由来は、慶長遣欧使節にある。使節一行は一六一三年、仙台を出発し、メ
キシコ、スペイン経由で二年後にローマ法王に謁見(えっけん)。帰りもスペイ
ンに立ち寄った。その際、随員で五人がコリア・デル・リオ周辺に永住を決意し
たといわれる。
 居残った日本人随員がキリスト教洗礼を受ける際、姓をハポンとしたと推定さ
れ、その名が古文書や十七世紀の地元住民登録にあり、現代スペインのハポンさ
んの祖先といわれる。
88名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/05 17:29 ID:G/GI8Nmj
 駐スペイン田中克之大使は「学者たちは九割は間違いないといっており、それ
を尊重する方がロマンがあると思う」という。DNA遺伝子鑑定も本物、偽物を
区別し、摩擦を起こすので実施しない方向という。
 ハポンさんの一人、ホセ・ハポン・ハビジャさんはサッカー一部リーグの元審
判員。「自分を日本人の子孫と信じる。末えいであることを誇りたい」という。
 セビリアを中心とするアンダルシア地方はスペイン美人で名高い。祖父がハポ
ンさんの女子大生ベネディクタさん(22)は「居残る決意をしたのは女性が魅
力的だったからと祖父たちに聞かされた」という。
 ハポンさんの存在が注目され始めたのはほぼ十年前から。支倉ゆかりの宮城県
との友好関係が始まり、常長の像が日本から送られた。一九九六年にはハポン姓
の人が集まる最初の催しがあった。ハポンさんたちは「現代日本人の婿、嫁を大
歓迎」と呼びかけ、新たな交流の広がりを夢見ている。
 
〈慶長遣欧使節〉
 仙台藩主・伊達政宗が慶長18年(1613年)、スペイン領メキシコとの直
接交易を目指して派遣した外交使節。藩士・支倉常長ら約180人が木造帆船で
メキシコを経てスペイン、ローマに渡った。