>>718 自己レス。修正です。
誤「どこか」→正「303ページのどこか」
「語りの中の生活誌」(四宅)p191 kaparpe ita kaparpe itanki an=oro-roski 八重九郎の伝承5 p73 kaparpe ita kaparpe itanki uororoski
もうひとつ、雅語といわれる文体では、口語では考えにくい「抱合」があります。 それでいまひとつはっきりしない、っていう部分もありますよね。 四宅さんの伝承もどこまでが雅語でどこまでが口語なのかよくわからない。 八重九郎氏の資料についてはいわずもがな。 これはまあ、逆に「雅語の文法」をちゃんと考えないといけない、ってことでもありますが。 うーん、これはむしろチラ裏ですかね。
「sanca or ta mina」のような慣用表現「kaparpe ita(otcike) kaparpe itanki」と非慣用表現の語法上の相違点 釧路(八重) 慣用表現 uororoski 『八重九郎の伝承5』p73 白糠(四宅) 慣用表現 u-oro-roski 『語りの中の生活誌』p190 白糠(四宅) 慣用表現 an=oro-roski 『語りの中の生活誌』p191 白糠(貫塩) ★非慣用表現 an=eroskire 白糠町『アイヌ叙事詩サコロペ』(S53年) 貫塩キシ口述貫塩喜蔵筆録 ipakarip cinonnop本文p46 〜cikosotessam kani sintoko aneroskire enoankikiwa〜 ※cf白糠(四宅) 慣用表現か?uwor-roski 『人々の物語』p80 〜 kani-cise kani-casi uwor-roski〜 沙流方言 慣用表現 u(w)o-eroski 平賀エテノア他 沙流方言 ★非慣用表現 u(w)o-eroski 田村辞典 旭川(鹿田S15年) 慣用表現 an-u(w)o-eroshki 『アイヌ叙事詩神謡聖伝の研究』p407 以上から @「sanca or ta mina」のような慣用表現の場合、道東では -o-を使用するのに対し、 沙流旭川では-e-を用いる点 Aまた、同じ道東の白糠方言で、且つ同じ韻文表現であっても、慣用表現と 非慣用表現では接頭辞の使われ方が異なる。 ※について要調査 非慣用表現は沙流方言と同じく-e-を使用するが、慣用表現では-o-を使用する。 「sanca or ta mina」のような慣用表現は非慣用表現より、一般により古い語法である と考えられることから、-e-の使用よりも、-o-の使用の方が古いのでは? さらに目的語指示接頭辞e-とo-に意味上の相違があまり無い事と考え合わせると、 この-o-は目的語指示接頭辞ではなく、所属形形成語尾と考えるべきなのでは?
白糠(四宅) u-oro-roski / uwor-roski<u-(w)-or-roski
>>723 e/oについては諸研究者の了解とだいたい同じだと思います。
まあ、西方言のほうが基本的に新しい。東方言は基本的に古い、と。
ただ、細かく見ていくと「あれはどうだ、これはどうだ」となります。
それらがある程度うまく整理・説明ができれば、それこそ論文になりますね。
みんな面倒くさいのでほうってあるんですよね。
歴史的変化にあまり興味ない研究者も多いですし。
なお、最後の2行の仮説については、支持する現象が
ほかにあればとても面白いですね。
@orokus他動詞 〜を出たり入ったりする 『カラフトアイヌ語』p100 〜〜neya cise orokus wa episka’ene oha cise orokus〜〜 Aoro-kush 横切る バチェラー辞典p362 Bkaa’orokus他動詞 罠にかかる 方言辞典p113 cf okus他動詞 (着物)を裏返す 田村辞典 cf okush 裏返す バチェラー辞典p353 cf o-kus 裏返し 萱野辞典 cf hokus/okus 倒れる 方言辞典p133 とすると @ABのorokusは<or+o-kus(他動詞 〜を裏返す)ではなく <oro(所属形)+ kus(他動詞 〜を通る) なのでは?
e/oの接頭した自動詞は名詞の所属形(主語)+自動詞という 構造になっている自動詞と意味上からも平行的に考えられる(田村先生) とすれば、e/o(所属形とパラレル)+他動詞はOKで、 なぜ、名詞(所属形) +他動詞は×なのか? 『アイヌ語文法の基礎』(2008年)で、抱合の条件として 「動作主性の低さと特定性の低さ」を上げるのであれば、 e/o(所属形とパラレル)は、どのように考えるべきか? 課題です。
orokus樺太アイヌ語については、音節構造上orkusを立てられないので、難しいですね。 北海道方言のokusのo-は充当相ではなく、「尻」でしょうから、 or-o-kusという語形はなさそうです。あれば面白いですが。
確かに、そうですね。 バチェラー辞典は4版しか持っていませんので 何版から載っているのか分かりません。 初版あるいは2版に載っていなければ、樺太からでしょうか? 北海道にはないのかもしれません。 ただ、バチェラーはoro-kusをどこから持って来たのでしょう? ドブトボルスキーは持っていませんので分かりませんが。 uororoski あの山本氏の語彙集にあったのにはびっくりしました。 四宅さんの別資料も〜u-kani-cise u-kani-casi an=as-kar uwor-roski〜で やはりu-(w)oro-roski / u-(w)or-roski 両形あります。
>>729 残念ながらバチェラーの資料で樺太方言を区別する確実な方法はないと思いますね。
必ずしも文献から転載したわけではありませんから。
発話者記録つきの原稿でも出てこない限り難しいでしょう。
uwor-roskiという語形もよくわかりません。
まず-rr-という音連続は嫌われると思います。
次に意味が分かりません。roskiは名詞を2つまでしかとれず、
2つとる場合は、「〜が〜を立てる」の意になるはず。
であれば、roskiは場所をとれません。むしろ、
uwor-oroskiの聞き間違いなのではないでしょうか。
u kani cise 金の家
u kani casi 金のチャシ
an=asi-kar を私は立てて
uwororoski それらはそこに立ち並び
これらは雅語文体の常套句のはずですから、
uwororoskiは西方言のuworeroskiに対応する語形ではないでしょうか。
e/o+ roskiで、「場所」はe/oの目的語となり得る @目的語、A名詞+or ta、an(主語)=roski(他動詞) ですよね? もし無理な解釈をすれば、an(主語)=roski(他動詞)の目的語は、@であって、Aではない。 「抱合」に於ける(w)orは、roski(他動詞)が項数を要求する「文法上の目的語」ではなく、 「意味上の目的語」であり、単一語化した場合は、あくまで潜在的に目的語性を表示する に過ぎず、位置名詞の抱合では項数自体は変わらない。とすべきか? よく分からない。 手持ちの資料(音源未確認)から、勿論最終的には音源を確認するしかありませんが、 A u-(w)or-roskiの例 @〜u-kani-cise u-kani-casi an=as-kar uwor-roski〜『北海学園大学学園論集』54号p58 1973年採録分テープ北海道教育庁蔵(実は翌1974年3月14日採録のもの) A〜u-kani-cise u-kani-casi uwor-roski〜 『神々の物語』p71 @の別録音1971年藤村録音及び1972年札幌テレビ放送録音を基に補充 B〜 kani-cise kani-casi uwor-roski〜 『人々の物語』p80 C〜kani casi kani cise uwor roski〜 『創造の世界』103号p154 「人を堕落させる眠りの神の物語<別伝>12話」1971年8月25日録音 D〜u-kani-cine u-kani-cas u-(w)or-roski〜『北海学園大学学園論集』58号p49 E〜 kani-cise kani-casi u-(w)or-roski〜 同58号p51 Dの物語の別箇所 「ねむりの神の物語」1974年3月15日採録 釧路市立博物館蔵 B u-(w)oro-roskiの例 @〜kaparpe ita kaparpe itanki u-oro-roski〜『語りの中の生活誌』p190 「うら若いシヌタプカびとの話」 A〜kaparpe ita kaparpe itanki an=oro-roski〜『語りの中の生活誌』同話p191 B〜kaparpe ita kaparpe itanki u-oro-roski〜 『語りの中の生活誌』同話p244 C〜kaparpe ita kaparpe itanki u-oro-roski〜 『語りの中の生活誌』同話p248 D〜kani cas kani cise uworo roski〜『創造の世界』第7話(1995年) 「大飢饉から 人々を救ったカケスの物語」1971年藤村録音 E〜u-kani cise u-kani casi uworo roski〜『創造の世界』102号p165 「人を堕落させる眠りの神の物語 11話」S49年3月14日 山本文男氏録音 結局Aは同格で目的語が1つ、BはD、Eを除いて目的語が2つ。DEは所属形?
>>731 うーん……
or-roskiかor-oroskiか、という問題は文字資料だけでは決着がつきそうもないですね。
同じ人間が解釈している以上、同じ例が続くはずです。ほとんど同じ常套句ですし。
アイヌ語の動詞形成は、動詞語幹がとれる名詞の数と密接に結びついています。
位置名詞であろうが、普通名詞であろうが、動詞の項とならずに抱合される例が、
他に見つかれば、かなり面白いですね。
命題 「名詞語幹が動詞に抱合されると、その動詞が取り得る項数が1つ減る」 仮説 名詞語幹の抱合は、以下の順で許容性が段々と低くなります。 @ 他動詞の目的語(名詞語幹)を抱合する場合 A 自動詞の主語(名詞語幹)を抱合する場合 B 他動詞の主語(名詞語幹)を抱合する場合 この抱合の許容性が一番高い@の場合に、上記命題の例外が生じます。 (アイヌ語は動詞語幹が他動詞をも抱合する例があるので、非常に奥が深く面白い) 他動詞が目的語を抱合する場合、その動詞語幹は2項動詞に限られず3項動詞 (複他動詞、目的語を2つ取る)も含まれます。しかし3項動詞の抱合であっても、 取り得る目的語(名詞語幹)は1つだけで(要調査)、通常他の目的語は「外」に置かれます。 主語は通常1つですが、目的語は常に1つとは限られませんので、 A @のケースでは「抱合」が必要充分な機能を果たしているとはいえません。←必要性 B 位置名詞や部分普通名詞(人体名称等)は通常の普通名詞より独立性が低い。←許容性 とすると、A必要性及びB許容性の点で例外が生じ得る契機があることになります。 「項数不変」の事例 ★部分普通名詞(人体名称等) T en=parosuke他動詞 〜の食事の世話をする<osuke他動詞 (中川1996) cf 連他動詞 en=par e=osuke U yayparoyki自動詞(動詞価+1)「自分で口を糊する」 ⇒yay(−1)-par(−1)-oyki(+2)=(動詞価0)で、parは項数を減少させない可能性あり。 V ewparoyki他動詞(動詞価+2)「〜で互いに養いあう」 ⇒e(+1)-u(−1) -par(−1)-oyki(+2) =(動詞価+1)で、parは項数を減少させない可能性あり。 ★位置名詞 T 前述のu-(w)or-roski U ikaopas自動詞(動詞価+1) 「人を助ける」 ⇒i(−1)-ka(−1)-opas(+2)=(動詞価0)で、kaは項数を減少させない可能性あり。 V sikaopaste他動詞(動詞価+2)「〜に自分を助けてもらう」 ⇒si(−1)-ka(−1)-opas(+2)-te(+1) =(動詞価+1)で、kaは項数を減少させない可能性あり。 ただ、アイヌ叙事詩ユーカラ集Xp101〜tan poro chise tan poro chashi uworeroshki〜 の例からchise、chashi同格で目的語が1つの場合もe-roskiとなっている点をどう説明 するかが問題となります。項数不変を破格と見るか否かですが、例外事例から推測すると どのような環境で、そうなるかは不明ですが(要調査)、位置名詞等の名詞語幹の抱合の場合 「項数不変」「項数減少」の両方があり得ると思われます。今のところ、このような 「意味上の目的語」の場合、e/oの接頭は義務的ではないとしか言いようがありません。
いずれの例も、連動詞ですね。所有者・身体名称・動詞語幹 かそれに準ずる構成です。 その場合、身体名称部分が所有者をとるために一般的には「-1+1」になります。もちろん結果的には「0」です。 同じように、「頭」「尻」のe/oも結果的に動詞価を変化させません。 tuye他動詞 otuye他動詞 であり、otuyeは自動詞でも複他動詞でもありませんよね。
確かに連動詞ですが、 en=parosuke yayparoyki(=an) (a=)ewparoyki ikaopas(=an) (a=) sikaopasteで 人称接辞が前接後接して単一「抱合?」と思われる例です。 佐藤先生が指摘されているとおり「所有者・身体名称」であるなら、yayparが単独で、 用いられている必要があります。 「頭」「尻」のe/oも含めて、「所有者を項として取る形式」に上記parが該当すると した場合、「所属形」と同様に特定性を高め、「抱合」に於いては非特定性を指向する という仮説に反することになりはしないでしょうか? he/hoも含めて充当相の起源に関する通説との整合性も問題となるような気がします。 さらにa=uskaepaye<uska(他動詞+2)-e(充当相+1)-paye(自動詞+1)のような他動詞 抱合あるいは自動詞抱合でも、「抱合」に於いては動詞価の規制が厳格ではありません。 結局この問題は「項数不変」か「全体に対する部分」か、同一の事象の「対偶」関係に 過ぎないと思います。 「抱合」に於いては動詞価の規制が厳格ではないのなら、「部分」とするより個人的には @e/o、he/hoも含めて位置名詞、部分普通名詞(人体名称)には、「項数不変」「項数減少」の 両方がある A「抱合」に於いては非特定性を指向する 但し若干例外あり。 と2つの規則にまとめた方が単純明快なような気がしますが。 チラ裏ですが par-o-nukar-nukar他動詞〜の食べ物の世話をする <-nukar他動詞 萱野辞典 aw un unarpe(主語) ku=mitpo(目的語) par-o-nukar-nukar pe(名詞化辞) ne kusu ek kor〜 pe(名詞化辞)の存在からpar-o-nukar-nukar(他動詞)を「抱合」?と見なすことが可能なら 面白い例です。 アイヌ叙事詩ユーカラ集Xp187では多分書き間違いとは思いますが、こうなっています。 〜 kani chise kani chashi uweroroshki 〜
おっしゃるとおり、 >@e/o、he/hoも含めて位置名詞、部分普通名詞(人体名称)には、「項数不変」「項数減少」の 両方がある としてもいいと思いますよ。実際に語学としてやるときは、みんなそんな風に覚えていると思います。 名詞がe/oの所有者になっている、云々は「なぜ項数が変わらないのか」の説明にすぎませんし。 >A「抱合」に於いては非特定性を指向する 但し若干例外あり。 については、ご指摘の連動詞の例外の可能性などは面白いと思います。 樺太方言ではyay-名詞という形はけっこうあるので、北海道方言でも同じ現象があるというのは興味深い。 ただ、yaypar-が特定性を高めている、という考え方には賛成できません。 yayのような再帰詞は定/不定と無関係だと考えていますので。 もちろん、関係あるかもしれません。調べてみることが無駄だとは思いません。
確かに「yaypar-が特定性を高めている」というのは、はっきり言って苦しいです。 ただ、他動詞抱合あるいは自動詞抱合も含めて 「抱合」でも動詞価の規制を認めるのであれば、「所有者を項として取る形式」だからとの 説明は無理です。 統一的に説明するには、ゼロ項(項数不変)を認めるしかないのではないでしょうか?
>>737 なぜですか?名詞が名詞をとっているだけです。「名詞+名詞=合成名詞」が1項減らしているだけですよ。
途中でポストしてしまいました、すみません。 もちろん、先ほども述べたとおり、結果的に項数を変えていないのは確かです。 ですから、「動詞価計算上e/oは項数を変えない」というのは正しい。全くその通りでしょう。
註 (±0)は動詞価不増減 yay(−1)-par(−1)-oyki(+2)=(動詞価0) ⇒yay(−1)-par(±0)-oyki(+2)=(動詞価+1) a=uska(+2)-e(+1)-paye(+1) ⇒a=uska(±0)-e(+1)-paye(自動詞+1) =(動詞価+2) そして、ゼロ項(項数不変)を取る場合とは端的に「非具体性」です。 @位置名詞や部分普通名詞(人体名称)は「場所」と同じく「非具体的」であり、 A動詞語幹前項の他動詞や自動詞は「特定人」の動作ではなく、もはや普遍的な「人」の 「行態」(むしろ動名詞)に過ぎない点で、やはり「非具体的」です。 こうすれば、「抱合」に於いては非特定性を指向するとする仮説と整合すると考えます。
>>740 異論は全くありません。その通りだと思います。
ただ、「非具体的だからゼロ項」というのは端折りすぎだと思いますが。
位置名詞も身体名詞(e/o)も先行詞を必要とします。そのことを
「e/oは先行詞を必要とする分、非具体的である」
「ho/heは先行詞を必要としない分、具体的である」
と表現するだけなら、単なる言い換えにすぎないような気がします。
おっしゃるとおりそこが難しいのです。
horopsekar他動詞(+2) [(h)or-o-p](-1)-se(+2)-kar(自→他 +1)= 動詞価(+2) h→φ ○ φ→h × で h→φとならない方言を前提として o(+1)/ho(±0)と併行的に考えると 語頭のh音付加は、 「抱合」に於いては、動詞語幹前項が (±0) ゼロ項を指向するものか? cf or(o)-oytak連他動詞 or(o)-utaspa連他動詞 とすると 連他動詞 φ→φ 抱合 φ→h か?
cf horopse/oropse(+2) [(h)or-o-p] (±0?) -se(+2) = 動詞価(+2)
動詞価計算の機械的適用? A horopsekar/oropsekar動詞価(+2) @[(h)or-o-p](-1)-se(+2)-kar(自→他 +1)動詞価(+2)=(h)oropsekar動詞価(+2) ○ A[(h)or-o-p (擬音) -se] (+1) -kar(自→他 +1) 動詞価(+2)=(h)oropsekar動詞価(+2) ○ B horopse/oropse動詞価(+2) @[(h)or-o-p (擬音) -se] (+1) 動詞価(+1)≠(h)oropse動詞価(+2) × A[(h)or-o-p](-1) -se(+2) 動詞価(+1) ≠(h)oropse動詞価(+2) × B[(h)or-o-p] (±0) -se(+2) 動詞価(+2)=(h)oropse動詞価(+2) ○ 仮に C(h)or(-1) -o(+3★) -p(-1?) -se(+2★) 動詞価(+3)≠(h)oropse動詞価(+2) × D(h)or(-1) -o(+2★) -p(-1) -se(+2★) 動詞価(+2)=(h)oropse動詞価(+2) ○? しかし CDでは(動詞)語幹(★)が2つになってしまい 人称接辞が付加する語幹が2個の連他動詞と結果的に同じことになる? この点 T (h)oropsekar/(h)oropseはアクセント核が1つであり U sayo-oro(p)sekar=anも可能であることから「抱合」と見るべき。 以上から BはB、すなわち[(h)or-o-p] は(±0) ゼロ項となるのでは? [(h)or-o-p] (±0)⇔[(h)or-o-p](-1)が可能であるなら A とB両者が背馳しないのは、BはBで、Aは@[(h)or-o-p](-1)の場合か? とすると o/hoで、o周接構造分析的、ho抱合的 よって抱合⇒語頭音φ→hか?
+1なら問題なし
matkosanu
樺太horohse’ekara(+2)<?horohse(+1→転成?→名詞-1)- ’ekara(+3)。また田村辞典には horopsekar(+2) hopsekar(+2)しかなく、horopse(+1) hopse(+1)は今のところ存在しない? 自動詞としては不安定なのでしょうか?hopsekarが<hopseなのに対し、horopsekarは未分析のままです。 とすると(h)oropsekar (h)oropse両形ある八雲旭川名寄帯広(本別にoropsekarがある)は、 (h)oropse(+1)の可能性があるが、horopseしかない方言はどうなのであろうか? 「アイヌ語地名研究と言語学」(佐藤先生『アイヌ地名研究8』2005年)から iyono pukuru 「ものがたくさん入っている袋」千歳方言 i(「物を」対格)-(y)-o-no(接尾辞「非常に」)→(袋が) i-(物) を所有する ☆他動詞o(+2)は O(対象) L(場所) [A(動作主)…任意的] 通常2項必要とする T o(+2) O(主語) L(目的語)→「存在」→OがLにある U o(+2) O(目的語) L(主語) →「所有」→LがOを持つ iyono pukuruはUの例 ☆他動詞us(+2)も O(対象) L(場所)の 2項必要とする T us(+2) O(主語) L(目的語)→「存在」〜が群生する→例 kina-us-i U us (+2) O(目的語) L(主語) →「所有」→例 ker k-us私が靴を持つ(身につける) 「他動詞的存在動詞」ではT、Uの両構文あるとする。 o-so-us-i型地名に関して o(目的語)-so(主語)-us-iは、語構成が一般的に主語-目的語の順に並んでいるのに反し、 なぜso(主語)-o(目的語)-us-iとはならないのか? 佐藤先生は@「抱合」の場合 名詞所属形+他動詞はアイヌ語にはなく A所有者付加接頭辞e- 、o-はe-ca e-kay o-asin等の僅かな例外を除いて自動詞に接頭する。 従って、o-usでは他動詞の目的語になってしまい、アイヌ語文法上?忌避される。 そこで、so(−1)−us(+2)で自動詞化(+1)し、o-がそれに接頭したものとする。 しかし、これはBloomfieldのB「語は内部構成素と外部の語との照応を受けることができ ない」をアイヌ語の「抱合」にまで一律に適用したものであり自動詞転成ならともかく、 他動詞抱合の例からも、必然的なものでもないような気がします。 そもそもアイヌ語自体が名詞にマーカーを付けない典型的な主要部標示型言語である以上 o(+2)やus (+2)は単に「2項を必要とし、そのうちの1つは場所である」事以上あるいは その事未満の情報は本来表示しないはずです。また先生も暗に指摘されていますが、 iyoの如くTU両構文の存在が「有生物」や「他動詞的存在動詞」に限られないとするなら T、Uの構文は「意味上」の相違にしか過ぎないのではないでしょうか?もしそうである なら、アイヌ語文法上の忌避と考えなくとも、e-〜-anが周接構造とすると、o-=-iである L(場所)が、O(目的語)であるsoを持つ(〜にある)でも構わないと思います。さらにAを回避する 佐藤説でも周接構造の動詞語幹前項に限って言えば、実質的にBに反するのではないでしょうか?
750 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/09/15(火) 21:06:14 ID:5irSTAP6
o-〜-i型に於ける@o-=-iすなわち周接構造及びAo-がゼロ項(±0)である事の証明 A oysiru他動詞(+2) 産卵後の尾がバサバサになった鮭 田村辞典 <o(〜の尾)-i(ものを)-siru(他動詞〜をこする) ⇒o-i[o-は「全体(-i)」の「部分」→o-(-1)⊂i-(-1)→項数は全体で] (−1)−siru(+2)=動詞価(+1) ⇒oysiru自動詞(+1)→転成→名詞(0) B T疑問 o-so-us-iはなぜo-i- so-usとはならないのか? o-i- so-usの場合 仮にo-(-1)⊂i-(-1) =(−1)としても ⇒ [o-i] (−1) so(−1)us(+2)= 動詞価(0)で自動詞の転成を介さなくても「名詞」となり得る。 従って、動詞価計算上は問題がない。 ただ、[o-i]= o-(-1)⊂i-(-1) =(−1)とすると「全体(-i)」に対する特定された「部分(o-)」に なってしまう。 そこで、o-〜-iと「分離」 とするならo-と-iは「同格」と解釈すべき。(もちろんo-は意味的には「尻」であって 「同格」ではあるが、「同義」ではない。この点Aは「文法」上も「部分」を表示する。 模式化すればAは「文法」上「部分」、Bは「意味」上「部分」を表わすに過ぎない。) よってo-=-i L(場所)…………@ →→→→→→→→→→→→→→ 「o-=-iであるL(場所)が、O(目的語)であるsoを持つ」 U次にo-=-iとして、o-so-us-iの動詞価を計算すると @のo-=-i L(場所)から、[o-=-i](−1)so(−1) us(+2) = 動詞価(0)で計算上は問題がない。 ただ[o-=-i]をo-(-1)⊂i-(-1) →(−1)とするなら、Aの[o-i]→ o-(-1)⊂i-(-1) →(−1) すなわち 「全体(-i)」に対する「部分(o-)」と同じことになってしまう。 そこで、Aの[o-i] → o-(-1)⊂i-(-1) →(−1) とは異なり [o-=-i] (−1)⇒o-(±0)〜-i (−1) と考えるべき。 よってo-はゼロ項(±0)…………A ただoykus←相違→hokusから、Bと同様にo-と-y(i)「同格」でo-(±0)―-i (−1)と考える なら、Aもまたo-と-i「同格」でゼロ項を認めてo-(±0)―-i (−1) −siru(+2)となるのか? Vさらにo-をゼロ項(±0)とするとusの動詞価計算はusの後項に影響されることになる。 もしo-〜-iとe-〜-anを併行的に考えることが許されるのなら(アイヌ語は人称接辞の 屈折による周接構造により、その「対象」を「語」に明示できる)、動詞語幹前項に 所属形(人称形 屈折?)が現れてもおかしくはないのでは? cf Bloomfield「語は内部構成素と外部の語との照応を受けることができない」
>>750 一行抜けてました。
「もちろんoykusの場合は<o-(+1)− [i-(-1)−kus(+2)]と解釈可能ですが」
o-(+1)ではなくo-(±0)。 <o-(±0)−[i-(-1)−kus(+2)]
>>749-752 ○ o-so-us-i
× so-o-us-i
が「意味上の違い」という説には賛成したいですね。
eseturuhu hemanta us「お前の背中に 何が ある」(萱野辞書)
aynu ker us「人が 靴を はく」のように
us は 場所・物・usの順でつきます(あるいは主語・目的語・動詞といってもいい)。
o-so-usは「尻に・滝が・ある」の意味なのではないでしょうか。
so-o-usだと「滝に・尻が・ある」の意味になります。意味的にこちらなだけでは?
ka(si) o-us「上に 尻が・ある」が可能である以上、
so o-us「滝に 尻が・ある」も文法的には可能なんじゃないかと思います。
oysiruは o-i-siru「尾が・それ(川底)を・こする」
→「-1-1+2=0」という文ですが、oが先行詞を要求するために
→「0-1+0=+1」になります。
もちろん、*oysirupという語形になってもよかったはずです。
同じような名詞はけっこうありますよね。
tukisar-us「2つの耳・がついている」→ウサギ
kamuyotop-us「美しい髪・がついている」(人名)
humi-ruy「その声・が大きい」→エゾライチョウ
これらは「+1は名詞に転用可」でも説明できそうです。
とくに、humi-ruyなんかはまさに「先行詞を要求するから全体で+1」の例じゃないでしょうか。
もちろん「humiは動詞価±0」でもいいですけど。
>>753 自己レス
すみません、誤記がありました。9行目
誤 so-o-usだと「滝に・尻が・ある」の意味になります。意味的にこちらなだけでは?
正 so-o-usだと「滝に・尻が・ある」の意味になります。意味的にこちらが忌避されるだけでは?
>so-o-usだと「滝に・尻が・ある」の意味になります。意味的にこちらが忌避されるだけでは?
>>753 同意です。文法上の忌避ではなく意味上の忌避だと思います。
A………o-i-型 oysiru<o-i-siru
T o-(-1)⊂i-(-1) ⇒Σ[o- -i] (−1)−siru(+2)=動詞価(+1)→自動詞転成→名詞(0)
U PRE >>o- ⇒Σ[o-i-siru] (+1) =動詞価(+1)→自動詞転成→名詞(0)
V Σ[o-=-i] (−1) ⇒o-(±0) −-i (−1) −siru(+2)=動詞価(+1)→自動詞転成→名詞(0)
W o- (±0) −[-i (−1) −siru(+2)] =動詞価(+1)→自動詞転成→名詞(0)
B………o-〜-i型 o-so-us-i
昨日言いかけたA型Wを含めてA型に於けるT〜Wのケースを考えてみました。
TUVは意味上の違い(先述しましたようにAとBには文法上の相違があるが、
A型内部では)に過ぎず、また自動詞にo-が付加したWも同様かもしれません。
このうちUとVは実質上同じで、動詞価計算上の解釈の相違に過ぎません。
Vは(±0)を導入した場合、Uは(±0)を導入せずに解釈した場合です。
それではAとBの違いは?
Bのo-〜-i型であるo-so-us-iは一見すると、-iを修飾する関係節的な構文です。
しかしアイヌ語における修飾語がたいてい名詞連体詞自動詞等である点を重視すると、
先行するo-so-usが単独で自動詞なり名詞として機能していなくてはなりません(句は別)。
もちろん表記上の問題もありますが、o-so-usが単独で出現する例はあまりありません。
とすると
確かに関係節的な構文ですが、動詞語幹後項に「後行詞」を要求する場合は
やはり「周接構造」とみるべきであり、A型内部が意味上の相違に過ぎないのに対し、
同じように「同格?」であるBとAVの間には、文法上の相違がある?と考えています。
以下余談……「擬音」とすれば簡単ですが
名詞化辞i〜 hi 接頭辞o / ho ⇒「φ→h」なら
位置名詞 oro-o-p △
位置名詞? hor-o-p ? cf名詞(場所) (w)or-o-p トビゲラの一種の幼虫
>>755 Bというのはo-so-us-i
AIIIというのはo-i-siru
ですよね?
で、Bは「周接構造」つまり 「-i が義務的に要求される」 という主張ですよね。
それは結構むずかしくないですか。
*o-so-us「主語・目的語・他動詞」
o-makiri-us「主語・目的語・他動詞」=「ツユムシ」
o-i-siru「主語・目的語・他動詞」
は同じ構造をしており、
o-so-us-i に -i が要求されるのは「周接という統語論的に別の現象だから」ではなく、
たんに地名だから、という意味的なレベルだと思うのですが。
「o-makiri-us の o- と o-so-us-i の o- は別モノであり、後者は o-〜-i という接周辞の一部だ」
と主張するためには o-makiri-us と o-so-us の間に構造的な違いがあることを示さなくてはなりませんが、
違いなんてあるんでしょうか?
omakirus<o(主語S)- makiri(目的語O)- us(他動詞V(+2))の問題 以下自動詞転成名詞ではなく、「純粋」な名詞を検討対象にします。 A oysiru<o-i-siruの分析から V Σ[o-=-i] (−1) ⇒o-(±0) −-i (−1) −siru(+2)=動詞価(+1)→自動詞転成→名詞(0) W o- (±0) −[-i (−1) −siru(+2)] =動詞価(+1)→自動詞転成→名詞(0) AVを前提に(o-=-i)∧o- (±0) ⇒φ(S)+O+V(+2)+N≒O+V(+2)+Nで 本来ならNが必要なはず。 ☆可能性その1 主要部標示型言語であるアイヌ語では、us(+2)は「O(対象) L(場所)の2項必要とする」 以上の情報は有しない。従って主語−述語は「意味@」あるいは「語順A」で示すほかない。 menoko otcike kik……@ seta cikap koyki……A 他方、金子先生によればアイヌ語の「周接構造」はチュクチ語等と比較して強くはない。 また「周接構造」自体も語構成に於ける一般的「語順」にも反する。 そこで、e=〜 =an /ane=から 周接構造である人称接辞e=〜 =anにも「語順」の規制からか? ane=があるように o-〜-i型でも「語順」の規制がはたらき、S+O+V(+2)+φ(N)の語形を許容した? 省略 ※1 名詞 oysiru(-cep) 「産卵後の尾がバサバサになった鮭」 省略 ※2 名詞 opankaus<o-pan-kuwa-us-(kamuy) 「後足の長いクマ」 例外 ※3 名詞 omakirus 「エゾツユムシ」 ☆可能性その2 S+O+V(+2)は上記AV(o-と-iが同格で、自動詞化(AW)を認めない見解。先日AVと AWをわざわざ分けたのはこの為)を前提とすると、 「抱合」に於ける例外事象である他動詞主語の抱合を認めることになる。 そこで ⇒φ(S)+O+V(+2)+N≒O+V(+2)+N 佐藤先生によれば千歳方言辞典中O+V(+2)+N型で主語述語関係が認められるものは amam-e-cikap等すべて神名、動植物名、役職名で合計10例のみ。 とすれば S+O+V(+2)⇒φ(S)+O+V(+2)+(N)と解することが可能であれば もしかしたら、同じような傾向になるのでは? たとえば※1〜※3は動物名、神名 とすると統語論的には※1〜※3から分裂能格型言語のように「無生物」の場合は、 動詞語幹後項の「本来的」主語要素の有標化が義務的になるのではないでしょうか?
補足1 可能性その2は、厳密には論理的に「対偶」関係とは言い切れませんが O+V(+2)+N(S)型⇔S+O+V(+2)型 ∵O、V、Sの位置および順が異なる。 ⇒ ∴「有生物」は例外を生じる⇔「無生物」は義務的 補足2 「先日AVとAWをわざわざ分けたのはこの為」とは簡単に模式化すると A型T〜Wのうち U≒VでTUVは計算上( )を使わないのに対し、Wは( )を使う。
おお、ようやく話が面白くなってきた。 >「無生物」の場合は、 動詞語幹後項の「本来的」主語要素の有標化が義務的になる これはありそうですね。アイヌ語は生物/無生物の区別があまりない、という点が特徴だと 思ってきましたが、案外こんなところにあったりして。
自動詞の場合 はじめに、昨日書き忘れた「無生物」の例としてoyuspe<o-i-us-pe「酒杯」 A 事例 T kamuy(主語)-o-sinot(述語+1)-mintar(N) U yuk(主語)-o-san(述語+1)-nay(N) V tapkop(主語)-e-an(述語+1)-nay(N) 従来の通説では o-, e-を付加し、動詞価(+1)⇒(+2)として初めて主語とN両方を取れるとしてきました。 しかしそれでは他動詞主語の抱合を認めることになり、また以下の自動詞(+1)「抱合」の例を 考慮に入れると、それでは不十分です。 B 事例 @尾白内川オシララナイ<o-sirar(主語)-an(述語+1)- nay (N) Aオサルカンナイ<o-sarki(主語)-an(述語+1)-nay(N) B尾猿内オサラナイ<o-sar(主語)-an(述語+1)-nay(N) この場合o-,e-を付加していないにも係わらず主語とN両方を取っているように見えます。 ここで、ゼロ項(±0)を導入すると @Aのo-は主格対格以外の「斜格(場所)」(以下この意味で使用)を表現することが可能です。 すなわち@〜Bではo-=-nay(N)を示します。 これをAの事例に適用すると以下のようになります。 TUのo-、Vのe-はいずれもゼロ項(±0)で動詞価(+1)を(+2)としません。 とすると、構文上A≒Bとなります。 もしこれが可能であれば、TUのo-、Vのe-は「斜格」を表現することが可能となり ATの-o-=mintar(N) AUの-o-=-nay(N) AVの-e-=-nay(N)となります。 とすれば昨日証明した「周接構造」であり、且つ以上の事例はすべて「無生物」ですので、 C 結論 次のように集約できます。 『「無生物」の場合、「他」動詞語幹の後項には「本来的」主語要素の有標化が 「自」動詞語幹の後項には「斜格」的要素の有標化が義務的になる。』 そしてこれは千年以上前に遡り得ると考えます。以前邑良志別と比定した旧本吉町には 「狼の巣(おいのす)」o-inaw-us-iがあり、また「有生物」の例外が僅かなことから もしかしたら「有生物」も同様で、元来アイヌ語は能格型だったのかもしれません。 最後に (1)i-ru-o-nay ⇒佐藤先生はi-sapa-kik-ni同様i-ruを目的語的に解釈していますが、 これもCの原則を適用するとi-=-nayで「主語」になると考えます。 (2)i-sapa-kik-ni⇒切替先生はi-sapaは目的語で-niは道具であり、主語相当要素ではなく 「擬似修飾語構造(主語を欠く自動詞的形式と二次的構成的な名詞との結合)」としています。 しかし(2)も(1)と同様に語構成に於ける語順を重視するとi-=-niで、あくまでも主語であって、 道具というのは「意味」上の相違にすぎず、「擬似修飾語構造」なる概念は不要と考えています。 残された課題はi-を(±0)とする点ですが、周接構造の場合は[i-=N](±0)であり可能と考えます。
>@尾白内川オシララナイ<o-sirar(主語)-an(述語+1)- nay (N) >Aオサルカンナイ<o-sarki(主語)-an(述語+1)-nay(N) >B尾猿内オサラナイ<o-sar(主語)-an(述語+1)-nay(N) これらはむしろ復元が誤っている可能性が高いですね。 -anではなく-unでしょう。
イソサンヌプリ<e(±0)-so(主語)-san(述語+1)-nupuri(N) ソウサンベツ<so(主語)-o(±0)-san(述語+1)-pet(N)
>>762 so-o-san のo-は充当相ではないですか?
e-so-san-nupuri の so-san は so-o-san かもしれまん。
>>761 @〜Bはやはり-anのようです。
>>763 >so-o-san のo-は充当相ではないですか?
>e-so-san-nupuri の so-san は so-o-san かもしれまん。
e-so-san-nupuriの場合so-o-sanとしたら、語頭のe-は必ずしも必要ではないですし
nupuriを後項に取るなら、むしろ-e-の方がふさわしいのでは?
もちろん、確かに充当相で、解釈の違いにすぎません。
しかし
そもそも充当相自体が印欧語のような名詞曲用動詞屈折をする典型的な二重標示型言語を
前提に、まず主語対格及び動詞の間の関係を決定し、それから、それ以外の要素を決定する
印欧語文法を念頭に置いたものではないでしょうか?
金田一京助『ユーカラの研究U』(昭和6年1月15日東洋文庫)
p134〜p139充当相の接辞-e- p139〜-o-
金田一博士喜寿記念 『アイヌ語研究』(昭和35年5月25日三省堂)
p136充当相の接辞-e- p142〜-o-
そこで
充当相は通常、先行詞を受けて使用するものであり、充当相が示す対象が
充当相接辞の後項に位置するケースを「他動詞」の場合と同様に「周接構造」とし、
ゼロ項(±0)導入を契機に、主要部標示型言語らしく、いわば「動詞」の方から
動詞自体の「情報」として
『「無生物」の場合、「他」動詞語幹の後項には「本来的」主語要素の有標化が
「自」動詞語幹の後項には「斜格」的要素の有標化が義務的になる。』
こう解釈しました。
>>764 (1) @ABは今手元に一次資料に近いものがないので、確実なことはいえませんが、
山田秀三『北海道の地名』を見る限り、語形はあやしい。anとは言い切れないと思います。
(2)*e-so-o-san-nupuri ならば問題は全くありません。o-sanは充当相による他動詞です。
e-とは無関係です。
(3)充当相とe-/he-「頭」、o-/ho-「尻」を同一視するのはかなりラディカルだと思いますね。少なくとも共時的に分析して「解釈の違い」というのは難しいのでは?
>>765 地名は表記の問題がありますから、
最終的にはネイティブに文法上可能か、確認するより方法がないですね。
結局ゼロ項(±0)を導入するということは、動詞価計算上同じ結果が得られれば
すべて「同一」と考えることであり、当然「ラディカル」になってしまいます。
換言すれば、「意味」上の違いの部分が多くなります。 例AのT〜W
たとえば他動詞us(+2)はO(対象) L(場所)の 2項を必要とし、「存在」と「所有」は
「意味」上の違いに過ぎないというのも、程度の差こそあれ「ラディカル」です。
「動詞価」概念の導入で主要部標示型言語にふさわしい文法記述に踏み出した訳ですから
それを突き詰めれば、早晩出て来るもの(ゼロ項 ±0)だと思います。
いったんゼロ項(±0)を認めれば、避けて通れない問題なのかもしれません。
簡単に模式化しますと @充当相とは動詞価計算上( )を使用する演算方法 Aゼロ項{(±0)[e-,o-=N]}とは( )を使用しない演算方法 B他動詞語幹(+2)にAを適用して、得られた結果を 解釈の妥当性は一先ず置いて、(+1)の場合にも適用した ということです。
>>766 >結局ゼロ項(±0)を導入するということは、動詞価計算上同じ結果が得られれば
すべて「同一」と考えることであり、
動詞価計算はそんなに便利なものではないと思いますけどね。結局、
*e-so-o-san-nupuriにe-が不要かどうかで判断が分かれてしまうのは、
立場の違いにすぎませんね。長いレスを読むのに疲れたのでちょっと休みます。
すみません。
>>768 すみません。非常に重要な点ですので書かせてください。簡潔にします。
*e-so-o-san-nupuri
(o-san他動詞+2)で、SOVの語順なら
e(φ主語)-so(目的語)-(o-san他動詞+2 )-nupuri(N 本来的主語)となり
e-=-nupuri(山の頭) …@
田村辞典にはサタモさんからの聞き取りで、もちろんo「尻」としていますが
以下の用例があります。
petosanputu<pet(主語)-(o-san自動詞+1)-putu(N所属形、即ち⊂pet)
pet≒putu(川の口) …A
@とAを「違う」とみるか「同じ」とみるか? 難しい問題です。
∵ { pet(主語)-(o-san自動詞+1) →N} -put(N概念形)ではなく -putu(N所属形、即ち⊂pet)であるのは pet≒putu petosanputu<pet(主語)-(o-san自動詞+1)-putu(N所属形、即ち⊂pet) …A yuk(主語)-o-san(述語+1)-nay(N) ……B もし( )を使ってAとBを整合的に解釈するなら Aはpet≒putu Bはyuk≠nay ∴Bのo-san(述語+1)は(o-san他動詞+2)と同音異義に考えます。 一方、「自」動詞語幹の後項には「斜格(場所)」的要素が有標化すると 考えれば ABともに「斜格(場所)」であり、どちらのo-も同じものとなります。
まとめ 動詞「語幹」の動詞価を基準(括弧を使わない)とし、主格目的格以外を「斜格」とすると @ 「抱合」 (e-,o-)−O−V(+2) −N(本来的主語) (e-,o-)=N 他動詞主語を忌避 ⇒ o(φS)-so(O)-us(+2)-i(N本来的主語) A 「非抱合」 S−O−N(斜格) −(e-,o-)−V(+2) (e-,o-)は先行詞を受ける ⇒ menoko(S) ni(O) suma(斜格) e-kik(+2) ×A’ 「抱合」 S−O−(e-,o-)−V(+2) −N(斜格) 他動詞主語を忌避 ⇒ 他動詞主語を認めると、あたかも二重人格を肯定することになってしまうから。 B 「非抱合」 S−N(斜格) −(e-,o-)−V(+1) (e-,o-)は先行詞を受ける ⇒ kamuy-kotan(S) to-teksam(斜格) e-an(+1) C 「抱合」 S−(e-,o-)−V(+1) −N(斜格) ⇒ pet(S)-o-san(+1)-putu(斜格) ?D 「抱合」 (e-,o-)−S−V(+1) −N(斜格) ⇒ ? e(φ斜格)-so(S)-san(+1)-nupuri(N斜格) 忌避される他動詞主語でもなく且つCの「抱合」が可能なら認める必要性は少ないのか? とすると @〜Cから、動詞「語幹」に接頭する場合は「斜格」、それ以外は「主語」を標示するのか?
772 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/09/23(水) 21:52:54 ID:BYybBfZL
遠軽の丸瀬布(マウレセップ)の地名解 某掲示板の地名解 mar(現代朝鮮語の馬) se(男)p 山田先生も未解決ですが、あまりに酷いので、自分なりの試案を敢えて アイヌ語は母音の前進的同化(『アイヌ語に於ける母音調和』)が多いことから e-rimse⇒e-remseで maw(-1)-e(+1)-remse(+1)-p(-1)<maw(-1)-e(+1)-rimse(+1)-p(-1) 地形 互いに20度以上の角度で河川が合流し、且つ角度の総和が120度以内で 前方に障害となる丘陵などがある多少開けた土地の場合 ちょうど桶に水を三方から注いだように、河川谷を下る風(気流)が渦を巻く可能性があります。 語分析 次に、このe-は(+1)に接頭しているので、e-は「斜格」を標示することになります。 この点ku(S)=turi(O-1)-e(+1)-cipo(+1) (もちろんcip(-1)-o(+2)と分析できますが 徹頭徹尾、括弧を使わないという訳にはいきませんので、cipo(+1)とします。) この場合turiはe-cipo(+2 〜で漕ぐ)の目的語で、対格の抱合ですが、 先述の分析に従えば、e(+1)-cipo(+1)でe-は「斜格」を標示することになります。 そして「斜格」の場合、通常「意味」的には「場所」あるいは「道具」を示します。 とすると この場合、「斜格」の示す対象が、-i(場所) ではなく、-pとなっている点を重視すれば 「風が舞う処」ではなく、意味的には「風が舞うようにしむける地形」と考えます。 「子の川が並んで、三つある広い処」というのは、ある具体的な特定の「地点」ではなく、 むしろ「地勢」を、そう表現しているのかもしれません。
>>772 もし括弧を使わないとしたら、すなわちcipo(+1)としないなら
>>771 の@〜C以外の第三類型として
e-cipo(+2 〜で漕ぐ)のような(e-,o-)−N −V(+2)型の中間形態があります。
たとえば、o-maw-suye(+2) o-nis-poso(+2) o-pe-kus(+2)等
cf o-so-us-iは動詞語幹後項にNを取るので別類型
この場合、ちょうど@〜Cが2類型(@本来的主語、A〜C斜格)に分かれるように
「意味」上、A及びBに分類できます。⇒文脈(動作主らしさ)によって決まります。
A (e-,o-)(非主格)−N(a) −V(+2) Na…動作主、「主」、有意性のある場合
B (e-,o-)(主語)−N(b) −V(+2) Nb…受動者、「従」、有意性のない場合
すなわち
⇒ Naの場合、前項の(e-,o-)の標示する対象は「非主格」
⇒ Nbの場合、前項の(e-,o-)の標示する対象は「主格」
turi(竿)-e-cip(舟)-o(+2)
turi(従)、cip(主)から、-e-は「非主格」⇒意味上は「道具」
とすると
>>771 のDはどうなのか? 「地名」からはありそうな気がしますが
ただ、表記の問題から地名は決め手にはなりません。正直分からないです。
地名の話題 カムチャツカ半島西岸のボリシャヤ川の北には、あまり知られていないがutkaという川がある。 もちろん南イテリメン語の川がkaw/kauなのでkaで終わる河川名はイテリメン語の可能性があるが また、北千島、カムチャツカにある地名としてライシャシがある。 面白い事に、北海道のオホーツク海沿岸北部にはライシャシがあり、その近くには エサヌカ川[<e(その頭が)-san(浜の方に出ている)-utka(浅瀬)]がある。 妄想だが 地名の癖から考えると、北千島、カムチャツカアイヌの故地は北海道の太平洋側ではなく、 (南千島アイヌは北海道の太平洋側が故地?)北海道のオホーツク海沿岸かも? 丸瀬布の別解 mo(小さい方の)-ure(脚が)-sep(広がっている) 難点 oとuの混同はあるが、oと aの混同は少ない。 比喩でureを使うのであれば、一つの川が途中で幾筋にも分かれるような地形の方がベター ここは黒曜石を産出する白滝や大量の鮭が遡上する上川盆地へのルート上で深い谷が特徴
775 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/23(金) 10:26:59 ID:XC6IGfn0
>771 「動詞語幹に前置されていれば斜格マーカー、それ以外は主語」 というのは文法現象としてはありそうにないですね。やはり 「動詞語幹に前置されていれば動詞接辞、それ以外は名詞接辞」 ということではないでしょうか。 >774 utkaはロシア語だと考えていました。 アイヌ語という可能性もありますかね。判別は難しそうですが。
776 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/24(土) 17:20:34 ID:qw8vRtIs
u-or-unuに関して
otcike(1) oske itanki(2) uorunu hine 静内地方の伝承Vp242
kaparpe otcike(1) kaparpe itanki(2) uorunu hine 静内地方の伝承Wp244
kaparpe-otcike(1) kaparpe-itank(2)i uor(u)nu-ine 人々の物語p15
以上目的語は2つ
一方u-oro-unuの例
kapar-pe itanki(1) kapar-pe otcike(2) su(3) sanke(2動) hine huraye(2動) hine u-oro-unu(3動) hine
目的語は2つ、あるいは3つ
>>731 のu-(w)oro-roskiと同じような傾向がある
⇒⇒u-(w)or-roski同格で目的語1つ u-(w)oro-roski目的語2つの場合及び所属形
A…佐藤先生『他動詞が名詞の所属形を抱合している確実な例はないようである』
例外はtomouye、u-(w)oro-roski、u-oro-unu?等
ただし、例外はごく少ないので、Aはアイヌ語の語形成に於ける一般的傾向と考えられる。
B…e / oは名詞接辞で、名詞の所属形と意味的に同じ役割を果たしている
とすると
これはAのアイヌ語の語形成に於ける一般的傾向と抵触することになる。
そこで、これを回避すべく周接型(o-so-us-i)及び
>>773 の(e-,o-)−N −V(+2)型の中間形態を含めて、無理は承知で整合的に解釈した次第です。
勿論「動詞語幹に前置されていれば動詞接辞、それ以外は名詞接辞」が誤りと言うつもりはありません。
utkaに関して
もちろん鴨川の可能性はありますが
道東に於けるutkaはエサヌカ川、別当賀(pet-utka)を含めて河川全長が短く
下流に潟湖や河跡湖を伴うものが多いようです。
カムチャツカ半島西岸のutkaも、これに似ています。
丸瀬布に関して
この地名解は非常に難しいですが、湧別川下流には婦美(humi)札富美(sat-humi)と、地名では
極めて異例なhum(音)を構成要素とする河川名があること、北見峠は石北峠より標高が低く
偏西風が分水嶺を越え易いことから、そう考えました。
訂正 ×kaparpe-itank(2)i⇒○kaparpe-itanki(2) ×tomouye⇒○tomotuye 補足 utkaに関して、mukaは語源が不確かなため今のところ除外
補足
ku=turi-e-cip-o<ku=turi(-1竿)-e(+1)-cip(-1舟)-o(+2動詞語幹)に於ける
-e-の品詞分類
A…動詞語幹に接頭していないので名詞接辞
B…合成(複合)動詞cip-o(+1自動詞)の、取り得る動詞価を増やす目的語指示接辞
この場合-e-はAB両方の性質を有する。
>>776 の抵触を回避する為に、AよりBに近いものと考えます。
mukaに関して
Omanpeshkaunmat anipuntari eshimukko-anihitara chikupso-utur erututke
オマンペシカ媛はもろくちの銚子を胸まで持ち上げていて、酒席の間を斡旋した(知里訳)
eshimukko-anihitara=e-si-muk-ko-ani-hitara(胸まで持ち上げていて)
mukas=anよばいする(樺太)<muk(胸)-e(で)-as(立つ)=an
cfよばいする i(それの)-o(陰部)-kuyra(に忍び寄る)
以上からmukは合成語の中で「胸」「乳房」を表す。
そこで各辞典をみると
mu(+1自動詞) 塞がる つまる 田村辞典
mu(+1)−ke つまる 萱野辞典
mu(+1)−re ふさぐ 萱野辞典
同音異義語
mu(+2他動詞) 〜をよじ登る、はい上る
例kamuy nupuri an=mu turasi rikip ka a=koyaykus 静内地方の伝承X p25
一方久保寺辞典p161では
mu塞がる mu (v)木にのぼる
mu=muk (完全動詞)塞がっている
muk塞がる muk-ka塞がらす
muka(vi)上る、登る =mure
ムカ(muka) 水が湧く にじみ出る 上原熊次郎(江戸期)
以上かなり錯綜しています。
そこで私見ですが
アイヌ語の母音a, o,u,i,eのうち、o,u,i,eは自動詞語幹に接尾して他動詞化し得るのに対し
母音aは自動詞語幹に接尾して他動詞化する事はありません。『アイヌ語に於ける母音調和』
とすると
muk=mukaと考えることが可能です。
mukが化石化した用例で「乳房」を表すのであれば、自動詞は転成して名詞となり得
muk「乳房」は当然分泌物が出るので、ムカ(muka)「水が湧く、にじみ出る」と
同語の可能性があることになります。
以上から、もしかしたら次のように整理できるのかもしれません。
@mu(+1自動詞) 塞がる つまる 他動詞はmu-ke mu-re
久保寺辞典の muk-ka「塞がらす」 は誤り?
Amu(+2他動詞) 〜をよじ登る、はい上る 複他動詞形は無し?
久保寺辞典の mure(vi)「上る、登る」 は誤り?
Bmuk/ muka (+1自動詞) 「水が湧く、にじみ出る」
Cmuk/ muka (名詞) 「胸、乳房、分泌物」
これを地名に当て嵌めると
鵡川 Cmuk/ muka (名詞) 「分泌物」⇒水の湧き出る所
占冠 si−Bmuk/ muka (+1自動詞) 「水が湧く、にじみ出る」−p
無加 Cmuk/ muka (名詞) 「分泌物」⇒水(水銀)の湧き出る所
イトムカ i(目的格接辞)-tom(位置名詞)-o(+2)-muka(C名詞「分泌物」)
⇒⇒⇒⇒⇒o(+2他動詞)は「場所」を取るので、(川)の中で水(水銀)の湧き出る所
779 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/26(月) 02:54:50 ID:lMF0Z4mw
なるほど。 バチェラーがやはりmuka「to ooze outにじみ出る」の項でmu=muk=mukaという分析をしています。 知里も人間編でmukが合成語中で胸を指すと指摘しています。 「にじみ出る=乳房」というのは面白い可能性ですね。 それはそれとして、久保寺のmukka「塞がらす」はバチェラーにもありますし、 語構成としてあり得る形ではないでしょうか。
>>779 確かにそうですね 訂正します。
>>778 は
同音異義を極力回避し、かつmuk?(+1自動詞)「塞がる、つまる」の単独形を
要調査とした故の私見です。
muka (+1自動詞)と mu-kaではなく muk-ka(+2他動詞)「塞がらす」なら
動詞価も違いますし、語構成としては可能だと思います。
知里地名辞典でもmu=muk(+1自動詞) 塞がる、つまる としています。
まとめると、以下のとおり
@mu(+1自動詞) 塞がる つまる 他動詞はmu-ke mu-re
Amuk?(+1自動詞) 塞がる、つまる 他動詞はmuk-ka
cf mukemuke(+1自動詞) ぎっちりつまっている 中川千歳辞典
Bmu(+2他動詞) 〜をよじ登る、はい上る 複他動詞形は無し?
久保寺辞典の mure(vi)「上る、登る」 は誤り?
Cmuk/ muka (+1自動詞) 「水が湧く、にじみ出る」
Dmuk/ muka (名詞) 「胸、乳房、分泌物」
muxsireciwつまづく<muk-sir(地)-e(に)-ciw(突く)『北蝦夷古謡遺篇』 の例から
sir(地)をciw(突く)のは胸板ではなく凸の乳房しか考えられませんので
muk(名詞)=「乳房」で間違いないと思います。
とすると
沙流川の雅名si-sir-mukaは
(湧出づる)偉大なる大地の恵み(乳)(である沙流川)となります。
ちょうど聖書の中でカナンが「乳と蜜が流れる地」と呼ばれた事と似ています。
また
博学なNisurekkur氏の伝承では鵡川と沙流川アイヌのiwor争いの際の談判として
Shine metot e-we-turashp a-usamomare a-kor pet ne yakun
shine hapo uren toto e-shukup utar korachi anpe a-ne wa shir-an.
同じき水源の山へ 川伝ひに遡り行き 相並び合ふ 我等が川なれば
同じ慈母の 両つの乳房 もて育ちたる さながらの 我等にあらずや。(久保寺訳)
と鵡川と沙流川が「両つの乳房」に喩えられています。
知里分類辞典の当該箇所も、主語のOmanpeshkaunmat (大正2年ワカルパより採録)を
省略していなければ、もっと早くに気づいていたのかもしれません。
バチェラーの分析(英文)は正鵠を得ています。採録時期が明治と昭和ではかなり語彙が
縮小しているような気がします。
バチェラー辞典は、他辞典での推論の後にいわば「答え合わせ」的に使っています。
781 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/27(火) 06:10:23 ID:/4VeCbmu
>>780 共時的分析においては、「同音異義語を極力回避する」理由がよく分かりませんけどね。
「語源」というのは基本的にファンタジーだと思っておりますので。
で、si-sir-mukaについて、mukaを名詞とするのにはためらいますね。
sirに後続するなら動詞という可能性のほうが高い。
>>781 鵡川と平仄を合わせたまでで、おっしゃるとおりです。
「同音異義語を極力回避する」
端折り過ぎました(長くなってしまうので)。 以下、知里分類辞典、田村辞典から
A
@mux-cara(caru)食道 樺太鵜城 <muk(胸)-cara(口)
Amukcar(o)みぞおち 沙流 <muk(胸)-car(口)
Bmut-car-kam(熊の)喉肉 屈斜路 <muk(胸)-car(口)-kam(肉)
Cmukkamama(猫等が日向に)腹這いになっている美幌 <muk(胸)- kamama(かぶさっている)
Dmukkataoma自動詞 座って上体を前に倒す 沙流 <muk(胸)-ka(の上)-ta(に)-oma(位置する)
Emukramama 自動詞 中腰になっている 沙流 <muk(胸)-rama(を低くする)-ma(重複)
B
@mutcar(a) 喉(首) 美幌 屈斜路 <muk(塞がる)-car(口)
Amuxcara甲状骨上縁と舌骨間の窩 樺太白浦 <muk(塞がる)-cara(口)
Bpen-muxcara 甲状骨上縁と舌骨間の窩 樺太白浦 <pen(上方の)-muk(塞がる)-cara(口)
Cmukkot窒死する 金田一訳 金成マツーカラ集Tp126 〜anekonramu mukkot kane 〜
※mukkot 恐れる バチェラー辞典 〜kewtum oroke mukkot kane kotom an〜
Cmukkot(+1) <[muk(塞がる+1?)-kot(喉?)] →(動詞価?) 要検討
あるいはバチェラーの例から、Bのmuk(塞がる+1)ではなくAのmuk(胸)?
mukkot(+1)<muk(胸-1)-kot(+2)又は<muk(胸) -ot(名詞について自動詞化する他動詞語根)
C
mutcar-pone 鎖骨 美幌 <muk(?)-car(口)-pone(骨)
以上、Aはmuk(胸)、Bはmuk(塞がる)、Cはmuk(不明?)と分類できます。
このうちBBのpen-muxcaraはpen(上方の)となっているので
muk(胸)-cara(口)「食道、あるいはみぞおち」の可能性もあります。
Bの例よりAの例の方が多く、また同音異義で錯綜しています。
訂正 eが脱落してました <muk(胸-1)-ekot(+2) 補足 Bのmuk(塞がる+1)なら <muk(塞がる+1⇒動名詞−1) -ekot(+2) 自動詞抱合も可能か?
784 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/30(金) 20:25:11 ID:EmYzKx6G
鵡川muka=muk「乳房、分泌物、にじみ出る」の証明の続き
muk(塞がる+1)の単独の使用例として
☆etu-muk旭川 「鼻がつまる」
etu-mu 千歳
etu-esikari 屈斜路 <etu(鼻が)-esikari(つまる)
etu-isikari 樺太白浦<etu(鼻が)-isikari(つまる)
etu-esaxte 樺太鵜城<etu(鼻が)e(それに於いて)-saxte(乾かす)
enitatke 幌別<e(そこに、鼻に)-ni-tat-ke(棒がはさまったようになる)
enitaxke 樺太白浦鵜城真岡<e(鼻に)-ni-tax-ke(棒がはさまったようになる)
田村辞典 nupe kus puyehe mu wa ne nankor涙の穴がつまる
☆『蝦夷語』では「ムツ」「塞」の意味 嘉永3年 松浦武四郎 江戸期の文献に関しては調査中
mukの単独の用例がetuと伴に使用されているのは非常に興味深い
鼻がつまるのも鼻水がにじむのも、風邪の一連の症状であり、伴に粘膜の異常が原因だから
以上
>>782 で検討してきたように合成語のmukは「胸、乳房、分泌物」の意味が多い。
785 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/30(金) 20:34:54 ID:EmYzKx6G
一応合成語のmukと思われるのは(但し、mu(+1)⇒mu-keで厳密にはmukではない。) 例 mukemuke(+1) 互いに押し合いへし合いする ぎっちりつまっている 中川千歳方言辞典 一方 ツルニンジンのmuk{和名 蔓人参 『本草和名(延喜18年頃918年)』では止止岐(トトキ) 古来より美味な代表的山菜 生薬名は「羊乳」}も知里分類辞典によれば、別名tope-muk/top-mukで 茎や根を切るとべとつく白い乳汁のような液が出るのでtope-muk呼ばれたとあり 美幌では母乳の出ない時、煎じて飲み同時にその煎汁で乳房を冷やしたとある。 また、mukは合成語の中で「根」「地下茎」の意味で使われ、丸い物のころがる様の形容と しての例もある。 muk karkarse sikopayar (バアソブの)根がころがるのとそっくりだ とすると「ツルニンジン」や「地下茎」のmukは「胸、乳房、分泌物」のmukの転義と考えられる。 そこで otは、魚や鳥等の動物すなわち「動くもの」や 「液状のもの」(kem-ot やye-ot)に使われること(例 辺乙部pe-ot-pe 瑠橡(るろち)rur-ot-i)から 向別川(モコベツ、モコチ、ムクチ)は動かない植物の「ツルニンジン」ではなく、 (muk-ot-i)<muk(分泌物)-ot(他動詞語根)-i(名詞化接辞)とした方が妥当と考える。 また逆に-otが後接していることから、muk⇒「液状のもの」との推定も働きます。 Q.E.D. ホスト規制で携帯からです。長文の返事はできません。
目名大橋付近で向別川に合流しているメナブト川の異名が<mena(湧水地)-kot(窪地)-ruy(が多い)であるのも、この証左です。
787 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/31(土) 20:48:41 ID:aM5q8XKo
Dybowskiの千島アイヌ語の資料では eskariつまる etumu鼻風邪<etu(鼻)-mu(つまる?) muk pe汚い水<muk(にじみ出る?)-pe(水)で muk(+1にじみ出る)の単独形がある。 一雄武<o-muは『蝦夷語』のムツにもかかわらずヲム(松浦) ヲウム(上原)である。 雄武と同じくオホーツク海側の網走方言(安政2年生工藤)でも ム(mu) 塞がる、ムッカネ (mukkane) 円き<muk(乳房?)-kaneで mukではない。とすると mu(+1塞がる)の他動詞形がmukka、mu-re mu-keで muk(+1塞がる)は存在が疑われます。 どう思われますか?
muk「ふさがる」は久保寺とバチェラーにみえるだけですね。 そんな動詞は無いのかもしれませんね。
789 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/03(火) 12:24:16 ID:jAX8Muhk
阿蘇山、浅間山、那須岳、有珠山・・富士浅間神社 アソとは火山のことだから日本全国アイヌ人が住んでいたことが分かる。
790 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/04(水) 22:02:09 ID:TXUHJeft
鵡川(ムカハ)のアイヌ語地名の語源 muk/ muka 「水の湧き出る所」 占冠のアイヌ語地名の語源 si-muka-p 「真に水の湧き出る所」 無加川のアイヌ語地名の語源 muk/ muka 「水の湧き出る所」 イトムカ川のアイヌ語地名の語源 i-tom-o-muka 「その斜面の中程で水の湧き出る所」 向別川(ムコチ モコチ) のアイヌ語地名の語源 muk-ot-i 「湧水が多くある所」 まとめ mu 塞がる 自動詞 他動詞形mukka muke mure muk/ muka 水がしみ出る 自動詞 muk/ muka 胸、乳房、乳 名詞 mu 登る 他動詞 mukpa/mukke 隠れる 秘密である 自動詞 (ユーカラ集Vp231) 反意語sara
791 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/15(日) 17:07:20 ID:K6d67M6j
沙流川 シシリムカsisirmuka<si(偉大な)-sir(大地から)-muka(水の湧き出る所) mukの使用例 komukshirechiu<ko(+1)-muk(-1)-sir(-1)-e(+1)-ciw(+2) /aki korユーカラ集[p106 pirka menoko /mukereyeko<muk(-1)-e(+1)-reye(+1)-ko/yupnataraユーカラ集\p362 eshimukko/anihitara<e-si-muk-ko-ani-hitara金田一京助全集\p400 虎杖丸曲 以上ワカルパ ムシレチウmu(x)-sir-e-ciw ムシレチウ/ランケmu(x)-sir-e-ciw ムッシレチウmux-sir-e-ciw 金田一京助全集\p78 p83 p89 北蝦夷古謡遺篇 ラマンテ mukは表現が古雅なワカルパや樺太のハウキで多用される。 松浦武四郎の蝦夷語も前半の「支躰」の病名のところに「鼻塞」「イツムツ」とあり 後半の「態」の動詞の「塞」「ムツ」は「イツムツ」から解釈した可能性がある。 とするとDybowskiのmuk pe汚い水<muk(にじみ出る)-pe(水)から、muk/(+1)「にじみ出る」は 19世紀の前半には既にマイナスイメージとなり、廃れていたのではないだろうか? ot「存在動詞」に関して アイヌタイムズ編集責任者の浜田氏はotは単複関係なく「液体」をイメージしつつ使われるもの とかなり語義を限定しています。しかし以下の例から問題があります。 shinutapkaunmat/Ponmoshir kotan/eot <e(±0)-ot(+2)赴くruweneユーカラ集[p111ワカルパ Urarochi<urar-ot-i村名 霞村 ユーカラ集[p205 コタンピラ 1有生物+ ot ciray-ot知来乙cikap-otチカプオツ cep-otチェポツ supun-ot-pe宿野辺 ceppo-ot-iチヱツポヲチ cir-ot-(to)白人supun-ot-nayシブノツナイ 2有生物の一部(体液) + ot kem-ot ye-ot pe-ot-pe辺乙部 muk-ot-iムコチ向別川muka-ot-i?俣落? 3無生物+ ot rur-ot-i瑠橡(るろち) urar-ot-i霞村 以上から「存在動詞」otは知里説の「群在」、より正確に言えば動的複数を表すと思われます。 従って、浜田説は誤り、もちろん鵡川の地名解も誤りとなります。
792 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/15(日) 17:08:05 ID:K6d67M6j
「存在動詞」ot
A 有生物(主語)−ot(+2)−場所(目的語)
B 無生物(主語)−ot(+2)−場所(目的語)
※C 場所(主語)−ot(+2) −有生物(目的語)
※D 場所(主語)−ot(+2) −無生物(目的語)
otが「液体」をイメージしつつ使われるものではなく、動的複数を表すとしたら
o(+2)と比べて、※C※Dは出現頻度が劣るのではないでしょうか?
さらに
>>757 >>758 で検証したように
φ(S)+O+V(+2)+N≒O+V(+2)+Nで
X…佐藤先生によれば千歳方言辞典中O+V(+2)+N型で主語述語関係が認められるものは
amam-e-cikap等すべて神名、動植物名、役職名で合計10例のみ。
o-〜-i型では、本来ならNが必要。S+O+V(+2)+φ(N)の語形が許容されるのは
以下の例から「有生物」の場合で
省略 ※1 名詞 oysiru(-cep) 「産卵後の尾がバサバサになった鮭」
省略 ※2 名詞 opankaus<o-pan-kuwa-us-(kamuy) 「後足の長いクマ」
例外 ※3 名詞 omakirus 「エゾツユムシ」
※1〜※3は動物名、神名
Y…「無生物」の場合は、動詞語幹後項の「本来的」主語要素の有標化が義務的になる
とすると
この規則Yを「存在動詞」otに当て嵌めると
「無生物」が主語の場合は、目的語の「場所」の有標化が義務的になる。
Aの有生物(主語)−ot(+2)−場所(目的語) の場合にのみ例外が生じる可能性があります。
これを「動詞」の側から規定すると
Aのケースでは自動詞他動詞両形の人称変化が可能と言うことになります。
従来知られている自他両形の人称変化をする動詞roski やmatkosanuは
このAのケースに該当します。
アムシヨカタ<amso(先行詞)-ka(位置名詞)-ta/アマツコシヤヌa=matkosanu 『彰考館旧蔵
蝦夷チャランケ並浄瑠璃言』 佐藤先生はSapirダコタ語の自動詞におけるactive、inactiveの
区別と関連を有する可能性がある。とするが
inkar(+1)とnukar(+2)の違いで inkar(+1)が「場所」であるcise okariを目的語とできる
ように、「場所」はあらかじめ具体的に目に見えては存在せず、相対的な位置関係が発生して
はじめて認識できるように、目的語としての「場所」は他の目的語よりも独立性、具体性に
乏しいのが原因なのではないでしょうか?
現にa=matkosanuも位置名詞-kaを、先行詞をともなって、目的語としています。
まとめると
有生物が主語で、目的語が場所の場合に例外が生じ、
自他両形の人称変化をする動詞は、このケースに限られる。
793 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/16(月) 20:02:47 ID:SpDBnJo9
「存在動詞」otの補足 apa-ot-ki出入口に付けてある簀 puyar-or-ot-pe窓にに付けてある簀 簀はオニガヤkiをたくさん束ねてitesekaで編んだものであり どちらも出入または採光のため自在に動かなければ用を成さないもの 従って、「液体」をイメージしつつ使われるものなんかではなく、原義は『動的複数』でしょう。 roskiは頻出語で日常様々な使われ方をしますので一概には言えませんが 自動詞のroskiは奥田先生によれば主語が複数または人称接辞=anを接尾した場合が多いようです。 roskiの用例分析は極めて厄介です。 そこで、参考までに 『彰考館旧蔵蝦夷チャランケ並浄瑠璃言』には、他に自他両形の人称変化をする動詞として a=soyoterke<soy-o-terke 「家等の中から跳んで出る」がある 用例A用例B 田村辞典では rikunsuy kari(後置副詞) soyoterke=an inkar(+1)が「場所」であるcise okari(後置副詞)を目的語とできると同じように ここでも後置副詞が使われています。 cf sep pinay kari(後置副詞) kira(+1) 用例A カ子ポンカシヤ/ アシヤハウヌ/ タプヲロワ kane pon kasa /a=sapaunu / tap or wa 金の 小 笠を /私はかぶった /それから アシヨヨテレケ/ イクルカ子ケウゴシヤンバ a=soyoterke /「イクルカ子」佐藤先生は不明の為未記載私訳i=kurka ne kewkosanpa 私は飛び出した/私の上の方へ(私訳) ドスンと鳴った 用例B タフ子アンベ/ アエホマトウ /アシヨヨテレケ tap ne an pe /a=ehomatu /a=soyoterke こんなこと /私は驚いた /私は飛び出した ピシユンルルシヤマ/ リコテレケレ pis un rur sam /rikoterkere 浜の海の側 /飛ばせた 用例ABとも、a=soyoterkeの目的語と思われるものが見当たらない。 またotに関する@有生物 A有生物の一部である体液 B無生物 という分類の内 Aは身体の一部である頭、尻等の前述した「部分普通名詞」(位置名詞と似た機能をする)と もしかしたらパラレルの関係にあるのかもしれません。
794 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/16(月) 22:17:28 ID:SpDBnJo9
訂正 apa-ot-ki出入口に付けてある簀 誤puyar-or-ot-pe窓にに付けてある簀 正puyar-or-ot-pe窓に付けてある簀 ※D 場所(主語)−ot(+2) −無生物(目的語) の例
俣落のアイヌ語地名 muka-ot-i<muka(湧水(<乳汁)が)-ot(複数ある)-i(所) マタヲチ 松浦武四郎『志辺都誌』1858年『東西蝦夷山川地理取調図』1859年『東蝦夷日誌』1878年 マタオチ川 大日本帝国陸地測量部『5万分の1』1897年 上記以外の表記があれば、muk→mukaと言えるのだが。
まとめ 「存在他動詞」ot(+2) 原義は『動的複数』 A 有生物(主語)−ot(+2)−場所(目的語) ⇒ciray-ot知来乙cikap-otチカプオツ cep-otチェポツceppo-ot-iチヱツポヲチsupun-ot-nayシブノツナイ ⇒有生物の一部である体液の例 kem-ot ye-ot muk-ot-iムコチ向別川 B 無生物(主語)−ot(+2)−場所(目的語) ⇒rur-ot-i瑠橡(るろち) urar-ot-i霞村 ※C 場所(主語)−ot(+2) −有生物(目的語) ⇒kim-ot-pe山のケダモノ(狐) 知里分類辞典 北千島 rep-ot-pe海のケダモノ sakkimotpe shinnaishama<sak-kim-ot-pe sinnaysama夏狐の化け物 金田一京助全集\p375虎杖丸曲 但しWakarpaは「熊」とする ※D 場所(主語)−ot(+2) −無生物(目的語) ⇒apa-(or)-ot-ki puyar-or-ot-pe 「静的」であるo(+2)と比べて、※C、※Dの出現頻度は低い。 A…有生物(主語)−ot(+2)−場所(目的語) の場合に例外が生じる
797 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/18(水) 23:33:00 ID:9SDe/jlu
自他両形の人称変化をする動詞の例 自動詞のika(溢れる、越える+1)の他動詞としての使用例 a=yupihi i=tura wa ek orowa i=kucikare ruwe ne 千歳方言(中川) 私の兄が 私を連れて来て 私を崖から突き落としたのです。 i=kucikare < i(対格人称接辞)=kut(ひどい岩崖−1)-ika(〜を越える+2)-re(使役+1) 主語a=yupihi「私の兄」 意味上の主語i=「私」 このケースでも主語が有生物で、kutが目的語として「場所的※」に使われています。 ※ ちなみにciseは文法上「場所」ではありませんが、韻文中ではun ciseとなった場合 taが後続し、「場所」として扱われます。 これも、目的語としての「場所」は他の目的語よりも独立性、具体性に乏しい事の証左では ないでしょうか?
798 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/19(木) 23:36:35 ID:5urbBR7+
虻田 網走のアイヌ語地名解 Dybowski(北千島)にはapa「破る」apo「打つ」という語彙がある。 一方、田村辞典では sir(−1)-apa(+1)雨漏りする apa(屋根が)漏る 昔はtoy-cise(穴居)で、屋根はcise ne sirのように、「山」と表現されていた。 よってsir=大地→山→屋根となります。道東の本別(村崎)でも taan cise apa とすると sir-apa「雨漏りする」とはsir(大地が) -apa(破れる 裂ける)が原義と思われます。 一方aputki「魚や野菜を干すのに使う簀」で、田村辞典では<aput-ki(簀) このaput-kiは更に< apa(裂けた)-at(オヒョウ楡の樹皮)-ki(簀)と分析できるのでは? aputkiはオヒョウ楡の樹皮を剥いだものを、裂き、さらにそれをよってitesekaを作り、 ki(オニガヤ)を編んで完成します。 虻田付近の地名 「正保日本総図」(正保元年1644年) 「ウスシリ」有珠? 「津軽一統志」(寛文9年1669年) 「おこたらへ」 「元禄郷帳」(元禄10年1697年) 「べんべ」弁辺(豊浦)、「おこたらへ」、「うす」有珠 虻田の初出は「松前東西郷並に蝦夷地所付」(享保12年1722年) この間、有珠山の噴火(寛文3年1663年 明和6年1769年 文政5年1822年)があり 集落はA〜Cと移動した A「おこたらへ」(高砂貝塚、入江貝塚の間か?) 寛文3年1663年の有珠山の噴火が原因か? 虻田の初出 B「アブタ」(小有珠山から入江川を真っ直ぐ伸ばした辺り) 文政5年1822年の有珠山の噴火で移動し C「フレナイ」(西側の現在の洞爺付近) このうちAは常丹トコタンtu-kotanで「おこたらへ」<o-kotan-un-peと考えられる Bの「アブタ」は<apa(裂けた)-ota(砂浜)ではないだろうか? 理由 @otaは各地で「宇田」とも表記されるようにoとuは混同され易い A「裂けている」の意味のperkeを含む地名が存在する 知床のペレケperke-i エベレケe-perke等 Botaに自動詞が前接した例として 室蘭のporo-peker(明るい、清明な)-ota(砂浜) もしかしたら、寛文3年(1663年)の有珠山の噴火により、砂浜が地割れして川の流れが変化し 新たに虻田の集落が元禄10年(1697年)以降に成立したのかもしれない。 網走の地名解 「津軽一統志」(1669年) 「はは志り」 「元禄郷帳」(1697年) 「はばしり」 Dybowski(北千島)にはxetu「吐く」<atu「吐く」がある。 Dybowskiは以下のようにhを表記しない例が多い点も考慮すると、これは極めて異例 apu(姉妹Dybowski) ⇔habo(姉 鳥居龍蔵) opuni(起きるDybowski) ⇔ hobuni(起る 鳥居龍蔵) 従って、xはhではなく、語頭aの声門破裂音「‘」を表記したものと考えられる とすれば「津軽一統志」「元禄郷帳」の「はばしり」は語頭の声門破裂音「‘」を表記した ものであり、hapa-sirではなく、やはり ‘apa-sirと思われる。 以上から 網走のアイヌ語地名解は<‘apa(裂けた) -sir(大地)「裂けた大地」となる。 ここからは仮説ですが、apu海の氷、流氷(樺太 北海道) 八雲ではap apu parka 流氷が良い 流氷がくっついて板を敷いたようになる事 田村辞典 から、apu「流氷」とは海の氷が裂けて存在した状態であり、またaput-kiの例から 本来apa/apuで、原義が「裂ける 裂けたもの」である可能性も考えられる。 とすると 網走<‘apa(裂けた) -sir(大地)「裂けた(流氷の浮かぶ?)大地」となります。 どうでしょう?
799 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/20(金) 20:47:57 ID:RleTB+qI
虻田「アブタ」のアイヌ語地名解 <apa(裂けた)-ota(砂浜) 「裂けた砂浜」 網走のアイヌ語地名解 <‘apa(裂けた) -sir(大地)「裂けた(流氷の浮かぶ)地」 虻田の補足 『津軽一統志』、『寛文拾年狄蜂起集書』(則田安右衛門)によれば 「うす」30戸「おこたらへ」14〜15戸で、「うす」は大集落であり、その首長の 「つやしやいん」が西隣の「おこたらへ」をも支配していた。 さらに、『蝦夷商賈聞書』元文4年(1739)頃の 「アブタ」の産物として、干鮭、昆布、鯡数子、干カスベト申魚、イタラ貝ノカラ沢山ニ参ル 「臼」では、鯡数子、昆布、干鱈、膃肭臍、煎海鼠、イタラ貝ノカラ北国辺用之、秋生鮭 というように、虻田の初出が享保12年(1722年)とすると、上記産品の製造工程を考慮すると やはり、有珠山噴火による河川流路の変化があったものと考えざるを得ない。 前述の語頭の声門破裂音「‘」の補足 nonetu(唾を吐くDybowski) <non(唾−1)-eatu(吐く+2) から xetu(吐くDybowski)<atu(+1)あるいはeatu(+2) 「x」は、語頭の声門破裂音「‘」 Dybowskiがh音を表記しない例 語頭音a及び語頭音e arkitek(左手Dybowski)⇔ harikiteki(左手鳥居) arru(百合の一種Dybowski)⇔ haru(ウバ百合鳥居) ekay(白髪のDybowski) ⇔ hekay(年とった幌別) eciruruy<eciru-ruy(こっけいなDybowski) ⇔ hecire(遊ぶ樺太) 歯舞<ap(流氷)−oma−iを考えると、道東の語頭の声門破裂音「‘」は道西より明瞭 だったのかもしれません。 逆に明瞭であったが故に、道東ではh→「‘」→φ(脱落)が促進したのであろうか? apa/apuの補足 Dybowskiの別の箇所にはanapap打たれる<an=apa-p 参考apo 「打つ」 があります。 やはり「打つ」はapoではなく、apaだった可能性があります。 おそらく、o とuは混同され易いことから、apoはapuの聞き間違いだったのでは? とすると 仮説どおり本来apa/apuで、原義が「裂ける 裂けたもの」の可能性が大です。 これに関連してapte他動詞 危く思ふ、危惧される、自信なし 久保寺辞典 oar oar sem iki ambe chiante kotom e=apte=an ruwe a=eramanユーカラ集Up212 全く 全く とんだことに なるよう われ汝おぼつかないことを われはわかる これは、霊力では適わないが、太刀捌きでは勝っている主人公(我)のセリフなのですが 金田一訳ではなく、Dybowskiに従ってap(打つ破る+1)-te(+1)「打ち破る」でも 意味上問題ありません。現にバチェラーはapte Weak、Powerlessとしています。 もしこれが可能なら yay-apapu自動詞< yay(−1)-apapu(+2) あやまる わびを言う 田村辞典 eci=apapu私がお前達を、注意する 萱野辞典 inne kotan,kotan kurkash apatupatu 多くの村々の上(面)で大騒ぎになる 久保寺辞典 これらの動詞は、こう整理できるのではないでしょうか? apa/apu自動詞 「裂ける 破れる 漏る」 apa/apu名詞 「裂けたもの 流氷 海の氷」 他動詞形はapte 派生他動詞形? apapu? apatupatuは自動詞apa/apuの派生形?
800 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/20(金) 22:27:48 ID:RleTB+qI
あるいは金田一訳自体がバチェラー辞典のapte adj Weak、Powerlessを ただ他動詞化しただけで「直接」語彙を採集した訳ではないのかもしれません。 久保寺辞典の「危く思ふ」もe=apte=an ruwe a=eraman部分の翻訳かも? どうでしょう?ご意見お願い致します。
801 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/21(土) 01:13:54 ID:yHLLkVj6
ap-の古い状態に関する推定は面白いですね。 今後はアイヌ語研究も内的再構に向かうかもしれません。 今はまだ共時的記述で手一杯ですが、そろそろ。
802 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/21(土) 13:38:48 ID:1+vWhSBh
ありがとうございます。 mukと比べて apa/apuは樺太での証拠に乏しいので、まだ断定はできません。 虻田、網走の地名解に関しては、多分これで良いのだと思います。 一点だけ補足しますと、『蝦夷商賈聞書』の「アブタ」と「臼」の産品の違いとして 「干鮭」と「秋生鮭」がありますが、前者は産卵場まで溯上した脂肪分の抜けた鮭を素材とし 内臓を取り去って乾燥したもので、脂肪分の多い回遊中の鮭は、塩引き以外の保存には不適で 「干鮭」にはなりません(『松前蝦夷記』)。河川流路の変化があってから、ある程度の年月が 経ないかぎり、溯上量は少ないと考えられますので、寛文3年の噴火に原因を求めるのが 妥当と思われます。また初出を調べた訳ではありませんが、入江川の名称も、もしかしたら 旧虻田会所の番人あたりの命名なのかもしれません。
803 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/23(月) 17:55:48 ID:/2pYuaQr
アイヌ語の文字(蝦夷字体)はルーン、オスロ大学がまた発表。
804 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/24(火) 19:46:31 ID:rC+TQaoP
apa/apu/apの証拠が見つかりました。 『千島アイヌ』(鳥居龍蔵全集7)p74千島アイヌ「ラウレンチ」からの採集の「裸なる」Rut apuchi があります。これは(rutuh獣の皮(Steller))から<rus(皮、毛皮)-apu(+1破れる)-ci(複数接辞)と分析 でき、またDybowskiのrutapkur「裸の」も、<rus-ap-kurと分析が可能となります。 apu(流氷)は原義が「裂け目」で、サタモさんのapu pirka「流氷が良い(流氷がくっついて 板を敷いたようになる事)」は、従って「裂け目」が「治る」が本来の意味となります。 rup(溶ける→氷)とapu(裂けた→流氷)が似た原義になっているのには、「源郷」の点で困惑します。 これで「虻田」は、<apu(破れた、裂けた)-ota(砂浜)で確定です。 切替先生の『頻出アイヌ語地名の形態論的構造』p26(アイヌ語地名研究3に所載)の 主語(所属物)+自動詞+斜格語相当語(所属先)」例@putu-wen-nay Asuma-rupne-nayのうち、 Aを挙げるのは、「「頻出アイヌ語地名」には見当たらない「主語+自動詞」は」、有得ないとの先入観 で判断したものであり、p10のB「スマ・フレ・ナイ」suma-hure(+1)-nay(先生によると、 この形態に含まれるとする)と伴に、単なる「こじ付け」に過ぎないと考えます。 このうちABは、私見の主語+自動詞+斜格語相当語(場所)⇒名詞[N(−1)-V(+1)]+名詞(場所) 例pet-osan(+1)-putu(所属形)/petetok ta wakka oasin(+1) uske(形式名詞) 所属形≒形式名詞 の事例に過ぎず、また@は、その下位分類に過ぎないと考えます。詳しくは「言語板」参照 理由 p24の「主語+他動詞+目的語相当語」のうちの目的語相当語の位置を名詞的接尾辞が占めて いるもの。例としてPeteukopi「川の合流点」 <pet(川)-e(の先端 部分接頭辞)-u-ko(そろって)-hopi(〜を捨て去る)-i(ところ) 切替先生は以上のような分析をしています。 ちなみに動詞価計算はpet(−1)-e(部分接頭辞±0)-u(−1)-ko(+1)-hopi(+2)-i(−1)となります。 しかし A…これは先生が参考として挙げられている十勝本別の ni eukopi ka an pe「棒の先が分かれているもの(カワウソの首を抑えて捕らえる木の棒)」 「自動詞+助動詞句+主語相当辞」で、eukopi(+1)「先端が分かれる」となり、背馳する点 B…「別れる」方言辞典p71 ukohopi(自他不明?名寄) ukohopi(自他不明?宗谷) ekohopi(自他不明?沙流) eukoppa(自他不明?帯広) uhekopi(自他不明?八雲) このうち八雲のuhekopiは<u(−1)-he(±0)-k/hopi(+2)で、自動詞と分析できます。 C…『千島アイヌ』(鳥居龍蔵全集7)p65には「岐路」Euko biruとあり これは蝦夷語(神保、金澤)のRu uko hokiと同義であるとされていますので Euko biru<eukopi(+1)−ru(−1)と分析できます。 以上、A十勝本別B八雲C北千島の例から、eukopiは(+1)自動詞と考えるべきです。 とすると 切替先生の分析は間違いであり、Peteukopiは私見の「主語+自動詞+斜格語相当語(場所)」の例 となります。 切替先生の「主語(所属物)+自動詞+斜格語相当語(所属先)」は、ni eukopi ka an peの例から 私見の「主語+自動詞+斜格語相当語(場所)」の云わば「下位分類」に過ぎないと考えます。 もしこれが可能なら、p10の「ピ・ラン・ペツ」<pi(−1小石の)-ran(流れ落ちる+1)- pet(川) は あってもおかしくは無いという事になります。 地名に於ける「主語+自動詞+斜格語相当語(場所)」は、-putu(所属形)やuske(形式名詞)の後接の点 から、云わば名詞[N(−1)-V(+1)]+名詞(場所)であって、「自他両形の人称変化をする動詞」の例と いうよりも、むしろ縮約された「地名」に於ける特殊事象と考えます。 どうでしょう?これは「アイヌ語地名解釈」に於ける最重要論点ですので、御意見お願いします。 最後に しふちゃり(しひしゃり)⇔ホマリモイ→→sipe-ican(-i)? ⇔homa-an-moy? どちらも「卵」? 「しひしゃり」の織田さんの発音はsipicarで、n⇔rからhomar/ homa-an-moyとなるのか?
805 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/24(火) 21:16:01 ID:ix5on0PN
アイヌ語=北欧語
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/02/09(火) 20:05:53 ID:z5AQ9GbC
「存在他動詞」us(+2)
A意味は「存在」
@有生物(主語)−us(+2)−場所(目的語)
⇒kina-us-i
A無生物(主語)−us(+2)−場所(目的語)
⇒kike-us-pasuy
B意味は「所有」
B場所(主語)−us(+2) −有生物(目的語)
⇒kim-us-kina
C場所(主語)−us(+2) −無生物(目的語)
⇒kim-or-us-i (猟場)
kema-us-pe(シントコ)はAの「存在」、wakka-us-kamuyはBの「所有」
次に
‘e‘uk(/h)opi(+1静内十勝方言)/uhekopi(+1八雲方言)<‘u(−1)- ‘e (±0)-k(/h)opi(+2)に関して
「‘」は声門破裂音
C
peteukopi<pet(−1)-e(±0)-u(−1)-ko(+1)-hopi(+2)-i(−1)動詞価合計ゼロ
peteukopiusi<pet(−1)-e(±0)-u(−1)-ko(+1)-hopi(+2) 動詞価合計(+1)−usi(動詞接尾辞)
petukopi<pet(−1)-e(±0)-u(−1)-ko(+1)-hopi(+2)-i(−1)動詞価合計ゼロ
ru-ukopi<ru(−1)-uko(±0)-hopi(+2)-i(−1)動詞価合計ゼロ
ru-ukotpausi<ru(−1)-uko(±0)-hoppa(+2)動詞価合計(+1)−usi(動詞接尾辞)
知里地名辞典より適宜修正
D
tu-uwekopi-usi 「山の走り根がそこで左右に分かれている所」斜里郡内地名 著作集3p254
これを動詞価計算すると<tu(−1)-u(−1) -e(±0)-k/hopi(+2) 動詞価合計ゼロ−us(+2) -i(−1)
⇒AAの無生物(主語)−us(+2)−場所(目的語)
よって
Dの例から、動詞価合計(+1)−usi(動詞接尾辞)とする知里説よりも
‘e‘uk(/h)opi/‘u‘(h)ek(/h)opi(+1)と解釈するのが妥当なのでは?
最後に
@‘e‘uk(/h)opi(+1)と A‘u‘(h)ek(/h)opi(+1)の意味の違いに関して
@はCのようにpetやruを取るが、
>>771 >>778 及び上記ABで検討したように、
接辞の順序からすると
(本来の主語)+形式的主語(部分接頭辞±0)+目的語+他動詞語幹となり
意味は「 (川や道の) +〜の頭が+互いを+分かれさす」 となる可能性がある。
AはDの例からtuを取る?(要調査)
(本来の目的語)+主語+形式的目的(斜格)語(部分接頭辞±0)+他動詞語幹となり
意味は「 (山の走り根) +互いが+〜の頭を+分かれさす」 となる可能性がある。
強いて、両者の違いを探し出すとすれば、
@の川や道の場合、ことさら擬人化と解する必要はなく、事物それ自体の性質として
可変的でいわば動作の主体になり得るのに対し、
Aの尾根は不可変的で、動作の主体ではなく、いわば自然現象の客体で
ここでは、風雨による侵食によって形成される得る対象としての地形に過ぎない。
もしこれが一般化できるのなら、イテリメン語等のように、アイヌ語に於いても
接辞の順序が、一定の意味分化を担っているのではないか。 どうでしょう?
808 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/02/10(水) 04:18:19 ID:0H09bx34
809 :
私、和人側のアイヌ民族に関する知識の有識者 :2010/02/10(水) 04:22:24 ID:0H09bx34
810 :
私、和人側のアイヌ民族に関する知識の有識者 :2010/02/10(水) 04:25:52 ID:0H09bx34
アイヌ人もロシア人も、
イ・ジア も チェ・ジウの冬ソナの初めの頃は豚鼻です
∩ ∩
(`‥´)
野村幸代はアイヌの鼻。
研ナオコさんもアイヌ顔で豚鼻。
彼女の田舎は、江戸時代の鎖国状態でもロシアの船が座礁した伊豆の出身です。
北海道ならロシアの船はアイヌを運び放題ですよ。
江戸時代の鎖国の脆弱な地方に豚鼻とアイヌ顔がある。
アイヌ人は外来人種である(私、和人側のアイヌ民族に関する知識の有識者)。
アイヌ民族を、アイヌ民族の主張どうりに先住民族として税金を使用したことは、
憲法違反である。
人種的には先住民族の人種ではないアイヌ民族はロシア系のあたらいい渡来人であり、屯田兵がアイヌ人に北海道を占領されないように防衛に当たった歴史もある。
自称先住民族の宗教団体「アイヌ民族」に、税金を使用したことは、憲法でそれを禁止している「政教分離」に違反した、和人を侮辱した「朝鮮人と寸分変わらぬ和人の税金からの搾取行為」である。
● ロシアが北方領土を日本に返さない理由 Ver.2670-1114b
http://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/gorira_type-b/yah_kamui/Bonnta/kanewo_kaeseyo_101113a.html / アイヌが和人から先住民を理由に騙し取った総額「数百億」円
811 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/02/10(水) 04:56:42 ID:DIgSICTr
先日NHK衛星で北欧トレッキング紀行「フィンランド」を見たのだが、 なんだかアイヌ語に似ていた。とくにフィンランドの民謡はアイヌの おばさんが踊りながら歌う歌に似ていたなあ。
812 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/06/30(水) 17:31:01 ID:JZc1nZhj
813 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/06/30(水) 17:55:17 ID:JZc1nZhj
富良野は、アイヌ語のフラヌイの転化だそうですが、 カムチャッカ半島などに見られる、『ヌイ』の付く地名も アイヌ語ですか? また、『カムチャッカ(カムチトカ)』もアイヌ語ですか?
814 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/06/30(水) 20:46:46 ID:ytAPRztj
ロシア語カムチャトカは、アイヌ語カムサッケの訛り。 アイヌ語・カムサッケ Kam sake ke カムは肉(ここでは鮭・鱒の魚肉)、サックは乾かす、ケは所。
815 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/05(月) 22:17:14 ID:1cvTBJI7
↑は、アイヌ語研究者に聞いたら、何の根拠もない、 ただ読み方が似ているだけとの事です。
816 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/07(水) 00:35:54 ID:2TvAi1gn
カムチャツカが鮭の乾かすところとか変だし、ウィキにも書いてあるけどカムチャツカは人名。 ぐうぜん紛らわしい名前の人が発見した。
保守
818 :
孫悟空と猪八戒のセックスで、アイヌ人誕生 :
2010/08/09(月) 22:20:49 ID:Cn9BRy8m